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飼い犬と
海のそばの小山に登った
いつもの
朝の
散歩コース
木々の間から
二月の瀬戸内海が
見える
風が強い
群青色の海の表面を
三角の白い波頭が
無限に走っている
こういうのを
この辺りでは
「白馬(しらうま)が走る」
という
全国的にも
こう
いうのだろうか?
波頭は
たしかに
馬のたてがみが
なびくさまを
連想させる
青い
海面を
無数の
白馬が
駆け抜ける
その空想は
小気味良い
実際
海岸を
乗馬して
散歩している
人が
たまにいる
馬の
細い足が
波が引いた瞬間
鏡面のように
なった
波打ち際を
踏みしめる
さまも
見ていて
気持ちがいい
結論
馬と海は
似合う
海馬という
空想上の
生き物だって
いる
じゃないか
昔の人が空想することは
脈絡のないことは
ない
はずだ
連想させる
何かが
あるのだ
海は
朝
沖の方と
海岸に近い方では
色が
違う
沖の方が
青が強く
浜の方は
緑が強い
二色に分かれていることもあるし
四色くらいに分かれていることも
ある
朝日や雲の加減だろうか
一方
昼の海は
青一色だ
日向子ちゃんが
「セトくん
一緒に
S学
受けようよ」
と云う
えっ、S学?
考えてみたこともない
私立じゃないか
僕は
当時
瀬戸内海周辺の
国立大学
しか
見ていなかった
いずれ
地方公務員になる
つもりだったし
とも云えず
「あー、あー……
うん……、いやー」
言葉を濁してやりすごした
つもりだった
つまり
僕は
見えている
世界が
視野が
狭いのだった
井の中の蛙大海を知らず
日向子ちゃんは
一年のとき
席が隣同士で
以来
付き合って
いる
二年で
僕が
習熟度クラス編成で
優秀クラスの
通称「優クラ」
になり
日向子ちゃんは
「凡クラ」
になって
クラスが
分かれた
頭の悪い子では
ない
身の丈に
見合った
努力しか
しない
子なのだ
合理的だ
効率がいい
S学も
楽に
入れるだろうし
気楽な学生生活を
一緒に
送ろう
と云って
いるのだろう
それも
ひとつの
賢い選択
だった
一方僕は
いつも
余分な
しなくてもいい
苦労を
選択し
続けるのだった
多分
常に
木に縁りて魚を求む
から
なにかが
あると
僕は
海岸へ
行く
なにも
なくても
海岸で
過ごした
海岸で
居ると
小さくまとまった
僕が
広く
拡散していく
ような
心持ちに
なれた
その日も
海を
見ていた
犬は
連れて
いなかった
ぼんやり海面を
眺めて
いた
瀬戸内海の海岸は
白砂だ
ふと
海の中に
いる人に
目が
とまった
「えっ」
今、二月だよ
いつの間に
海に
入ったのだろう
その人は
僕と
目が合うと
どんどん
沖へ
泳いで
いった
「あ、
ちょっと
ちょっと」
僕は
慌てて
その人を
呼び止めた
自殺だろうか
その人は
呼び止めると
引き返して
来た
僕と同年代くらいの
女の子だった
その子は
浜へ
上がって
きた
「え」
その子は
裸だった
黒くて
長い
髪が
白い肌に
はりついて
いる
「ちょっと
君っ」
たじろぐ僕に
近づいて
きて
横を
通り過ぎて
いった
「君
服は」
振り返ると
女の子は
消えていた
「えっ
あれっ」
僕の後ろには
松林が
あるだけで
誰も
居なかった
一年間
優クラで
過ごして
きた
来年度も
同じメンバーだ
優クラは
実際
つまらない場所
だった
優等生ばかりが
いる
ところだった
女の子は
可愛いし
男も
キチンとした
小奇麗な奴
