最後の魔法

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「喉を壊したかった?」  タバコを吸う理由としては突飛な導入に興味をそそられたのか、雨宮は目を少し見開き首を傾げた。 「俺ん家、父親が病院を経営しているんだ」 「そうなの。医者の息子が未成年喫煙なんて、笑えないね」 「ほっとけ……それで、親父は俺を後継にしたがってるんだ。小さい頃から勉強漬けで、『お前は将来医者になるんだ』って耳にタコができるほど言われてきた。テストで悪い点なんか取った日にゃ、ほぼ確実に平手が飛んで来た」 「……へぇ。それは、厳しいね」 「でも本当は俺、」  言葉が喉の奥で引っかかった。ここから先を、俺は今までの人生で誰かに言ったことはない。口に出すことで、曖昧なままにしておきたかった思いはきっと、明確な輪郭を持ってしまう。それが怖かった。  それでも俺はとうとう、口にした。 「シンガーになりたいんだ」  雨宮がさっき以上に大きく目を見開いた。驚愕、と顔に書いてある。一方俺は、そんなに俺とシンガーという言葉は似合わないのだろうかと、悲しい気持ちになった。 「昔からずっと歌が大好きだった。勉強に集中するためなんて心にもない言い訳をしては、親のCDを借りていろんな歌を聴いた。たまに、自分で歌った。そうしたら、いつか俺も俺の歌を歌いたいと思うようになった。そう、俺は、シンガーになりたいんだ。  ……だけどそれを認めるわけにはいかなかった。なぜなら俺は医者にならなきゃいけないから。あの人に反抗するような勇気なんて、俺は持ってないから。  だからタバコを吸って喉を壊そうと思った。いっそのこと歌が歌えなくなってしまえば、シンガーなんて夢は最初から見なかったことにできるから」 「……」  俺の独白を雨宮は途中から黙って聞いていた。興味本位で藪を突っついてみたら想定外にが飛び出したせいで、困惑しているのだろう。  話している間に、日はさっきよりもさらに西に傾いている。山の上に辛うじて見えている太陽は顔で言ったらもう眉より上だけといった具合で、「早く家に帰りなさいよ」と声が聞こえてきそうだ。あるいは、本当にそう言った先生の声が聞こえたかもしれない。  沈黙を破ったのは雨宮だった。 「ごめんね。どうせカッコつけたいからみたいな、よくある話だと思ってた」 「舐めてんのかおい」 「話してくれたお礼に、私も私の秘密を一つ教えるよ」 「は? いやいや、」 「そんなのいいよ」と俺は言ったが、雨宮は「話したい気分なの。どうせ最後だから」と言った。そうか、どうせ最後かと俺は納得した。  思うに、最後だからっていうのは魔法の言葉なのかもしれない。  全然仲良くもなんともない相手でも、どうせ最後だと思えば何だって話せてしまう。どんなにプライベートな話でも。どんなに惨めで、情けない話でさえも。  そして不思議なことに、雨宮に秘密を話したことで俺はさっきよりも心が軽くなっていた。別に問題が解決したわけでもないのに。  だからってわけじゃないけど、「じゃあ聞くよ」と、自分でも驚くほど優しい声で俺は応えた。雨宮が話したいというのなら、聞いてあげるのがフェアってやつだ。  雨宮は、んんっと一つ咳払いをした後、静かに息を吸った。 「私ね、好きな人がいるの」
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