829人が本棚に入れています
本棚に追加
そうなった二人の話3
翌日、昨日の話通り昼過ぎに落ち合った。お昼を食べてふらふら街を歩いてから彼の部屋に向かった。
「お邪魔します」
と、小さな声で言うと「うん」と声が返ってくる。こんなやり取りも愛おしい。
ビーズクッションに寄りかかったり座ったりすることも慣れたけれど、楽しいことに変わりは無い。今日はどっちにしようかなと思いながら撫で撫でしていたらお茶を持ってきてくれた彼が笑う。
「それペットじゃないよ?」
「ペットみたいなものですから」
「怖」
そんなやり取りをして、今日はのんびりするんだからと映画を見ることにした。黙って映画を見ていてふと気付く。そういえば何か変だと思ってたけど、今はどこも触れてない。初めてこの部屋に入れてくれた日の夜から、ここに隣に座る時にはどこかが触れていた気がする。指だったり、腕だったり、抱き寄せられて寄りかかっていたこともあった。それは夜だけじゃなくていつも。…そんな気がする。気のせいかな。でもこんな風に違和感を感じるほど距離があった日はなかった筈。
こっそりと隣を盗み見た。いつもと変わらない様子の彼。だからほっとして不安になった。
映画を一本見終わって内容が頭に全然入っていないことに気付く。ちゃんと見ていた筈なのにこんな事ってあるんだ。考え事していた訳でもないのにな。
「他にも何か見る?」
と聞こえた声に時計を確認した。もう十八時近い。今日はまともに観れる気がしないし、これからもう一本映画を見たら帰り辛くなる。
「いえ。今日は…帰ります」
と、顔を見て笑顔で言った。今までもこの部屋に来ても泊まったり泊まらなかったり。今日も何とも思われないと思ってた。
「そう。分かった」
その言葉と一緒にテレビが消える。二人の顔が一瞬画面に映った。
「これから予定があるの?」
「あ、いえ…」
「じゃあ明日?」
「…」
すぐに帰る必要があるのかと、そうじゃないなら明日かなと。彼の質問の意味は分かっていた。今まで理由を言わずに帰宅した日もあったし、自分から伝えた時もあるし、こんな風に聞かれた事もある。予定が無いと伝えても自分の意思を尊重してくれることも知っている。けれど何も答えられなかった。嘘をつきたくないから。
「……あの…」
けれど何て言えば良いのかな。散々迷う沈黙を彼は待ってくれる。いつかのように何でも無いですとは誤魔化したくなくて、やっとの思いでこう言った。
「高埜さん…お疲れかなって思って」
そう言ったら珍しく沈黙が返ってきた。あれ? と思って顔を上げたら目が合った彼は笑う。
「そう思ったの?」
「…はい…」
「何で?」
「……なんとなく…」
「そっか」
思わせぶりな表情に少し不安になった。何か心配事でもあるのかな。それとも本当に凄く疲れてるとか?
「よく気付いたね」
と、彼は言う。やっぱり何かあったらしい。疲れ? かどうかは分からない。
「俺、変だった?」
「……そんなことは…な…というか、すいません。はっきりは分からないんですけど…」
そんなことより大丈夫ですか? 高埜さん。そう思って顔を上げたら目が合った彼はまた笑う。
「三咲」
と、手を握られて体が震えた。後から振り返れば緊張していた筈の彼の手は、そうじゃない自分の手よりもずっと温かかった。本当は自分の方がずっと緊張していたと熱が伝わってきて気付く。
「俺と結婚してくれない?」
「…え?」
何を言われたのか分からなくて聞き返した。遅れて聞こえてきた反芻で、やっと脳が理解する。結婚?
「あの?」
「俺は三咲とずっと一緒にいたい。理由はそれだけだよ。返事は今日じゃなくても良いから、ゆっくり考えて」
そう言った彼の手が離れかけて慌てて掴んだ。待って。待って下さい。そんなの必要ありません。
「あの、は、はい」
昨日一緒に住むか聞かれた時、何の心配も不安も感じなかった。もしも彼が受け入れてくれるのなら喜んでそうしたいと思って本心をそのまま答えた。
クリスマスの夜、この人となら幸せになれると想像した未来は今も変わらない。一緒に過ごした時間も背中を押してくれる。ずっと幸せだった。だから考える時間なんて必要ない。自分だってこの人と一生一緒にいたい。
けれど彼は少し沈黙してからこんな事を言う。
「…はい。って? それ返事?」
「はい」
「結婚するってこと?」
「はい」
「そんな即答して良いの?」
「はい」
「…ふーん。じゃあ、ここにキスマーク付けて良い?」
と、首に触れて言う。
「それは駄目ですっっ」
それとこれとは話が別です。
「駄目なの?」
「駄目です」
「じゃあ、他の所なら良い?」
そう言って、何も答えていないのに口を塞がれた。ぽす。とビーズクッションに押し倒されて、長いキスに息を切らした自分に彼が言う。
「明日、何か用事あるの?」
「…いえ…」
「じゃあ泊まっていきなよ」
ぎゅう。と抱き締められてもう一度キスをくれた彼を自分も抱き締める。何度も抱き合って、馴染んだその腕の中は暖かくて心地いい。その腕の中でじんわりと熱と実感が自分に染み込んでいく。嘘みたい。嘘みたいに幸せ。
「何で泣いてんの?」
そう言われてひっくひっくと肩を震わせて泣いていることに気が付いた。抱き締めてくれる彼を自分もぎゅっと抱き締める。…というよりもしがみ付く。ああ。凄い安心感。自分よりも大きなこの人は、こんな風に優しく抱きしめてくれる。
「う…嬉し…くて」
こんな風に泣くことは、きっとこの人の前以外にはない。こんな風に泣かされるのも、こんな風に泣けるのも、今までもこれからもきっとこの人の前でだけ。隠してもいないのに分かって貰えない自分の本当に気付いて、その中に触れてくれて、きっと想像してもいなかったことを沢山見せてもこの人は全部受け入れて愛してくれた。そんなこの人を自分も愛してる。こんな関係を築けて本当に嬉しい。
許してくれると分かっているから安心して甘えた。思っていた通り、それを全部受け入れてくれる。だから気が済むまで泣いた。やがて豪快に泣く自分に呆れつつも嬉しそうに笑う声が聞こえて、その声に安心して泣きながら笑うまで。
最初のコメントを投稿しよう!