笑顔を見せるその時に

3/275

1241人が本棚に入れています
本棚に追加
/275ページ
α、β、Ω。 小学校の授業で習ったことがある。 αとΩは番という関係になることが出来て、 一生を共にすることができるとその中では言っていた。 「僕がΩで蒼がαならずっと一緒にいられるんじゃないの?」 父が何かとんでもないものを聞いてしまったような表情で眉を顰める。 「ダメだ。 残念だけど世界はそんなに簡単なものじゃない。 特に蒼君の家はα同士でしか結婚しない名家だ。 彼に期待をさせないためにも、間違いがおきないためにも、離れなさい」 心の中がもやもやした。 蒼といると他の誰からも感じることができない温かさがあるのに、 それなのに、どうして離れないといけないのか。 Ωだからとかαだからとか、よくわからなかった。 ただそれよりも僕の中に刺さったのは、 “蒼に迷惑をかけたくない”ことと “蒼を傷付けたくない”ということだった。 「僕といると、蒼は困るの?」 「あぁ、必ず困ることになる。 奏もだ」 理解は全く出来ていなかった。 ただ、一緒にいると良くないと言われていることだけは分かる。 「退院したらどうせ会わなくなるよ……」 「まあそうだな。 ごめんな、辛いことを言った」 父の大きな手が僕の頭を撫でる。 父のことは好きだった。 これまでだっていつだって、僕のことを考えてくれていた。 「日向ー!話終わった?」 蒼がドアから顔を出す。 初めてあったあの時のように。 「あぁ蒼くん。待ってくれてありがとう。 この子はもうすぐ退院できそうなんだ。 入院中は仲良くしてくれたみたいで本当にありがとう。 それじゃあお父さんはそろそろ帰るよ」 父が出ていくや否や、 蒼は僕に何かを差し出す。 一瞬、それが何か分からなかった。 青の折り紙で折られた、鶴……? 「退院決まって良かったな! 僕ここにいるから、元気になってもたくさん会おうよ。 これ、これからもずっと幸せでいられるように折り鶴あげる」 蒼と同じ名前の青色で折られた鶴。 僕にプレゼントしようと折ってくれているところを想像したら、胸がきゅっと締め付けられた。 「……ありがと」 両手を差し出したら、蒼がそこに鶴を乗せてくれる。 そこから何か、温かなものが広がっていくような気さえした。 「僕、君のこと好きだよ」 唐突に告げられ、呆気にとられたような顔で見つめ返す。 いつもの明るさとは裏腹、 真剣な瞳の蒼に心臓の高鳴りが抑えられない。 いや、これは違うだろ。 そういうのじゃなくて。 友達として好きとか、そういうこと。 胸の鼓動が聞かれてしまうのではないかと心配になるほど、おかしくなっていた。 こんな気持ちは初めてだった。 「そういえばネームプレート見て気づいたんだけど、日向って名字なんだね。 看護師さんがあそこに書いてあるのは名字なんだーって言ってた。 名前は何て言うの?」 「あ……」 “お前が仲良くすると彼は傷付くことになる” 「えっと……」 僕より何年も生きている父が、あんな表情をしながら訴えたことが、嘘であるとは思えない。 きっと僕には分からない弊害があって、 それはとても大きな、大きなものなのだ。 一度だけ軽く下唇を噛む。 この優しい人が傷付く未来や困る未来は、作ってはいけない。 「ソウって言うんだ」 自分の名前が”ソウ”とも読むことは母に聞いたことがあった。 そしてこの嘘は、もう蒼には会わないことへの誓いのようにも思えた。 それから僕は退院をして、 それ以降、病院へ足を運ぶことはなかった。 ーーゆっくりと目を開けると、 そろそろ大学へ行く時間になっていた。 少しだけ目元に涙が溜まっている。 こんなことを思い出すのは、同じ大学に朝霧蒼がいたからだ。 俺が必死に勉強して入った大学の入学式で首席挨拶をしていた。 こんなところで、再会するなんて。 あれからもう10年経っているし、覚えているはずがない。 おまけに俺は今、ヒナタソウでなく、サヤマカナデだ。気付く要素さえない。 元々住む世界の違う人だ。 関わることはないし、今なら父が言っていた意味もよく分かる。 立ち上がると気持ち悪さが込み上げてきた。 先ほど打たれた注射のせいだ。 何より、俺の今の悲惨な状況は知られたくない。 もう10年も前に、俺は関わらないと決めたのだから。
/275ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1241人が本棚に入れています
本棚に追加