ばかりで
文化祭では
花形の
喫茶店の模擬店を
して
目立つし
合唱コンクールでは
演出を凝らして
先生たちを
激しく
感動させ
球技大会では
当然のように
優勝
実際
すごいよな
とは
思う
みんなが成績上位
みんながスポーツ万能
なんでもこなす
でも
つまらない人間
ばかりが
いると感じる
みんなが
みんな
いい子過ぎる
みんなが
輝いていて
自分が
くすんでいる
ようにも
感じる
僕は
グレてしまって
いるのだろうか
表面ばかりの
付き合いで
いい子の仮面を
被って
疲れて
きた
鯛の尾より鰯の頭
「セトくん
山牛に
行こうよ」
学校の帰りに
よく
山田牛乳に
寄り道した
日向子ちゃんは
山牛の
ソフトクリームが
大好きだ
冬でも
夏でも
食べていた
他に
温かい食べ物も
あったかも
しれないが
僕の
記憶には
残っていない
現在は道が
拡張したので
山牛は
なくなったと
きいている
僕は
現在
地元に
いないので
知らない
少し
寂しい
夏には
カキ氷なんかも
あったかもしれない
僕も
若かったので
いつも
一緒に
ソフトクリーム
だった
実際
美味しかった
青春の
味だった
日向子ちゃんは
「とっぷがね~
シズが~
しばぴが~」
と僕が
知らない
クラスメートの話
ばかりした
日向子ちゃんは
友達が多い
僕は
日向子ちゃんとは
キスした
程度のあいだがら
性欲とか
一番
旺盛な頃
のはず
でも
クラスの男子も
彼女がいる奴は
多かったけど
そういった
話を
した記憶が
ない
みんないい子ちゃんだからな
いや
高校生では
まだ
早いだろうか
彼女が
楽しそうに
話すのを
もやもやしながら
耐えて
にこにこ
聞いていた
大体「ちゃん」付けで
呼んでいることが
僕と彼女の
関係性を
如実に
物語っている
音楽室に
緑の制服を
着た
幽霊がでると
噂に
訊いた
ある日
日向子ちゃんが
友達のうちに
寄るので
先に
帰ってもらった
僕は
その放課後
美術室に
いた
受験勉強も
気になる
でも
絵も
描きたかった
のだ
高校に入って
初めて
油絵を
学んだ
水彩画とは
勝手が違うので
風景画とか
下手くそだった
けど
僕は
海の絵だけは
抜群に
上手く
描けた
その日も
海の絵の
続きを
描いて
いたのだ
海の上に
大きな満月が
昇り
手前に
草原が
広がり
広大なその草原に
紫色の
首長竜が
いる絵だ
海の絵を
描いているときは
海と
対峙している
ときと
同じ気分だ
心が
広がって
ゆく
すっかり
窓の外が
暗くなった頃
歌声が
聞こえた
「?」
ちょうど
その時
シゲ(美術の教師)が
「セト
もう帰れよ」
と云ったので
美術室を出た
この部屋の上は
音楽室だ
階段を
あがった
「あ」
この間
海で会った
黒髪の女の子が
音楽室に
入って
いくのが
見えた
緑色の服を着ていた
でも
音楽室を
のぞくと
誰もいない
外に出ると
また
歌声が
聞こえた
「えっ」
音楽室は
防音だ
外に
歌声が
聞こえる
はずは
ない
もう一度
音楽室を
のぞいた
誰も
いない
春に
なった
日向子ちゃんが
「ようちゃんと
シドくんと
四人で
遊ぼうよ」
と云う
要するに
友達が
僕を
見たいのだ
日向子ちゃんも
友達の彼氏を
見たいのだ
うやむやに
はぐらかして
やんわり
断った
つもりだったが
日向子ちゃんは
機嫌が悪くなり
喧嘩した
みたいになった
日向子ちゃんは
怒って
ぷいっと
走って行って
しまった
なんだか
日向子ちゃんが
面倒くさく
なってきた
いつものある日
海へ
行った
