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 ユーリ様が滞在して半月が経過した。  お茶をしたり、散策をしたりして過ごすうちに、ユーリ様が側にいる日々に慣れてきたように思う。  でも、勘違いしちゃいけない。  ユーリ様がここにいるのは一月だけ。彼は、隣国に帰る人なのだ。 「……ふう」  お気に入りの本を読むのを止めて、私は溜め息をついた。  最近私はなんだかおかしい。気が付けば溜め息ばかりで、ある事が気になって仕方ない。  それは、ユーリ様への返事だ。  私が決める問題じゃないのに、国同士の問題なのに、気になる。  ……どう返事したらいいのかわからないから、気になるのかしら。断るなら断るで、はっきりした方がいいわよね。 「アランのところへ行くわ。先触れを出しておいて」 「はい」  侍女に命じて身支度をすませ、私はいつぞやのようにアランの執務室へと向かった。 「姉様はどうしたいですか?」  一言で終わると思っていた私は、淡々と問い掛けられて戸惑いながら答えた。 「どうしたい、って……これは国家間の問題でしょ? 私の意思は関係ないんじゃ……」 「確かにそれはそうですけど、別に姉様である必要はありませんよ」  アランの言葉に思い浮かんだのはエルフィナだ。確かに、嫁ぐのが私である必要は無い。でも、ユーリ様は……  と、そこまで考えた私の思考を読んだようにアランは続けた。 「あの男は姉様を望んでますけどね。そんなのは知った事じゃないし、姉様が嫌がる事はさせない。絶対に」  瞳を暗く光らせて言い切ったアランは、また淡々とした口調で尋ねた。 「だから、姉様はどうしたいのか聞かせて下さい」 「私、は……」  それを口にするのは、気力が必要だった。頭に浮かぶユーリ様のいろんな笑顔を無理やり押し込めて、私は口を開いた。 「……私は、アランの傍にいるって決めたもの。断るわ」 「本当に? それでいいんですか?」  喜ぶかと思ったのに、重ねて問われる。私は一瞬だけためらい、頷いた。 「それで、いいわ」 「……そうですか」  何故かアランの機嫌は一気に悪くなり、私は結局どう答えたらいいのか国家としての返事を聞くことは出来ずに退出するしかなかった。  一夜明けた今日も、ユーリ様と散策の約束がある。  部屋に居るとぼんやりしてしまうし、少し早いけど中庭に向かうとしよう。  そう思って中庭に行くと、嫌なことは重なるものなのか、また気まずい相手と出くわした。いや、待ち伏せされていたようだから、ちょっと違うのかも知れない。 「……エルフィナお姉さま」  池のほとりに立っていたのは異母姉、エルフィナだった。  エルフィナはなんだか顔色が悪いが、美しい。ただし、その美しさは研ぎ澄まされた刃がもつ危うい美しさだった。  警戒しながらも私は足を止め、後ろにいるレナードや侍女達に少し下がるように命じた。エルフィナも同様にお付きの者を下がらせたまま、私を待っている。  私がゆっくりと彼女に近づくと、エルフィナはぽつりと言った。 「……どうしてなの」 「……」 「なんで、あなたばかり。……私がどうしてあんな男と」 「あんな男?」 「ガードナー伯爵よ。あの男のもとへ嫁ぐように命じられたわ」 「え?」  ガードナー伯爵……夜会で何度か見かけたけど、確か三十代半ば頃の渋い男性だった気がする。エルフィナを、そのガードナー伯爵に?  ……私はてっきり、ユーリ様ともう一度婚約を結ぶのは彼女だと思っていた。  私はこの国から――アランの傍からは離れない。  だから私は国内の貴族と、エルフィナはユーリ様と婚約することになる。そう考えていた。 「あなた、また(・・)何かしたのね」 「え? また?」 「そうよ。お父様をあの汚らわしい子供が殺したのもお兄様達が皆いなくなったのも、あなたがあの子供に命じたんでしょう」  エルフィナは焦点の合っていない眼で私を睨み付けながら、せきを切ったように詰り出した。 「全部あなたのせいなんだわ。私があの方のもとに行くはずだったのに、突然あなたに変わって。何故なの。何故あなたばっかり……っ」 「え、エルフィナお姉さ……きゃっ」  エルフィナは子供が癇癪をおこした時のように私に掴みかかってきた。止めようとした手をよく磨かれた爪で引っ掻かれて怯んでしまう。 「姫っ! エルフィナ様、お止め下さい!」 「姫様!」 「エルフィナ様、駄目ですわ!」  私とエルフィナの騎士や侍女が慌てて止めに入ってきて、さらにもみくちゃになる。そこへ、凛とした涼しげな声が響いた。 「――姫!」  一瞬、場に静寂が落ちた。  エルフィナは声の主を凝視している。婚約するかも知れなかった相手、ユーリ様を。  ユーリ様はこちらに向かって早足で歩きながら、私を見つめていた。 「リーズシェラン姫、大丈夫ですか!?」 「……っ」  あ、やばい。  大人しくなっていたエルフィナがびくりと震えたのを見て、私は直感した。 「え、エルフィナお姉さま。あのですね」 「……あなたが」  ふっ、とエルフィナの眼の焦点が合う。私を見るエルフィナは、薔薇のように微笑んでいた。 「あなたが、いなかったら良かったのに」  優しい声音で毒を吐き捨てて、エルフィナは私を池へと突き落とした。
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