第二十五話・初めて会った君は

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第二十五話・初めて会った君は

 母親は親戚の法事へと出掛けていて、一人で静かにリビングでソファーに凭れて本を読んでいた時。何かの賞を受賞したとかいう話題作は、顧客との面談時の会話のネタになるかもというだけの理由で、義務的に目を通していただけだった。興味のない本はなかなかページが進まない。  とても穏やかな週末。一歳違いの兄は恋人と会うと言って昼過ぎから出ていった。デートの予定があるのに朝から近所をジョギングしていたのも知っている。どんだけ体力があるんだと、兄弟ながらも感心してしまう。  本のページを捲り、文字の羅列を目で追っていく。世間からどんなに高く評価されていようが恋愛小説は苦手だ。特に一目惚れ系の物は全く共感ができない。出会った瞬間に惹かれるなんていう経験は、今までしたことがない。それは単に、外見が好みだったってだけで、中身や人格なんて無視じゃないかと思ってしまう。そういうのはきっと、付き合っていく内に嫌になる。見た目も中身もタイプかどうかは一目じゃ分からないのだから。  ――そう思ってた。ずっと。  外出してたはずの兄の車が自宅前の駐車場に停まったのには、エンジンの音で気付いた。しばらくして聞こえた玄関から入ってくる話し声で、大輝が彼女を連れて戻って来たのが分かった。 「すぐに取ってくるから、ここで待っててくれる? ――お、まだ出掛けてなかったのか」 「今日は夕方から。それ、彼女?」  リビングのドアを開けて、筋肉ゴリラな兄が顔を覗かせてきた。兄の後ろにいた女性はぺこっと頭を下げて宏樹に向かって「こんにちは」と挨拶して来る。人懐っこそうな笑顔で、雰囲気の良さそうな人。それが優香に抱いた第一印象だった。 「ほら、今度実写化する映画あっただろ。あれの原作漫画が家にあるって言ったら、優香が読みたいって」 「ああ、そう言えば昨日もテレビで紹介されてたね」  大輝は優香を宏樹の向かいのソファーに座るよう促すと、リビングを出て一人で二階の自室へと向かう。初対面の相手と二人きりで放置していくのが、大輝の気の利かないところだ。少し緊張している優香のことを、宏樹は気に留めていないふりをする。  青年誌に連載されていたような男性向け漫画を読みたがるタイプには見えないのにな、と意外に思いつつ、宏樹は本の栞を挟んでいたページを再び開いた。  しばらくはキョロキョロと部屋の中を見回していた優香は、宏樹が読んでいる本に気付いたらしく、遠慮がちに声を掛けてくる。 「その本、どうですか? 友達から借りてこないだ読んだんですけど、私は最後まで主人公に共感できなくて……」 「うん、俺も全然。もうすぐ読み終わるけど、これがなんで評価されてるのか理解できない」  話題作だから「それメチャクチャ面白いですよね!」と話を合わせるべく真逆のことを言われるかと警戒したが、彼女も宏樹と同じ意見だった。世間一般の評価を押し付けてくるようなことはしなかった。二人で微妙な反応を示した本は、互いが同じ感性を持っていることを教えてくれた。  後から考えると、今まさに読んでいる最中の相手に向かって「それ読んだけど、イマイチでした」と言ってしまう優香もすごい。相手が宏樹じゃなかったら、軽く揉めてたかもしれない。  ほどなくして大輝が自室からコミックスを両手で抱えて降りてくると、優香はソファーでそれらを一巻から読み始めた。最新刊はまだ半分しか読んでなかったと、優香の隣で大輝まで漫画に目を通し始めて、リビングにはページを捲る音とそれぞれの息遣いだけしか聞こえない。  ――この人達、デート中だよな?  向かいの席に並んでいる二人のことをチラ見して、宏樹は心の中で首を傾げる。雑誌に掲載されているような、とまではいかないにしても、デートというのはもっと特別感を演出するべきものだと思っていた。自宅デートだったとしても、もっと一緒に何かした方がいいんじゃないかと、心の中で二人に対して突っ込んだ。  特別を演出しないとヘソを曲げてしまうような女なら、いくらでも知っている。 「……ふふっ」  その時、優香が小さな声で笑った。他人の家で、彼氏の弟もいるリビングで、ガチの青年漫画を読みながら声を出して笑っていた。声を漏らしたことを気にする風でもなく、笑いを堪えた表情のまま、続きを読み進めていた。  それがとても自然体で、とてもいいなと思ってしまった。気負いせずに一緒に居られる存在を見つけた兄のことが羨ましくて仕方なかった。  それからは会う度にどんどん惹かれていくだけだった。二人が結婚を決めたと聞いた時は、胸が張り裂けそうな程苦しかったが、同時に彼女が自分の身内になるんだと思うと嬉しくもあった。もし相手が大輝じゃなかったら、彼女との接点は無くなるも等しいのだから。
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