引越しバイトの男

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引越しバイトの男

 引越しの単発バイトでやって来た男。  濃いめの無精ひげの口元。 「どこかで見た顔だな?」と思ったら……。  数年前、現場で盗みを働いたヤツだった。  今回は用心して携帯電話の番号を再度確認する。 「滞納でスマホが止められてる」だと?  やっぱり怪しい。  応募の時に聞いた番号かと問うと「そうだ」と言う。  こっそりかけてみると「お客様の都合により」のアナウンス。  ホントに料金滞納か? 用意周到な確信犯かもしれない。 「やる気か? どっちだ?」  しかし、今日はソイツ抜きでは仕事が回らない。  仕方なく同行させることにした。  一件目は小さな会社の事務所の引越しだ。  旧事務所から同一敷地内の新事務所へ机や書庫を運ぶ。  高価な宝飾品がありそうな豪邸を期待していただろうが、残念だったな。  だが、男はそれほどガッカリした様子ではない。  テキパキと作業をこなしている。  更生したのか?  オレが油断して目を離したその隙だった。  旧事務所の社長室の壁に飾られた油絵の額縁の裏に男がサッと手を入れた。 「!?」  一瞬視界に入りオレが振り返ると、男は何事もなかったようなフリをする。  手際良く額縁を下ろし、運び始めた。  確かにそういう場所に社長が隠したヘソクリの金があったりするが……。  とにかく、作業は無事に終わった。  ヒヤヒヤしながらの仕事は何倍も疲れる。  二件目の現場はタワーマンションの一室だった。  売りに出され、今ある家具をすべてレンタル倉庫に搬入する仕事だった。  普段なら高層階からの眺望を楽しみながら作業できるのに。  でも、今日はヤバイ奴を連れて来ているのでよそ見は厳禁。  高級なマンションだが、単身者用で部屋数は少ない。  オレがマンツーマンで見張っているので盗みを働くのは無理だろう。  それにしても、こんなマンションの住人ってどんな幸運に恵まれてきたのか?  引越しの仕事でしか足を踏み入れることが出来ない空間にいるといつも不思議に思う。  運か……努力か……。  汗だくになりながら、高級家具を傷つけないように丁寧に梱包を続ける。  作業も終盤、この現場もメドが立ってきた。  ベッドを運び入れたエレベーターで男と二人きりになる。 「今日はガードが鉄壁っスね」  男から話を切り出され、思わずハッとした表情になるオレ。 「バレてますよ」  お前がなッ! と、言いたかったがドギマギして口ごもる。 「見逃してくださいよ」  ムリな相談をされた。 「引越しの現場で盗んだ金でギャンブルやると、絶対勝てるんスよ」  知らねーよ! 「五連勝中で」  だったら何だ? 「すっげー大穴当ててんスよ。連続五回。それも、一年食っていける額の」  じゃ、五年間働いてないのか? 「山分けしてもいいっスよ」  半年間、働かなくてすむのかよ?  そそられる……ワケねえ! 「ダメだ。やめろ」  口の中がパサパサになりながら、何とか社会人としての理性を保つ。  一階に到着した。  やたら重いキングサイズのベッドをエレベーターから運び出しながら……。 「六連勝の可能性ってどれくらいあるんだろう……」  良からぬ思いが頭に浮かんできた。 (おわり) 
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