そしたら
海岸に
あの子が
いた
緑色の
僕が
見たことの無い
セーラー服を
着ている
リボンは
白だ
「やあ」
声をかけた
女の子は
振り向いた
可愛い子だ
ひとつ
気になった
「髪染めたの?」
みどりの黒髪
というけど
女の子の
髪が
緑色だった
南の海のような
色だった
「?」
女の子は
いぶかしそうに
僕を
見た
「あ……、
覚えてない?」
それに
初めて会ったときは
裸だったのだ
バツがわるいの
かも
「今初めて会ったよ」
と女の子が
云った
「あぁ
やっぱり
覚えて
ないか」
僕は頭をかいた
覚えてない方が
いいかもな
とも思った
「たぶん
君が
会ったのは
私の分身」
「はい?」
「眠っていると
分身が
勝手に
出ていっちゃうの」
「ほう」
おもしろい
と思った
まず
うちのクラスに
いないタイプだ
「髪が
黒かったんでしょ
それは
分身なの
分身に
会ったんだよ」
「じゃあ
今の髪の色は
天然なの」
「そうだよ」
染めたと
思えないほど
綺麗な
色だ
でも
天然で
こんな色の髪の
人は
いない
「君変わってるね」
「うん
人間じゃないもの」
「へえ」
ますます
面白いと思った
雀海中に入って蛤となる
海では
そういうことも
あるかもしれない
と思わせる
説得力がある
海には
まだまだ
神秘がある
「君は霊感が
あるんだよ」
「霊感。
ないよ
僕に
そんなもの」
「なら多分
君はまだ
子供なんだよ
だから
分身が
見えるんだよ」
子供扱いされてしまった
「君最初
裸だったよ」
と意地悪を云うと
「いや~ん」
とわざとらしく
ぶりっ子ポーズを作ってから
「あっはっは
いや~見られちゃった」
と云って
ばんばん
僕の肩を叩いた
この子は
男っぽい
外見は
とても
女の子らしいのに
この子と話していると
中学の時の
親友と話しているような
心持ちがする
魚心あれば水心
のーさん
今は
どうしているのだろう
と、
その時
思った
のーさんは
ブラスバンド部で
僕は
テニス部
二年のとき
同じクラスで
家に
泊まりに行ったことも
あった
三年で
クラスが別になり
部活も
周囲の人間関係も
被らないから
疎遠になった
高校も
別で
連絡も
途絶えた
現在
のーさんは
東京で
通訳をしている
そうだ
今は
知っている
けど
連絡は
とっていない
「私
エリクサーも
作れるんだ」
「えっ、なにって」
「エリクサー、
万能薬だよ」
ゲームのし過ぎ
なのかなぁ
この子
「見たことない
制服
着ているね」
「うん」
「どこの
学校なの」
「学校には
行ったこと
ない」
「そう」
ひきこもり
なのかな
「あ」
女の子は
何も云わず
突然
松林の方に
歩いて
行った
唐突な子だなあ
「日向子ちゃん
受験生
なんだし
図書館ででも
勉強しない?」
「えー
セトくんは
真面目すぎるよ
もっと
色々なことを
した方が
いいよ
勉強だけで
なく、ね」
それは、そう、だよ
そうなんだけどね
でも
時期というものが
あるでしょ
今は勉強するべき
時期でしょ
勉強も
若いときしかできないよ
とも云えず
無為なときを
過ごした
彼女と過ごすとき
僕は常に
我慢していて
退屈を
何とかやり過ごして
無駄な時間が
行ってしまうのを
ぼんやり
見送って
彼女がいないときは
奥さんが留守のときの
亭主みたいに
いきいきして
やっぱり
無意味な
ときを
過ごす
受験生という
大きな文字が
常に横で
にらみを利かせていて
勉強しなくちゃと
気ばかり
あせる
でも時間があると
海岸で
ぼーっとしたり
絵を描いたり
