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7
私はぼんやりと一人で自室のバルコニーに立っていた。夜になって灯りが落ちると、驚くくらいに暗くなる。
ここは王宮だから夜でもある程度の灯りはあるけど、前世の夜には比べられない。
そのかわり、夜空はすごく綺麗だ。吸い込まれそうになる、って聞いたことがあったけど、本当にその通りだと思う。
キラキラ輝いている星は、前世で覚えた並びではない。それに慣れたはずだったのに、なんだか妙に寂しい。
溜め息をついた時だ。
「ご機嫌麗しゅう、姫」
誰かに声を掛けられ、何かを思うより早く、その人物はバルコニーに立っていた。
「ひ、……っ!」
「しー」
悲鳴をあげようとした口を大きな手が塞ぐ。そして子供にやるような仕草で唇に人差し指をあてているその人物は……ユーリ様、だった。
な、なにやって……いえ、どこから来たの、この人!?
「うん、ちよっと裏技を使ってね。……叫ばないでね?」
用心深く念を押し、ユーリ様は私の口から手を外した。
「……ごきげんよう、ユーリ様。なにから聞けばいいのか悩んでいますわ」
「君が知りたい事ならなんでも話してあげたいけど、不粋な話は置いとかないかい? せっかく、こんな綺麗な星空の下でふたりっきりなんだしね」
「うきうきしてるとこ申し訳ありませんけど、聞かせてもらいます。裏技ってなんですか!? 私の部屋は騎士が見張りに立っているはずなのに……」
「うん、部屋はね」
「……まさか」
「あそこから攀じ登って来た」
ユーリ様が指し示したのは、斜め下の部屋のバルコニーだった。ちなみに、私の部屋は三階にあり、途中には掴まる物など何もない。まさかのロッククライミング? いやそんなまさか。
「……嘘ですよね?」
「さあ?」
にっこり笑うユーリ様を睨み付けても、これ以上は何も言うつもりは無いらしい。私は諦めて彼の要件を尋ねる事にした。
「それで? どういった要件ですか?」
「いや、特に無いよ」
「……そう、ですか」
どうしよう。どんどんユーリ様がわからなくなってきた。
遠い目になる私をクスクスと笑って、ユーリ様は庭を眼で示した。
「あそこでね、ちょっと詩でも捧げようかと思ったんだよ。ほら、君が好きな劇にもそんな場面があるだろう? あれを実際にやってみようと思って」
「……はあ」
どうやら、昼間に続いて“恋愛物語によくあるパターン”をやってみようとしたらしい。本当、この人の素っていったい……
「で、来てみたらバルコニーに君が立っているのが見えてね」
「はあ」
「しかもなんだか落ち込んでいるように見えた」
「……はあ」
「だから、ここに来てみたんだ。……大丈夫かい?」
庭を見ていたユーリ様は私へと視線を戻し、問い掛けてきた。優しく、ささやくような声音で。
ずるい、と思う。
だっていきなりそんな優しく聞かれたら、動揺してしまう。隠しきれない。
顔ごと視線をそらしてしまって、この反応は駄目だな、と冷静な部分が溜め息をついた。
「言いたくないなら、聞かないよ」
ユーリ様は独り言のように呟いて、口をつぐんだ。
しん、と静まりかえる。
静寂が今はつらい。気詰まりなまま顔を背けていると、ユーリ様が何かを呟き始めた。小さな声で、私の好きな演劇に出てくる詩を口ずさんでいる。
そっと視線を向けると、ユーリ様はくすりと笑って言った。
「せっかく来たからね、やっておこうと思って」
「……変わってるって言われてませんか?」
「いいや、まったく?」
楽しげに笑うユーリ様は、まるで普通の男の人に見えた。皇子様なんかじゃない、普通の。
「……変な人」
「初めて言われたよ」
私自身もつられてしまって、気付けば本音が零れていた。ユーリ様は非礼を怒る風ではなく、むしろ面白がっている。……やっぱり変わってるわ。
「ユーリ殿下、そろそろ」
「ああ、うん」
「え? きゃっ!?」
若い女の声がしたかと思うと、いつの間にかリーリャが控えていた。それに気付いていたのか、ユーリ様は自然に対応している。
「それじゃあ、姫。また明日」
「え、あっ」
リーリャに気をとられていたら、すぐ間近にユーリ様がいた。ユーリ様の手が私の頬に触れて、瞳を覗き込まれる。鮮やかな碧の瞳に見惚れた隙に、額にキスを落とされた。
「おやすみ、姫」
この上なく優しく微笑み、ユーリ様は私から離れて手すりへと……えっ。
「ち、ちょっと、ユーリ様っ!?」
「大丈夫です、姫様」
「え、で、でもリーリャ……」
なんとユーリ様はバルコニーにかかっていたフック付きロープを伝って、斜め下にある部屋のバルコニーに移動したのだ。ほ、本当にあそこから来たのかしら。
「それでは姫様、私もこれで失礼いたします。あと、申し訳ないのですが、私が向こうに移動した後、このフックを外してもらえますか?」
「あ、え、ええ。いいけど……」
「よろしくお願いします」
一礼して、リーリャもロープへ。メイド服なのにするすると危なげなく移動していった。……この城の防犯、大丈夫なのかしら。
フックを外しながら、城の警備をもっと厳重にするようアランに申請しよう、と心に決めた。
ユーリ様の事は……
斜め下のバルコニーから笑顔で手を振るユーリ様を見て、私も苦笑しながら手を振り返す。
まあ、言わなくてもいいか。
もちろん、もうこんな真似はしないようにきちんと話し合うつもりだけど。
私は部屋に戻る前にもう一度夜空を見上げてみた。
寂しさは、感じなかった。
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