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組み討ちの試合が終わったところで、秀将様とお話出来る機会が増えたかと言われれば、そんなことはなかった。
数日が過ぎても秀将様は相変わらずひとりで過ごされているし、寺子たちは、それを少し遠巻きに見ている。
何事もなかったかのように庭へ戻られた秀将様は、お褒めとねぎらいの言葉を下さったそうだけれど、だれを気に入るだとか、だれを取り立てるだとかについては、一切触れることもなかったらしい。下心を隠し持っていた上級武士の子どもはいくらか残念そうにしている。
そんなことよりも、早いこと秀将様にお礼を申し上げなければ。今日こそはと思いながら、手ぬぐいは返せないままでいる。伊縁は綺麗に洗って畳んだ手ぬぐいをそっと胸に当て、深呼吸をした。
「ひ、秀将様」
帰り支度をさっさと済ませた秀将様は寺を出るのも早く、伊縁はつまずきそうになりながら、あとを追いかけた。名前を呼ばれた秀将様が、足を止めて振り向く。だれだと言わんばかりの強い眼差しに、思わず伊縁は俯いてしまった。
「あ、あの……あの、ありがとうございました……」
ああ、どうして自分は、次期領主様にきちんとしたお礼も言えないのだろう。伊縁は顔を上げられないまま、かろうじて返すべき手ぬぐいを差し出した。
「ああ。あの時の奴か」
秀将様の声から警戒心が消えたように思え、伊縁はそっと目を上げた。見れば、口の端にちらりと笑みのようなものが浮かんでいる。あの時の伊縁の負けっぷりを思い出しているようだ。
「あのようなところを……、その、申し訳ございませんでした」
「武術は嫌いか」
「は、はい。あの、申し訳ございません……」
秀将様の方から聞き返して下さるとは思わず、伊縁はまた口ごもってしまう。
すると秀将様は、くつくつと笑い始めた。伊縁は驚いて見つめるばかりだ。秀将様が、こんなに楽しそうな顔をされるなんて。
ひとしきり笑われたあと、秀将様は口を開いた。
「お前は謝ってばかりだな」
「も、申し訳ござ……あ」
「良い。面白い奴だ。お前に武術が性に合わないのはすぐに分かった。むやみに稽古を繰り返したところで上達などしないだろう。お前の得意な学問のように、理屈で覚えれば良いのだ」
「学問のように……」
「そうだ。俺には許されないことだが、お前の場合は、それらしく動けていれば問題なかろう」
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