時間を
上手く
使えない
でもそれは幸せなことだったのだ
夏になって
すぐ
父さんが
後六か月の命と
宣告された
父さんは
『がい』な人(方言:気丈な人)
なので
すぐ仕事を辞め
シルバー人材センターの
人を呼び
家の庭木を抜いたり
剪定したり
整理して
家中の
不具合を
すっかり
修理して
母さんに
小型の車を
購入させ
僕に
大学に進学するよう云い
保険やその他もろもろの事務処理を
整えて
いつ自分が
死んでも
いいように
身辺整理を
した
あとで
僕たちが
困ることがないように
父さんは
弱音を決して
吐かなかった
父さんが
ある日
犬に
話しかけているのを
聞いた
「虎太郎(こたろう)よ
父さんが
いなくなっても
マサシやマナミや
母さんを
頼んだぞ」
またある日
僕は
たまらなくなって
関係ないことで
何も知らない
日向子ちゃんに
当たってしまった
何を云ったか
まるで
覚えていないが
日向子ちゃんが
ひきつった顔をして
きびすを返して
走り去って行った
後姿とひきつった表情
だけが
鮮明に
記憶に残っている
海へ
走って行って
砂浜に
拳を
叩き込んだ
大きな
サンドバッグ
海は
全てを
受け入れて
くれる
父さんは
長いこと
糖尿で
ずっと医者に
かかっていた
なぜ
末期になるまで
気が付かないんだ
ヤブめ
悔しくて
悔しくて
めちゃくちゃに
暴れて
泣き叫んだ
夜中で
月が
出ていた
海の家は
静まり返り
誰も
いない
かと
思ったが
「おぉ
どうした
どうした」
あの子が
いた
「……ミドリさん、か」
「おっ、それ
私の名前なの」
「知らないから
勝手に
つけた」
「いいじゃん
いいじゃん
いい名前~、
気に入ったよ~」
「本当の
名前はなんていうの」
「え、私に名前なんてないよ」
「そう」
そのとき
頭の隅で
何かが
光った
「ミドリさん」
「どうした」
「頼みがある」
「なんでも」
「エリクサーあるかな」
「あるよ」
「エリクサー頂戴」
「はい」
海の底を転がりまくってきた
ような
曇ったガラスの
小瓶を
くれた
目薬ほどの量の
透明な液体が
入っている
「末期ガンに
効くかな」
「きれいに治るよ
誰がガンなの」
「父さん」
「親孝行だね」
「どのくらい
飲ませれば
いいの」
「スズメの涙くらいでも
効くよ」
「どうやって
飲ませれば
いいかな」
「コーヒーにでも
いれちゃえば
何に
混ぜても
大丈夫だから」
「健康な人が
飲むと
どうなるかな」
「元気に
なるんじゃないかな」
「ありがとう
もらって
行くよ
君に
逢えて
良かった」
僕は走って帰った
溺れる者は
ワカメでも
つかむ
心境だった
父さんは
砂糖がたっぷり入った
コーヒーが
大好きだった
母さんに
隠れて
飲んでいた
でも
もう
その頃は
コーヒーも
受け付けなくなって
いた
食事も
食べないことが
多くなった
どうすれば
いいだろう
鍋に
水をはって
伊吹島産のいりこを
一つかみ
ぶちこみ
だしをとり
だしに
細かく刻んだ
大根とキャベツを
ぶちこみ
野菜が
くたくたに
なるまで
煮込み
乾燥ワカメを入れて
味噌を溶き
味噌汁を作った
そこに
エリクサーを
一瓶まるまる
全て
入れた
椀に
ついで
お盆にのせ
箸を添え
うやうやしく
父さんのところに
運んでいった
父さんは
ベッドに
起き上がって
本を読んでいた
「父さん」
「どうしたマサシ」
「気分はどうかな」
「今日はだいぶいいよ」
「僕
今日
父さんのために
味噌汁を
作ってみたんだ
食べてくれるかな」
「マサシが!
