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何時間経過したのだろう。
やたら体に触れてくる手の動きを感じて、碧也はうっすらと目を開けた。
「てっめ……、ケホッ、まだ……やる気かよ」
さすがに声が枯れている。
咳き込みながら言葉を発し、碧也は自分の両膝を抱え上げている男を睨みつけた。
意に反してそこにはアスモデウスではない別の男がいて、碧也は眉根を寄せる。
——誰だ、こいつ?
同じように頭に小さな角らしきモノがあるのを見ると、アスモデウスと似たような悪魔の類なのだろうというのが窺えた。
問題なのは今の状況だった。
後孔に男の陰茎が当てがわれている。自分が犯されかけているのを理解するなり、碧也は身を捩ってベッドから男を蹴り落とした。
その隙に自らも下に降りて、男からは見えないようにナイフのツカを踏みつけ、自分の手元に来る様に宙に舞わせて手に握った。
「誰だお前? アスモデウスはこの事を知っているのか?」
「摘み食いしてもいつも何も言われないし大丈夫っしょ。あの人に特別な存在なんて出来た試しないし。この洞穴に連れてきたのは初めて見たけどね。という事はアンタの具合が最高に良かったって事でしょ? おれにも喰わせてよ」
男の話を聞いて薄っすら笑みを浮かべる。
アスモデウスに運命の番が出来た話はまだ悪魔間で概知されていないのだろう。となると、これはこの部屋を出るチャンスだ。
「へえ。オレに興味があるなら、一回くらいなら相手をしてやっても良いぞ。その代わりに先ずは出入り口の開け方を教えろ」
碧也はスッと目を細めた。
この悪魔はあまり賢いタイプには見えない。利用出来る。
「悪魔と取引する気っすか?」
「そんな大層なものじゃない。オレとアンタの単なる〝遊び〟だ。だから取引でも約束でもない。アンタはオレに扉の開け方を教える。オレはその後でアンタの相手をする。それだけだ」
碧也が言うと、男は突然ビクリと体を大きく揺らし酷く狼狽え出した。
怯え方が尋常じゃない。忙しなく視線を彷徨わせている。
「? どうした?」
男に問いかけた直後だった。此処に居ない筈なのに、全身にアスモデウスからの圧を受けた。
——どうやって来た⁉︎
「おい碧也。散々俺に種付けされといて他の男をも喰おうとしているのか?」
背後から喉元に手を回されてゾクリと全身に悪寒が走った。
「——っ!」
絞められているわけじゃない。猫の喉を撫でるように、優しく触られているだけだ。なのに、与えられているプレッシャーが半端じゃない。
——壁を通り抜けられるのか? それとも空間を移動した?
出入り口と思わしき扉が開いていないのは確実だ。勘案していると、またゆるりと喉元を撫でられて顎先までなぞられる。
「答えろ。いくら最愛の妻の願いとは言え、浮気は看過せんぞ」
喉元を掴まれたままベッドの上に押さえつけられて碧也はもがいた。
「くそっ、オレをここから出せ! 風呂くらい入らせろ。お前にとってのその最愛の妻とやらは、食事も風呂も与えられない性奴隷の事かよ!」
なんせこの洞穴の中にいると、やたら息が詰まる。
時間経過がサッパリ分からないのも難だ。
俗にいう監禁状態で、体内時計は狂わせられてばかりで気が滅入る。それに色んな体液だらけで気持ちが悪い。今すぐにでも風呂に入りたかった。
「そう拗ねるな。その用意をするように伝えてきた所だ。食事もあるぞ。なんせ祝言を挙げるからな」
「おい……それは人肉じゃねぇだろうな」
悪魔や魔族ならあり得そうで怖い。
裏の仕事はしていても、碧也にはカニバリズムの癖はなかった。
「安心しろ。人間界の食べ物だ。俺はこう見えて美食家でな。地上の料理が好きなんだ。ああ、先に一つ忠告しておくぞ。いつでも殺しに来いとは言ったが例外が一つだけある。食事中は遊ぶ気はない。食は楽しんでこその物だからな。ナイフを飛ばそうものなら仕置きを通り越してキツい灸をすえるぞ」
