追憶

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「伊縁、蛇道をぼんやり歩いていたら、ころげ落ちるぞ」  寺へ向かう途中に、蛇道と呼ばれる曲がりくねった道がある。注意して歩かなければ、足を踏み外しそうなほど細い道だ。枝と枝の間を忙しく行き来する生き物を見ながら歩いていると、後ろから声を掛けられた。  伊縁が振り向けば、ついこの間名前を改めたばかりの、三つ年上の少年が怖い顔をして立っていた。 「正興(まさおき)様」 「お前はいつもそうやって上の空だから、武術の稽古をしても、あっという間に負けてしまうのだ」 「はい」 「まったく仕方のない奴だな、伊縁は」 「申し訳ありません」  正興様と呼ばれた年上の少年は、ひょいっと伊縁を追い抜き手を差し伸べた。威圧的な物言いながらも、伊縁が転ばないよう手を貸してくれるつもりらしい。 「ほら」 「え」 「捕まれ」 「正興様のお手をわずらわせるなど出来ません」 「馬鹿、そんなことを言っている場合か。早くしろ」 「はい」  正興様の手を借りて蛇道を渡り終えた伊縁は、ほっとひと息つくと、深々と頭を下げた。 「ありがとうございました」 「そう思うのなら、さっさと歩け」 「はい」  この寺では、身分や年の差はさほど問題にされない。いずれはみんな、道明家の家臣として道を違えていく運命ではあるけれど、今はこうやって、肩を並べて同じように学問に励むことが出来る。そんなところも、伊縁が寺通いを好む理由のひとつだ。  寺の質素な外観が見えてきた頃、伊縁はいつもと様子が違うことに気付いた。 「正興様、何やら人が多いですね」 「ああ、そう言えば今日だったな」 「え?」 「秀将(ひでまさ)様が寺子になられるのだ」 「秀将様が?」 「道明沢武士の子弟とともに、学ばれたいそうだ」  道明沢の領主、道明元秀様のご長男である秀将様もこの寺へ通われると聞いて、伊縁は小さく震えた。  一、二度お目にかかったきりの秀将様は、たしか伊縁の四つ年上だ。元秀様のご側室のお子様だそうだけれど、伊縁にはそれがどういうことなのか、しっかり理解は出来ていない。ひとつ分かるのは、次の領主様の座に一番近い方が、秀将様だということだ。 (そんな方と一緒に、寺で学ぶだなんて)  はっきりと覚えてはいないけれど、お会いした時の秀将様は、たしか一言も話されたことがないように思う。人柄もまったく分からない。どのように挨拶をして、どのように接すればいいのだろう。
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