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「引っ越し・・・?」
突然のことに私は言葉を失った。
目の前にいる妙な眼鏡をかけた男を凝視する。黒いスーツに身を包み、手をもみながら愛想笑いを浮かべていた。レンズ部分が不思議な色に光っており、その奥の目が私を姿をしっかり捉えていた。
「ええ、そうなんです。申し訳ないんですがこの方が入居したいそうで、あなたには引っ越して頂きたいんです。」
隣には作務衣を着た気難しそうな顔をした若い男が腕を組んでいる。口をへの字に曲げていかにも不機嫌という表情だ。
私はスーツの男に目を向けた。彼の視線は間違いなく私に向いている。それがどんな意味なのかーーーの前に、兎にも角にもまず言いたいことがあった。
「私、座敷童なんですけど・・・?」
男はさして驚くわけでもなく、同じ調子のまま答えた。
「ええ、ええ、十分承知しております。自己紹介が遅れましたね。わたくしは不動産業を営んでおりますハセガネと申します。」
「はい、どうも・・・。って、私のこと見えてますよね。それに声も聞こえてますよね。」
「いや失敬。説明しておりませんでしたね。あなたの可愛らしいお姿はしっかり見えてますし、声も聞こえておりますよ。まずこうなった背景からお話ししましょうか。わたくし、こう見えて霊感というのが強い方でしてね。不動産のお仕事してると『あ、この家にはいるな』ってわかることがあるんです。地縛霊とかいますでしょう?お客様の方も『イヤな感じがする』なんて、人によって度合いはありますが何となく察してしまうんです。わたくしとしてはそれで家が売れないと商売あがったりなんで、お祓いするようにしてたんです。でもね。たまに『いるな』って思っても『イヤな感じ』はしないことがあるんです。例えばそう、この家のような古民家では特にね。」
言われてあらためて我が家を見渡す。伝統的な瓦屋根で築200年以上の歴史を誇る家だ。主が変わるたびに何度か手入れされており、柱や壁など要所要所は近代的な建材が用いられている。この家ができていつぐらい経った頃だろうか。私はこの家に生まれたーーーーというより、居るようになった。
己が現世の者とは異なる存在であることは自覚している。
なぜ、どのように生まれたかというのは自分でわかるものではない。もしかしたら人間として存在した時代があり、幼くして死んだ子供が化けて出たという話かもしれないが、私自身にその記憶はないのだ。ただこの家を取り巻く渦ようなものから、段々と意識が集約されて、いつの間にかこの家に住まうようになっていた。
ハセガネは手で眼鏡をクイっと上げて話を続けた。
「でね。『イヤな感じ』が無い場合、お祓いするのは違うのではないかなと思ったんです。とはいえお客様はそこまでの違いはわからないので、何かの存在を感じただけ気味悪がってしまわれるのは変わらずでして。どうしようかと案じてたところ、発明好きな友人がこの眼鏡を開発してくれたんです。これ、縁のところにはマイクとスピーカーがついてましてね。特殊なレンズで霊的なものを見えるようにして、なおかつ縁の機能で会話できるようになってるんですよ。すごいでしょう?というわけで、あなた達のような座敷童の存在がわかるようになったんです。地縛霊なんてものは会話が成り立ちませんのでやっぱりお祓いなんですが、お話の分かる方の場合はなるべく穏便に済ませたく、お引越しをお願いしてる次第です。」
「フン。ただのガキの幽霊でしょ。そんなのがいるってだけで僕はヤな感じですけどね。ウチのカッフェーには邪魔なんで、さっさと追い出してくださいよ。」
隣にいた作務衣の男が斜めを向いたまま口を開いた。
カッ"フ"ェーとわざわざ下唇を噛んでFの発音を強調する。
私はすぐさまこの男を嫌いになった。
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