もちろん
食べるよ」
父さんが顔を輝かせた
「マサシが味噌汁を
作ってくれる
なんてな」
父さんは
椀を受け取って
大事そうに
両手で
抱え込むようにして
匂いを嗅いだ
「いい匂いだ」
一口飲んだ
「ああ……
旨いな」
箸を使って
野菜も
食べてくれた
「うん
野菜も柔らかくて
甘味が
よくでているよ
旨いよ」
そのまま
「うまい
うまい」
と云いながら
すっかり
たいらげて
くれた
「ありがとうマサシ」
こっちが
ありがとうと
云いたかった
その晩は
母さんと妹と
三人で
涙を流しながら
ご飯を食べた
父さんが
残さず
ご飯を食べてくれることが
こんなに嬉しいなんて
父さんが
普通に
元気に
ご飯を食べてくれることが
幸せなことだったなんて
今の今まで
知らなかった
味噌汁は
涙で
海の味がした
「父さん
どこ
行くの」
玄関で
妹の声がして
行ってみると
父さんが
出かけようと
していた
母さんも
出てきて
驚いている
「調子がいいから
病院に行くよ」
にこにこ出かけて
行った
そうして
父さんが
完治した
ことが分かった
僕は
商店街の
まんじゅう屋に
走って
行って
一番大きな箱の
『観音寺まんじゅう』を
買い
抱えて海へ行った
「ミドリさーん!」
「おっ
どうだった」
ミドリさんはやっぱり
浜にいた
浜のベンチに
座っていた
僕は息を整えて
「父さん
治った」
とやっと云った
「よかったね」
「これ
お礼」
まんじゅうの箱を渡した
「わっ
まんじゅうだ」
ミドリさんは
ばりばり包みを開けて
ばくばく
まんじゅうを食べ始めた
「旨いね、これ」
「うん」
「ケーキ生地みたいなのに
白あん」
「うん
これ
父さんが大好きで」
「お父さん
グルメだね」
「喜んでもらえて
良かったよ
似たようなまんじゅうは
他にもあるけど
僕は
これが一番
美味しいと思うよ
田舎のまんじゅうにしては
いけるでしょ」
にしても
食べ過ぎじゃないか
ミドリさんは
一箱まるまる(五十個だ)
食べてしまった
「ミドリさん
そんなに食べて
身体は大丈夫
なの」
「美味しかったよ~
ありがとう~」
こんなに
まんじゅうを
一気食いしたら
普通の人は
倒れるんじゃ
ないか
「ミドリさんは本当に
人間じゃないんだね」
「うん
信じて
なかったの」
「うん」
「私が小さかった頃
瀬戸内海に
来たら
源平合戦をしていたよ」
「は?」
「私は
ちょうど
その頃
日本中を
うろうろ
してた時期で」
「子供の頃に」
「うん
で
その後
太平洋に出て
アジア沿いに
ヨーロッパへ
行った」
「そう」
「エリクサーを
狙う
悪い奴に
追われたりして
結構スリリング
だったよ」
「ヨーロッパで」
「船で
もうちょっと
向こうにも
行ったかな
ヨーロッパは
ベネチアがいいところ
だったなあ」
「そう」
「その後
日本に帰って来たら
開国した直後で」
「そう」
「で
また
日本全国を
うろうろ
して」
「へえ」
「瀬戸内海に
また
やって来たのは
君が
生まれたころ
くらいかな」
「そう」
「二十年には
ならないと
思うよ
この浜に
来たのは
去年かな」
「へええ」
僕はこの話に興味が
無かった訳では
ない
僕は
話を聞きながら
どうして
僕は
つまらない返事しか
できないのだろう
と感じて
いた
どうして僕は
こうなんだ
日向子ちゃんと
会話しているとき
だって
このとおりだった
多分
日向子ちゃんだって
退屈していた
だろうと
その時
気が付いた
ああ
自分は
薄っぺらい
「昔
君みたいに
名前を
付けてくれた人が
あったよ」
「え」
「その人は
私のことを
『月』と
呼んだよ」
「そう……」
そのとき
その昔の人に
少し嫉妬を
感じた
「すっかり
忘れてたけど
思い出したよ」
ミドリさんは
立ち上がって
突然
朗々と
歌い始めた
「うーみーにー
おふねーをー
浮かばーしーてー
いってーみたいーなー
よそのー
くーにー」
すごい声量だ
その間
海が
荒れた
「え」
波が
渦巻いて
立ち上がり
葛飾北斎の
絵のような
光景に
なった
僕は
海を
二度見した
歌がおわると
