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「正興を問い詰めるか」
「秀将様! それはご辛抱を」
「お前は正興を庇うのか」
「そういうわけではございません。もし今回襲ったのが正興様だとしても、わたくしの記憶だけでは、確たる証拠とはならないでしょう。わたくしが何もなかったようにふるまえば、正興様は、もっと大きな悪計を仕掛けてくるに違いありません。その時こそ勝機かと」
「お前は何を言っている。今日よりもっと危険な目に合うんだぞ」
「今日は、本当にわたくしの不注意でございました。ですが、わたくしはいつでもこの身を盾にする覚悟は出来ております」
伊縁は、そっと秀将様から身体を離した。自分の役目を口にすることで、気持ちの整理もついた。
正興様の件は、自分が引き受ける。秀将様への風当たりを減らせるのなら容易いことだし、何より秀将様の役に立てるのが嬉しい。
秀将様には、奥方様を貰って次期領主となっていただき、道明沢の領民の生活を良くするという夢を叶えて欲しい。
自分は、秀将様にいただいたこのぬくもりだけで、天にも昇る心地なのだから。
そうやって、秀将様への初恋に終止符を打とうとした伊縁に、秀将様は怒ったような呆れたような目を向けた。
「だからお前は馬鹿だというんだ。勝手に話を終わらせるな」
「……え?」
「俺は、まつりごとの道具でも構わないと思っていたが、お前を失いかけて気が変わった。妻はめとらん」
一度しか言わないからよく聞け。秀将様は、ぶっきらぼうな口調で続けた。
「二度と俺のそばから離れるな。お前がいればそれで良い。分かったか」
「……」
まるで言葉が出てこない。怖いようにも思える口調と、言われた言葉の意味。伊縁は、頭がどうにかなってしまいそうになる。
口をぽかんと開けたまま、すっかり固まってしまった伊縁を前に、秀将様はもう一度大きく溜め息をついた。
「おい……おい、伊縁。聞いているのか」
「……あ、はい。秀将様」
「分かっているのか、本当に」
「……おそらく」
伊縁のはっきりしない物言いに、秀将様は「これなら分かるだろう」と今度は両腕を伸ばして、伊縁の細い身体をきつく抱いた。
「正興には、絶対に渡さん」
壊れそうなくらいの力で抱きしめられ、伊縁は、本当にもう壊れても良いとさえ思った。
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