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Ω堕ちの元αは運命の番である最高級人外αを10回殺したい
「離せっ、オレに触るな!」
一纏めにされた両手は、打ちっぱなしのコンクリートの壁に押し付けられていた。
男のもう片方の手で掴まれている顎も痛みを訴えている。解放して貰えそうにない現況に、斑鳩碧也は目の前の男を睨みつけた。
意志の強そうな切れ長の黒い瞳は、捕えられているにもかかわらずに噛みつきそうな程に鋭い。男の手に力がこめられる度に、碧也の癖一つない長めの黒髪が揺れた。
「まさかとは思うが、お前、自分が無事に帰れるとでも思っているのか?」
抑揚の無い甘く低い声だった。
歪な程に口角を持ち上げた男が、愉しそうに碧也を見据えている。
二メートル近い高身長と鍛えられた肉厚の体が、嫌味なくらい良い男を演出していた。
片側だけ緩く後ろに流された髪の毛は、濃い赤色と黒のツートンカラーになっている。
正面から絡んでいる赤茶色の瞳に、暗殺仕事用の黒服を着た己の姿が影のように映り込んでいた。
——無事? そんなめでたい思考回路はしていない。
元々生死に執着した覚えはないが、今の社会に出た時点でも既に覚悟は決めている。
「殺したければ、さっさと殺せ」
負けじとそう吐き捨てたが、男から殺気は微塵も感じられなかった。
「自殺願望は感心しないな」
「んな訳あるかよ」
一体何がしたいのか分からない。
眼前の男の暗殺にしくじった己を返り討ちにしようとしているのならまだしも、男はそうではないらしい。意図がまるで分からなかった。
「潔い奴は嫌いじゃないがな。お前にはもっと良いポジションをやろう」
「何を?」
「俺の番というポジションだ」
「は?」
更に眉間の皺を深くする。
碧也の第二次性別はアルファだ。目の前にいる男もアルファなのだろうというのは言われずとも感じ取れる。碧也が感じ取れるとなれば、男も同じ筈なのに理解不能だった。
番はアルファとオメガの間でしか成立しないからだ。
「残念ながらオレはアルファだ。お前の番にはなれねえよ。番が欲しけりゃオメガをあたるんだな」
嫌悪感を隠しもせずに言葉を吐き捨てると、男は表情を崩し喉を鳴らして笑った。
「そんな事は見れば分かる。雄の匂いしかしないからな」
「なら、なんで……「ああ、知らないのか?」……」
碧也が離せと言おうとした言葉尻を奪い、男は愉快そうに目を細めた。
愉しくて愉しくて堪らないというような加虐心に溢れた表情をしているのが癇に触る。
「アルファには色々いてな、AランクからCランクまで在る。そこら辺にいるアルファは良くてBだが、お前はその様子じゃAだな。俺もAランク。それもアルファ+《プラス》のAランクだ。噂くらいは耳にした事があるだろう?」
——アルファ+……だと?
驚きのあまり碧也は口を開けなくなってしまった。
アルファにランク付けされているのは理解が出来る。一概にアルファといえど能力値に差があるのは碧也も感じていた事だ。
だが、アルファ+に関しては単なる都市伝説だとばかり思っていた。
「お前……何言って……」
このタイミングで冗談を口にする男とは思えずに凝視する。男は不敵に笑んだ。
いつからか世の中には男女を分ける性別の他に、もう一つの性別が存在するようになっていた。六割以上の人口はベータという性別に分類され、己の性別に左右されない一般的な人種だ。
その一方でアルファと呼ばれる全てにおいて秀でて恵まれた上位層クラスにいる人種がいる。そして正反対に位置するのがオメガだ。人口も希少種とされるアルファよりも少ない。
男は、自身をアルファ以上のアルファ+だと言った。それは希少種とされているオメガよりも少ないと噂されており、本当に実在しているのかどうかも疑わしい存在だ。暗殺者という裏の仕事をしている碧也でさえ、今までお目にかかった試しがない。
——本当に実在していたのか?
