相思

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「ひ、ひ」 「お前は俺の片腕だと言った筈だ。片腕を失くす方が、痛いに決まっているだろう」  伊縁は、夢でも見ているのだろうかと思った。いや、蛇道から滑り落ちた時に、頭を打って死んでしまっているのかもしれない。けれど秀将様の腕の力は強くて、それが夢などではないことを示していた。  正興様から、「好きだから小姓になったのか」と問いただされた時は、違うと言い返したものの、心の中に煩悩を飼っていないと言えば噓になる。  恋心を自覚したのは小姓になってからだけれど、伊縁の心は、ずっと秀将様だけに向いていた。秀将様のことを思うたびに、心の鈴が鳴っていた。  けれど当然のことながら、秀将様の隣にいて良いのは奥方様やお子様であり、自分などではない。自分はあくまでも秀将様の小姓で、その身を盾にするだけの存在。少し認められたからと言って、舞い上がってはいけない。  そんな葛藤で潰れそうになりながら眠れぬ夜を過ごし、日が昇れば、小姓としておつとめを果たさねばと思い直す。そんな日々を送っていたというのに。  こんなことがあって良いのだろうか。今、自分は秀将様の腕の中にいる。  秀将様は、伊縁を抱き寄せたまま続けた。 「俺の見えないところで、尽くしてくれていたことは知っていた。俺に認められずとも諦めなかったことや、苦手な武術に立ち向かったことも見ていた。何があっても、必ず俺のそばにいるものと思っていた。だがお前を探している間、お前がいなくなることを想像するのは苦痛だった。何より、お前を失うのが一番痛手なのだと」  秀将様の手にぐっと力が入り、その言葉が真実であると伊縁は知る。 「襲ってきた奴の顔は見ていないか」  暗くて顔は見ていない。けれど、あの蛇のようにぎりぎりと締め付けてくるような重苦しい圧力。あれはやはり……。 「知っている奴なのか。そうなんだな……正興か」 「秀将様、まだ何とも」 「あいつは何かとお前に絡んでいたな。正興は俺の従弟にあたる。母に男子が生まれない以上、実家の蓮司家は、間違いなく正興を祭り上げてくるだろう」 「そんな……」 「今日の茶会も、父は乗り気だったが、母の歯切れは悪かった。俺が妻をめとれば、蓮司家の出る幕はなくなる。向こうも焦っているんだろう」  正興様の、何か思いつめるような、暗い目つきを思い出す。昔にはなかった正興様の闇の部分を垣間見たような気が、伊縁はしていた。
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