すぐ
何事も
なかったかのように
静まった
「私
甘いもの
大好きなんだ
ありがとう」
「また
買ってくるよ」
「いいよ
いいよ
高いでしょ
今
百年分くらい
食いだめ
したし」
「そう……」
確かにまんじゅうは
高価だ
今回も
僕の
お小遣いでは
痛い出費だった
でも
海老で鯛を釣った
ようなものだよ
と思った
「海には
甘いものが
ないからね」
「たい焼きは泳いでないし?」
「たい焼きは泳いでないし」
そう云ってから
二人で顔を見合わせて
「あっはっは」
と笑い合った
「甘いもの
自分で
買わないの?」
「私
お金
持ってないからね」
「どうやって
生活してるの?」
「魚とか食べてるよ」
「また差し入れ
するよ」
「ありがとう~」
「エリクサーを
売れば
いい収入に
なるんじゃないかな」
「無理
無理」
「どうして」
「君に
あげたくらいの量を
作るのに
百年くらい
かかるからね」
「そうなんだ」
貴重なものだったのだ
あまりに気安くくれたものだから
気にしなかった
「材料が
私の
涙だからね」
「え」
「めったに
泣かないんだ
私」
そうだろう
ミドリさんの
泣き顔は
想像できない
日向子ちゃんの家に
行った
こわばった顔をして
彼女は
近寄って
来なかった
「ごめん」
「ううん」
「今更だけど
あやまりたかったんだ」
「いいの」
「いろいろ
あったんだ」
「セトくんは」
「うん」
「私と
違う流れ方の
時間の中に
いるような
感じがしてた」
「そう」
「私は
セトくんの
そういうところに
癒されて
いたけど
やっぱり
一緒には
いられないね」
「うん」
日向子ちゃんが
遠い
僕たちの間を
ざーっと
潮が
引いていくのが
見えた
「さよなら」
「さよなら」
終わった
意外と
釣り落とした魚は
大きかった
気が付くと
とっくに
夏は終わっていた
両親と
進路の話をした
このあとに
続く
グダグダっぷりに
しばらく
お付き合い下さい
まず
東京の芸大に
行きたい
とは
云えない雰囲気
絶対に
「どうやって
食べて
いくんだ」
と云われることは
目に見えている
「近くの
国立大に
いって
公務員に
なるよ」
「学部はどこに
するんだ」
「文学部かな」
「文学部。
文学部なんかで
なにを学ぶの」
母さんが反対した
いつも
こうだ
母さんは東京の私立大の
文学部を出ている
たぶん
そのことを
後悔しているのだろう
自分が歩いて
失敗したと
感じた道は
僕が歩くことを
反対するのだ
同じ理由で
僕は
中学の時
ブラスバンド部に
入れなかった
母さんが
ブラスバンド部で
成績が
暴落した経験があるからだ
「うーん」
「他にやりたいことは
ないのか」
芸術と文学がダメなら
もうあと一つしかない
「生物の勉強かな」
「理学部か」
父さんが
露骨に
嬉しそうにした
そうだろうなと感じた
僕は
親の希望に寄せて
自分の希望を
選んでいる
父さんは
北海道の大学の
獣医学部を
出ている
そして
獣医師免許を持っている
そして
県庁に勤めていた
今は
市内の
ワクチン製造会社の研究室に
再就職した
大した人なのだ
「いいじゃないか
理学部
父さんは
応援するぞ」
「マサくんは
今
文系でしょ」
「そうなると
理転か」
「そうだね」
「大丈夫だろう
マサシなら
できるよ
いいじゃないか
夢があって」
「本当に
大丈夫なの
マサくん」
「うん」
「マサシは
昔から
虫や動物が
好きだからな
向いているよ」
決定だった
一人で
冷静になって
考えてみた
理学部を出て公務員か
例えば
とべ動物園は
県立だから
飼育員は
公務員のはずだ
でも
そうしょっちゅう
募集が
あるとは
思えない
ここが一番ネックだ
面白そうな仕事だとは思う
興味はあった
けど
飼育員になるなら
その専門の学校が
あるはずだ
でも
僕は
「お利口さん」の
免罪符が欲しいのだ
今まで
さんざん
免罪符を
使ってきた
からだ
それには
「国立」大学を
出なくては
ならない
僕には
肩書きが必要だった
肩書きが無ければ
丸腰になるからだ
社会で
やって行く
自信が無かった
武器が
