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***
――多分、ピアノはあの女の子なんだろうな。
ピアノが聞こえてくるのは夕方から夜の八時くらいまでが多い。今日も今日とて、可愛らしい声がどこからともなく響いてくる。
アパートに引っ越してから、一か月ほどのことだ。
『どんぐりころころ ドンブリコ
お池にはまって さあ大変
どじょうが出て来て 今日は
坊ちゃん一緒に 遊びましょう~
どんぐりころころ よろこんで
しばらく一緒に 遊んだが
やっぱりお山が 恋しいと
泣いてはどじょうを 困らせた~』
――しっかし、この曲も結構意味不明だよなあ。
冷蔵庫の中を覗きながら、なんとなく思う僕。
――池にハマって溺れてるのに、遊びましょうとか言われても。……つか、この曲って二番で終わってなかったっけ?どじょう困らせて、その後どーしたんだ?
どんぐりは山に自力で返れたのだろうか。
というか、自分の足で移動できるのだろうか。どんぐりだから足はないのか、転がってどこかに行くことは可能なのか。というか、池にハマって困ってるなら、どじょうが池の中から助け上げてやればそれで解決のような気がしないでもないのだが。
――うーん、わからん。でもって今日の飯がねえ。
仕方ない、と僕は冷蔵庫を閉じて、置きっぱなしだったトートバッグをひっつかんだ。スマホと財布だけあれば、近くのコンビニに行くには十分である。
「どーんぐりころころ……」
なんとなく、少女の歌に合わせて口ずさみながら家を出た、その時だった。
「え」
アパートの階段の柱に、一人の女の子がよりかかっているのだ。四階のご家族の長女である。可愛らしいツインテールのその子は、険しい表情でじっと宙を睨んでいた。
あれ、と思う僕。
てっきり彼女が演奏して歌っていると思っていたのに、彼女ではなかったのか、と。まさか、あの幼稚園くらいの小さな男の子のどっちかピアノをやっているのだろうか。
「……ねえ、お兄さん」
女の子は、家から出た僕を見ると真っ先に言ったのだった。
「どんぐりのうた、聞こえる?さっき、歌ってたよね?」
「え?ま、まあ……聞こえるけど」
「あれ、うちじゃないよ」
「え」
固まる僕に、彼女は続ける。
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