第二十話・ないものねだり

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第二十話・ないものねだり

 前日の春子叔母さんから振られた再婚話は、正直言って辛かった。もう他の人達の中では大輝がとっくに過去の存在になっているのかと思うと、無性に胸が苦しくなった。 「子供が小さい今の内なら何とでもなるのよ。大きくなってから急に新しい父親ができて、それがキッカケで不良にでもなったらどうするの? 母親が後ろばかり向いてたら、陽太が可哀そうよ」  せっかく持ってきた見合い話に優香がまるっきり興味を示さないことが、叔母である春子には不満だったようだ。仕事で生命保険も取り扱っているから、配偶者に先立たれた人達とは関わる機会が多い。だからこそ、可愛い姪には苦労が少なくて済むようにと最良の助言をしてくれたつもりらしい。 「……もしかして、あれなの? 向こうの実家から何か言われてるとかじゃないわよね? 長男の嫁なんだから老後の面倒を見ろとか、再婚するなら孫はこっちへよこせ、とか」 「ううん、それはない」  怪訝な顔で聞いてくる叔母に対して、優香は速攻で否定する。 「もしそうだったら、死後離婚とかも考えた方がいいわ。姻族関係終了届っていうのがあって、役所で簡単に手続きできるんだから」  放っておいたら話がいつの間にか全く違う方向へと進み始める叔母。優香はハァと露骨に深い溜め息をつく。すでに冷めてしまった緑茶の残りを一気に喉へ流し込むと、おもむろに席を立ってダイニングの隅に置かれた段ボール箱を開封し始める。黙って聞いていても嫌な気分にしかならないのなら、さっさと用事を済ませて家に帰った方がマシだ。母の字で『優香』と書かれた箱の中から、卒業アルバムなどを回収し終えると、リビングで遊んでいた息子のことを抱き上げる。 「残りは捨ててくれていい。後はもう要らない物しか入ってないから」 「あら、もう帰っちゃうの?」  膝に乗せてあやしていた孫を取り上げられて、母親が残念そうな顔をする。それには少しばかり胸が痛んだが、今日はあまり長居したい気分じゃない。また近い内に遊びに来るからと言い残し、優香はそのまま実家を出た。  普段通りに陽太を保育園の乳幼児用の保育室に預けた後、優香は職員室前の掲示板を眺めていた。育児に関わるお知らせなどを端から順に流し見していると、ふと一枚の掲示物で目を止める。  ――ひとり親交流サークル?  シングルマザーやシングルファーザーを対象とした育児サークルの案内。保健センターが主催になっていて、開催日が近かったこともあり、少しばかり興味が湧いてくる。念の為にと、優香はスマホのカメラを向けてそのお知らせを画像に保存した。  交流サークルが開催されていたのは、妊娠中に母親教室で訪れたことがあるのと同じ建物だった。当時は長机とパイプ椅子が並んだ、ただの集会室のようだったが、子連れ参加が前提の今回の集まりでは机と椅子は隅に畳んで片付けられ、床の半分にマットが敷かれている。 「初めて参加させていただく、石橋です」 「では、お母さんはこちらの名札を付けていただいて、お子さんには背中とかの自分では剥がせない場所にシールを貼ってあげてくださいね」  初回参加者向けのお知らせの入った分厚い封筒と一緒に、親と子それぞれ用の名札を受け取ると、優香は保健師らしき女性の指示に従ってマットの上に腰を下ろした。託児室も用意されているらしく、隣の部屋からは陽太よりも大きな子供達のはしゃぐ声が聞こえてくる。  陽太を膝に乗せてユラユラと揺らしながら遊ばせていると、部屋の入り口で受付をしていた女性が参加者へと円になって座るようにと指示してくる。今日の参加者は優香を入れて五人。父親の参加は一人も無く、母親ばかりだ。 「初めての方も居られますから、順番に簡単な自己紹介をしていただきましょうか。では、そちらの方からお願いして良いですか」  名前と子供の年齢など、他の育児サークルでもこんな感じで話し始めるんだろうなとは思ったが、今この場にいる参加者達はひとり親ばかり。シングルになった経緯まで話し始める人も何人かいた。 「子供が2歳になる前に、夫と離婚して」 「恋人と別れた後に妊娠が分かって。でも、子供はおろしたくなかったので一人で産みました。だから未婚の母です」  同じシングルマザーと言っても、人によって違う。ここに来れば同じ境遇の親子に出会えるのかと思っていたが、そうでもなさそうだ。彼女達は自分の意思で、自分で選んでシングルになっている。優香には選択肢なんて何も無かったのに……。自分で決めて、この場にいる訳じゃない。 「石橋優香と、息子の陽太です。子供が生まれてすぐ、夫が仕事中に事故死して――」  優香が自己紹介を始めると、参加者の一部が騒めいた。同情を含んだ嘆きが大半だったが、優香の左隣で未婚の母だと自己紹介していた女が、身を乗り出して問い掛けてくる。 「仕事中ってことは労災下りたんですよね? えー、いいなー。もしかして、家も持ち家だったりする? 旦那さん亡くなって、家のローンも無くなった?」  あまりの距離感の無い質問に、優香はぎょっとする。慌てた職員が制止に入ってくるが、未婚の母は優香に向かって「いいなー」を繰り返していた。 「子供一人育てるのに、こんなにお金が掛かるなんて思ってなかったんだよねぇ。ここに来たら、補助とかの説明して貰えるって思って来たんだけど」  何かそういう感じじゃないよね、とブツブツと呟いている。多分、彼女の場合は市役所の子育て支援窓口に行った方がいいんじゃないかと思ったが、優香は黙って目を反らした。優香の立場で口を挟めば、反感を買うのは目に見えている。彼女にとって、優香は夫の死でお金に不自由ない暮らしを手に入れた恵まれた女なのだから。  大切な人を突然失ってしまった優香は、本当に恵まれているのだろうか。失ったものの存在があまりにも大き過ぎて、よく分からない。
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