必要ない奴は
いいよな
強い奴は
それでいい
でも
僕は駄目だ
だから。
理学部を出れば
普通なら
研究職になるのだろう
例えば
密林で暮らしゴリラと共に
寝起きする
とか
高山植物を調べるために
ロッククライミングする
とか
生物学者の
フィールドワークって
過酷なものしか
知らない
そういったことを
僕にできるとも
思えない
他には
企業の研究室に
就職するとか
これも
ある意味
厳しそうだ
成果を上げなくては
ならない
まあ
どちらにしろ
公務員試験は
受けることに
なるだろう
なら国立大を出ておけば
いいんだ
研究職以外もあるだろう
多分。
こんな甘い
認識で
僕は
予測不可能な方へ
スイッチング
した
船頭多くして
船は何処へ行くことに
なるんだろう
やっぱり
山へ登るのか
僕は
自分の方針を
持った方が
良かったのだ
当時
持っている
情報が少なかった
子供だから
無知だったのだ
それに
理転することに
なったのだし
理系の数学と化学を
独学で勉強しなければ
ならない
とりあえず
教師に相談したら
数学の教師が
いろいろな学校の
数学の教科書を
貸してくれた
未だに
返していない
先生
すいません
それから
僕は
がむしゃらに
勉強した
日向子ちゃんも
いないし
ただ
孤独の中で
勉強と僕だけの
蜜月だった
模試を受けても
ぱっと
しなかった
数学と化学
無理じゃないか
問題は
大学を
どこにするか
だった
候補は
県内の
香川大学か
向かいの
岡山大学か
同じ四国内
愛媛県の
I大か
だった
広島大学は
ここからちょっと
距離があるし
偏差値的に
無理
香川大学は
当時まだ
理学部がなかった
I大は
考えたことが
なかった
I大の偏差値も
よく
知らない
つまり
岡山大学しかなかった
本当は
偏差値的には
岡山大学も
少し無謀だったのだが
第一希望:岡山大学
第二希望:I大
センター試験は
ボロボロだった
得意の現国は
簡単すぎて
皆が点を
とったはずだ
苦手の英語は
やっぱり
簡単すぎて
もっと
勉強するべきだった
ネックの数学は
ほんとかよ
と思うくらい
難しく
びっくりするくらい
点が
とれなかった
岡山大学は
D判定
つまり
合格率二十パーセント以下
まずい
試験前日は
岡山市のホテルに
泊まった
母さんも
隣に部屋をとった
当日
試験には
会場の前まで
ついてきて
なんだか一所懸命
励ましてきた
僕は
逆に
緊張が高まって
鼓動が激しくなり
頭に血がのぼって
気分が悪くなり
試験問題が
まるで頭に
入ってこなかった
何を書いたか
見当がつかない
発表は
一人で見に行った
が
僕の番号は
なかった
なんだか
頭が
真っ白になって
どこをどう
移動したのか
気がついたら
港にいて
曇り空で
海は鉛色で
瀬戸内海の
反対側で
水も
暗い色をしていて
上下する
暗い海面を
見つめていたら
頭が
ぐらんぐらん
してきて
気がついたら
飛び込んでいた
冷たい
すぐ
上下が分からなくなり
僕はどんどん
沈んでいくらしかった
あ
しまった
父さん
ごめん
そんなつもりは
なかった
けど
死ぬかも
はずみだよ
人が
自殺するときなんて
こんなものなのかもしれない
とうさん
ごめん
と繰り返すうちに
だんだん
気持ち良くなって
いった
しまったなあ
こんな感じで
死ぬのか
僕は
ああ
寒い
ふわふわする
だんだん
何も考えられなくなってきた……
……
ぐんっ
何かに押し上げられた
今度は
どんどん
上昇して行くらしかった
ざばぁ
海面に
ミドリさんが
高々と
赤ん坊を
たかいたかいする
みたいに
僕を
抱え上げて
いた
すごい腕力だ
僕は
激しく咳き込んだ
僕が吐いた水が
ばしゃばしゃ
ミドリさんの顔に
かかっていただろうけど
ミドリさんは
一向に意に介しない
ミドリさんは
ぐんぐん
岸へ
泳いで行って
僕を
テトラポットに
座らせた
僕は
座らされた衝撃で
うずくまって
げえげえ
水を吐いた
涙と鼻水とよだれだらけの顔で
ミドリさんを
見た
「海で死んだら
だめだぞ」
「ミドリさん……
ありが……とう……」
