8話 アメシス

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「お、お待ちください! それは私が運びますから!」 「気にするな。どうせ今日はもう自宅に帰るだけだ」  ダイナの制止を歯牙にもかけず、紫紺の男は人混みの中を歩き出す。ダイナはもだもだと足踏みをしながらも、大人しくその背に続く他にない。 「私の神具、評判はいかがですか?」  歩き始めて少し経った頃、ダイナは遠慮がちに尋ねた。 「良い。神官舎の備品として配布しているが、人気の品はすでに在庫が半分を切っている。消耗品については定期的に発注を掛けるから、暇なときに作り貯めておいてくれ」 「わ、わかりました」 「最も評判が良い神具は誤字鏡だな。仕事柄、書類の誤字には気を遣う。外部から人を招いて会議を行う際には特にだ。書類の誤字チェックは数人体制で行っていたが、今では一枚の鏡を覗き込むだけで事が済んでしまう。会議前の残業が減ったと、神官の間からは嬉しい悲鳴が上がっている」 「そうですか。お役に立てて良かった」  誤字鏡、とは手鏡の形をした神具だ。鏡面に文章を写せば誤字部分が赤く発色して見える。人の名や国名などの固有名詞には反応しないところが玉に傷であるが、それでも誤字鏡はダイナの自信作だ。ガラクタ神具と言われたダイナの作品の中で、唯一その品だけは、故郷のお役人相手に5つを売り上げたのだ。もっとも在籍者が十数名程度の役所では、大した役には立たなかったと聞いているが。  しかし所変われば品物の価値は変わる。国家の中心部である神都のお役所ともなれば、日々作成される書類の量は膨大だ。会議に招かれる人数も、故郷のそれとは天地の差だろう。評判がいい、という男の言葉にも納得である。苦労が報われたのだとダイナは胸のうちが温かくなった。  そうして他愛もない話をするうちに、2人の『カフェひとやすみ』へと辿り着いた。店の前で、ダイナは男から荷物を受けとった。 「荷物、ありがとうございました。ぜひまたカフェに顔を出してください」 「ああ、仕事が落ち着いたらそうさせてもらおう」 「失礼ですが、あなたのお名前は?」  ダイナの質問に、男はかすかな微笑みを浮かべた。 「私の名はアメシスだ」
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