思考を巡らせつつも、碧也は瞬きもせずに男を見つめ続ける。
「そのアルファ+なのだが、稀有過ぎる存在ゆえ、それぞれが特殊能力を有している」
悠々と説明する口調は穏やかさを感じさせるが、男からもたらせられるプレッシャーは重苦しく不穏な空気を滲ませている。
今まで感じた事がない程に、碧也は嫌な予感がしていた。
「俺の場合は、ビッチングだ」
「ビッチング……?」
耳馴染みのない言葉だった。
戯けて肩をすくめて見せた男が、ニヤニヤと笑みを浮かべている。
「バース変更と言えば分かるか?」
——バース変更? そんな事が可能なのか⁉︎
「さて、ここで最初の質問だ。俺は今何をしようとしていると思う?」
ザワリと神経を逆撫でされたような悪寒が全身に走った。今すぐ逃げろと頭の中で警鐘音が鳴り響いている。
——まさか……!
碧也は即座に男の手を弾いて力の限り押し返すと、右側にある出入り口に向けて走り出す。
「ああ、良い判断だ」
笑い声と共に伸びてきた男の手に捕えられ、寸分の狂いも無くやたら弾力性の高いソファーへと投げられた。
先程よりも出入り口が遠くなってしまい、舌打ちする。体を回転させて、ソファーを降りてすぐに体勢を立て直す。
革靴の音を響かせて足早に近づいてきた男に足を振り上げて、上段蹴りを繰り出したが腕で防御された。
「くそっ……」
次いで、喉元を狙ってナイフを振り回すも、手首を取られる。後ろに捻り上げられた腕が軋んだ音を立てた。
反対側の手で、いくつか隠し持っていたナイフの一つを見えないように握り締める。死角を利用してそのまま横腹に突き立てたが、いとも簡単に弾かれてしまった。
「ククク、さすがはAランクのアルファといった所か。身のこなしが違う。それに聡明だ。なあ? 〝斑鳩碧也〟」
「——ッ⁉︎」
軽くいなされた後では嫌味にしか聞こえなかった。
しかもこちらの情報を知られている。裏仕事用に使っているコードネームや偽名ではなく本名を呼ばれた。となれば、初めっからあえて泳がされていたのだろうと容易に推測出来る。
頭に浮かんだのは今回の依頼人の顔だった。その依頼自体も仕組まれていた可能性が出てきて舌打ちする。
「ナイフ一つで百パーセント依頼を遂行する見目の良い同業者の話は随分前から耳にしていてな、捕えてやろうと思っていた。まさかここまで極上だったとはな。容姿、身のこなし、気の強さ、聡明さ。実に良い。気に入った。部下の玩具に回そうか考えていたが辞めだ。お前はオメガにして俺が飽きるまで直々に飼ってやろう」
「飼いたきゃ動物でも愛でてろよ」
人を飼う等、悪趣味にも程がある。
この事務所内には出入り口が一つしかない。その手前に男が立っている。男をどうにかしない限り、此処からは出られそうになくて舌打ちした。
この男はそんなヘマは絶対にしない。さっきの手合わせで分かった。こちらの様子を窺って合わせられるくらいに、男には余裕がある。
——どうする……?
何パターンか頭の中で演習してみても、最終的には捕まるイメージしか出てこない。情報収集及び調書不足による完全なる失態だ。この住居をもう少し念入りに調べてからにすべきだった。
「さて、ここでまた質問だ。今お前には俺の瞳の色は何色に見えている?」
「……?」
初めて視線を交わした時から現在進行形でずっと赤茶色以外の何色でもないが、妙に引っ掛かる質問だった為に碧也は無言を通した。
「因みに通常時の俺の瞳は〝黒〟だ」
「カラコンを使用するタイプには見えなかったな」
皮肉のつもりだったが、一笑に付される。
言わんとしている事が分からずに、碧也は瞬きさえも惜しんで男を見据えた。
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