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「話が変わった。正興とは、早いうちに決着を付けねばならん」
「と、おっしゃいますと?」
ある晩のこと。夕餉を終えた秀将様からそう言われて、伊縁は戸惑った。
たしかに蓮司家の悪計をそのままにはしておけない。けれど、元秀様が見て見ぬ振りをしていることを思い、今まで秀将様は我慢を重ねて来られた。証拠がないうちは、正興様を泳がせることも承知してくれた筈だったのに。
早いうちに決着とは、どうしたことだろうか。
「母を通じて蓮司家が動いた。俺が戦の先陣を指揮するよう、父に進言したそうだ。俺に何かあっても、正興がいれば道明沢は安泰だからと」
「そんな!」
戦の話は、たしかに伊縁も父から聞いていた。都を攻める陸路のひとつに、とうとう道明沢が目を付けられてしまったのだと。そうなれば、道明沢が要塞や足止めの拠点として使われるのは間違いない。
館はもちろん明け渡し、家臣や領民は殺されるか、良くて捕虜にされてしまう。ならば、攻めてきた相手と戦うしか道はない。
近領との戦などに比べたら、まず無傷では済まないだろう。けれど、道明沢武士の誇りを掛けて真っ先に戦うのが先陣の役目だ。道明沢の入り口で出来る限り時間を稼ぎ、領主や家臣領民を守る。その役目を秀将様に──。
(死にに行けと、言っているようなものではないか、元秀様は!)
「遅かれ早かれ、戦になるのは必至だ。それまでに、正興の奴には分からせてやらねばならん。伊縁に手を出したらどうなるかを」
「秀将様、そんな呑気なことを言っている場合ではないでしょう。わたくしのことなんかより、秀将様の身の方が心配です!」
「お前の方がよっぽども心配だ」
「秀将様の方です」
「口答えする気か?」
「こればかりは引けません!」
伊縁は、こみ上げてきそうな涙をぐっと堪えた。
「おい、伊縁」
「申し訳ございません。秀将様がわたくしなんかを案じて下さるなど、いまだに信じられず……」
「二度は言わんと言った筈だが」
「はい……はい。秀将様」
「……来い」
秀将様は、口数の多い方ではない。寺に通っていた頃もそうだった。
言葉少なだけれど、伊縁を特別に思ってくれているのは分かる。分かるけれど、そんな幸せなことがあって良いのだろうかという思いの方が勝ってしまうのだ。
ためらう伊縁を、秀将様は自分の胸元へ引き寄せた。
「問い詰めはせん。けん制を掛けるだけだ。お前は、俺の後ろで控えていれば良い」
「……はい」
「大丈夫だ。父や蓮司家の思惑通りになど、そう簡単にさせてたまるか。お前とふたりで、この道明沢を良くしていくのだからな」
「はい」
秀将様が約束してくれるのなら、きっと大丈夫。自分は、ただ秀将様を信じるのみ。この一心な思いが、どうか秀将様を守りますように。
伊縁の思いを感じたかのように、秀将様は、強く伊縁の身体を抱きしめてくれた。
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