アスモデウスの食への認識に碧也は驚きを隠せなかった。
食は楽しんでこそだと碧也も思っているからだ。
初めてアスモデウスと意見が合って目を瞬かせる。まさかそんな人間めいた感性があるとは思わなかった。
「オレも、食事は……視覚から楽しみたい」
暗殺者をしていて何もない生活の中で、一番の楽しみが食だった。
自分で自分好みの料理を作るのもいいが、好みの味を他所で見つけるのが楽しい。仕事のない日はあてもなく彷徨いて飲食店に足を運んでいたくらいだ。
「そうかそうか。気が合うな」
額に口付けが落ちてくる。優しく触れるだけの口付けがくすぐったい。胸の中が温かくなった気になり、目をすぼめてアスモデウスの唇を受け入れる。
先程の男はアスモデウスと碧也の会話を聞きながら、青ざめたまま立ち往生していた。
「で、お前は俺の嫁に何か用か? 誰がここに入る事を許可した?」
「ひっ」
またしてもアスモデウスから発せられた圧が大気を揺るがし始める。
息をするのもしんどい程の圧を直に向けられ、男のこめかみからは大量の脂汗が流れていた。
「アスモ、デウス様の……、番とは知らずに、失礼……っしました!」
「ああ、そうそう。忘れておったわ。お前、上の事務所でもちょくちょく人間の摘み食いや金の横領をしているな」
「え……」
さっきの会話を思い出すに、バレていても許されていたと思っていたのだろう。男の顔色が更に悪くなった。
流れている沈黙が重苦しい。
「まあ、それらに関してはもう良い。今日はいつもより幾分か機嫌がいいからな。さっさと俺の部屋から出て行け。二度と俺にその顔を見せるな」
放っている禍々しい圧とは裏腹に、機嫌良さそうにアスモデウスが言った。
「はい! 失っ礼しましたー!」
男の姿が扉の向こう側に消えた瞬間だった。何かが潰れる音が聞こえてきて、微かに鉄の匂いが鼻腔を掠める。
「すまんすまん。また言い忘れていた。碧也に手を出そうとした件は許した覚えはない」
肩を揺らして笑ったアスモデウスを見つめた。
「お前……今どうやって始末した?」
「アイツに浴びせた俺の魔力を遠隔操作で圧縮させただけだ。〝俺のものには手を出すな〟という簡単なルールさえも覚えられん馬鹿などいらん」
アスモデウスは今度こそ機嫌良さそうにカラカラと笑って見せた。
「さて、碧也。今度はお前だ。あんなザコ低級魔と契約する為に股を開ける程、お前は体力にも精力にもまだ余裕があったか? もう二度とそんな気が起きんように、回数を増やしてやろうか」
「お前オレの話を聞いてたんじゃないのか? 契約じゃない。単なる〝遊び〟だ。遊びの相手ならセックスじゃなくて暗殺でもいいだろ。明確にした〝約束〟さえしてないからな。その前にお前自分がどれだけ絶倫なのか自覚ないのか。オレは風呂を探しに此処から出たかっただけだ。扉の開け方だけ聞いたら、さっきのやつを葬って外へ行く予定だった」
「クク、愉快愉快。アイツは結局消える運命だったのか。それなら傍観していても良かったな。まあ何れにせよ下級とは言え悪魔さえ騙そうとするとは恐れ入る」
アスモデウスの言葉に思考を巡らせる。
傍観という事はこの部屋内での事は、この場に居らずとも全て把握されているとみていい。勝手に出ていく算段を潰されのと同意義だ。
「どちらにしても、お前は一人では此処を出られんがな」
「〝一人では〟て事は誰かが一緒ならいいのか?」
「俺と一緒なら出れるぞ」
一緒に出られる本人から逃げ出したいのだからそれでは意味がない。
「逃げ出そうとは考えない事だな。契約違反で罰を受ける羽目になる」
嘆息すると抱きしめられた。そのまま引き起こされ、俵担ぎにされる。
「風呂に行くぞ」
「ああ……。て、待て。服は?」
「ん? シーツでいいだろう」
ベッドのシーツの予備を取るなり、アスモデウスに肩からかけられた。
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