第十七話・訪問客

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第十七話・訪問客

 告別式は家族だけで執り行った為、後から訃報を聞きつけた人達が、個人的に大輝とのお別れをしたいと自宅を訪れてくることがしばらく続いた。それは産後からそれほど日の経っていない優香には負担が大きかったけれど、どの人も心から大輝のことを偲んで、妻である優香にも知らない夫の話を聞かせてくれた。  乳児のお世話に明け暮れていた中、気を抜くとすぐに塞ぎ込んでしまいそうになっていた優香。訪問客を相手に気丈に振舞うことで、精神を何とか平静に保っているところがあった。 「あの現場は、元は俺の担当だったんです。でも、現場の職人さん達と上手くやっていけなくて、石橋さんが担当替えしてくださったんです……だから、本来はあそこは自分の現場だったのに……本当は死んでたのは自分の方だったかもって……」  初七日を終えた頃に顔を見せた藤本は、大輝の会社の後輩だ。入社後の指導係をしていた夫によく懐いていて、休日に一緒にバーベキューをしたこともある。少し気の弱いところはあるが真面目で良い奴だと、生前の夫がいつも褒めていた。  社会人の草野球チームに参加しているらしく、よく日に焼けていて爽やかなスポーツ青年という感じだ。  でも、久方ぶりに会った藤本は、げっそりとコケた頬に、目の下には色濃い隈まで作っていた。玄関前に佇んでいた彼のことを、一瞬誰だか分からなかったくらいに様変わりしていた。見るからに気に病んでいる風で、産褥期を終えたばかりの優香の方が心配してしまったくらいだ。  仏壇の前で正座したまま、藤本は膝の上で握りしめた自分の拳を見つめている。嗚咽を堪えているのか、夫の後輩は小刻みに身体を震わせて話し続ける。 「あそこの現場はいろいろと杜撰で、いつ事故が起きても不思議じゃない状態で……石橋さんに監督を代わって貰って、少しはちゃんとするようになったって聞いてたんすけど……」  そこまで言ってから、藤本は泣き腫らした眼で優香の方に顔を上げた。 「奥さんが会社に対して訴えるつもりでおられるんだったら、自分は何でも証言させてもらうつもりでいます」 「……え?」 「現場の状況とかを、俺が担当していた時のことならいくらでも。石橋さんの無念を俺が代わりに――」  陽太を腕に抱いて、ゆらゆらと揺すりながらあやしていた優香は、藤本の言葉に目をぱちくりさせる。確かに、大輝の死は職場での人為的ミスによる事故によるものだ。でも、宏樹が走り回ってくれたおかげで労災の手続きは済んでいるし、会社側も真摯に対応してくれたように感じていて、それ以上のことは望んではいない。  勿論、今後も同じ事故が起こらないよう、会社や現場に対しての注意喚起という意味で、訴えを起こすことも必要なのかもしれないが……。 「いえ、子供もまだ小さいですし、私はそういうのはちょっと……」 「ああ、そうですよね。すみません、出しゃばったこと言っちゃって」  平日の昼にここに居るということは、彼は今日の仕事には出ていないということだ。憔悴しきった感じから、おそらくは大輝が亡くなってからずっと欠勤が続いているのかもしれない。出勤してきたとしても、まともな仕事にはならないだろう。  まだ20代前半の藤本には、ショックが大き過ぎて消化しきれない出来事だったはずだ。 「夫はただ、運が無かっただけだって思うことにしたんです。誰かを責めることで、大輝が返ってくるなら喜んでそうしますけど。これからこの子と二人でどう生きていこうかってことで頭は一杯で、今はそれどころじゃないっていうか――」 「分かりました。奥さんがそうおっしゃるんでしたら……」  彼にとっては勤めている会社と戦うことが大輝への弔いのつもりなのかもしれないが、優香には夫が残してくれた小さな息子との生活を守り抜くことの方が大事だ。守るべきものがある自分はとても救われている。  でも、怒りをどこかへぶつけようとする元気があるのなら、きっと藤本も大丈夫。しばらく経った後、時が彼のことを癒してくれる日は必ず訪れるはずだ。 「石橋さんにはよくしていただいたんで、本当に悔しくって……随分前からこの仕事は向いてないって感じて辞めるつもりでいたんですけど、今そんなことしたら先輩から怒られてしまいますよね」 「だと思います」  短く相槌を打ち返して、優香は静かに男の様子を見守っていた。夫に会いに来る人はみんな、自分の中にある何かしらのけじめを付ける為に訪れてくる。後回しにしていたお礼や懺悔など、客によって理由は様々だが、亡き夫の死がそのキッカケを与えているのは確か。  そしてみんな、大輝が生きていたらこう言っただろう、こうしただろうと言う。まるでまだ大輝がそこに居るかのように、彼の言葉を代弁する。その中には優香の知らない夫の姿もあって、少し不思議な感覚だった。すでに亡くなってて居ないはずの夫なのに、これまで知らなかった新しい一面を発見するのだ。もう十分に彼のことを知っているつもりだったのに、まだまだ知らないことが沢山あったのだから驚きだ。
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