「海で死んだら
永遠に
寒いんだから」
「死ぬ……つもりは……」
「寒中水泳とか?」
「いや、はずみ……」
「まあ
まんじゅうの
お礼だよ」
「そもそも
まんじゅうが
お礼だし」
「私
また
瀬戸内海を
うろうろ
し始めたんだ」
「そう」
「もう行くね」
「うん」
「ばいばい」
「また会いたい」
「うん
またね」
ミドリさんは
沖へ
泳いでいき
潜った
イルカのような
尾がはねた
ミドリさんは
人魚だったのだ
瀬戸大橋を渡って
家に
帰るころには
制服は乾いていた
海に
飛び込んだことは
たぶん
家族には
知られていない
はずだ
と思う
磯臭いので
こっそり
クリーニングに
出した
靴は捨てた
後期試験は
I大を受けた
前日に
一人で
松山に泊まり
一人で会場に
行った
前期試験に受かった奴は
後期試験に来ないから
試験を受ける人が
まばらで
リラックスして
のぞめた
今までで最高のできだった
たぶん
百点だったはずだ
I大もD判定だったのだが
発表は
父さんが見に行って
くれて
父さんが
電話をかけてきて
母さんが出て
「受かったって」
と僕に伝えた
待てば海路の日和あり
一浪した人は
すごい
一年間
プレッシャーに
押し潰されなかった
のだから
一浪だけじゃなくて
二浪も三浪も……同じことだが
僕は
再チャレンジするような
根性は
持ち合わせて
いなかった
一発合格しなければ
潰されていた
だけど
僕が
再チャレンジしてきた人に
対して
抱いている
尊敬を
人に説明するのは
難しくて
あえて
人に話したことは
ない
意識したことのない
第二希望の
I大は
実に
いいところ
だった
僕には
偏差値の高い大学より
のんびりできる大学が
良かったのだ
知らなかった
目から鱗が落ちた
I大は
なんだか
いい奴ばっかりが
いて
面白い奴が
いっぱい
いて
松山の
町も
時間が
ゆっくり
流れている
入学式に
かあさんが来て
「うわあ
『よもだ』だあ」
と云った
「よもだ?」
「伊予弁じゃないかしら
のんびりしてる
とかなんとか
そういう意味らしいけど」
「初めて聞く」
松山の駅前を
歩いている人の
スピードが
ゆっくりだと
きゃあきゃあ
はしゃいでいた
「いいじゃない
マサくんに
ぴったりよ」
母さんは
東京が基準だから
そりゃ
松山の人が
ゆっくりに
見えるよね
日向子ちゃんが
云った
言葉を
思い出した
「セト君の
周りを
流れる時間が
違う」
母さんが云ったことと
合わせると
松山市に
流れる時間の速さは
僕に
合って
いるのだろう
かあさんは
学校を見て
「バンカラだわあ」
と
いたく感動していた
僕は
その後
大学の居心地が
良すぎて
大学に残り
研究者になった
大学の
英語のテキストが
デズモンド・モリスの
「裸のサル」
だった
人間は
一度
海に
還った
生物だというのだ
ミドリさんは
海に
還ったままの
人類なのかもしれない
ミドリさんは
僕にとって
姉のようにも感じたし
年下のようにも
思えた
在学中に僕は
スキューバの免許も
とった
現在
僕は
瀬戸内海の
とある島の
海洋生物研究所で
暮らしている
研究所の施設は
潮で
赤さびだらけで
ぼろぼろで
ゴキブリの代わりに
フナ虫が出て
布団や畳が
しょっぱくて
風呂の湯も
塩辛くて
出て来る飯は
不味くて
でも
いいところだ
なんだか
いいやつらばっかりで
楽しく暮らしている
研究は
楽しくて
楽しくて
たまに
浜に
下りて
季節によっては
ウニを
拾って食べたり
夜は
研究所の仲間と
酒盛りをすることも
ある
僕を含め
全員が
下戸で
全員が
少ししか飲めないのが
また
いいのだ
酒盛りのときは
決まって
みんなが
「ミドリ」を
買ってきて
くれる
僕が
お気に入りの
メロンリキュール
今日も
僕は
海を眺めながら
ミドリさんが
泳いでいないか
探す
再会は
まだない
僕が
生きているうちに
また
逢いに来て
欲しいものだ
話したいことが
いっぱい
できたから
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