召し上がれ

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召し上がれ

 やれ根性がないとか言いながら、ひどい怯えようで笑えてきちゃいますよねえ、と石原はぽってりしたコーラルピンクの唇をにやつかせて、ゴーグルを装着した、擬似体験中らしき初老男性の姿をモニター画面で見ながら言った。    つい最近まで、部下や業者に対する失言や暴言に恫喝と、今どき化石みたいな振る舞いをし続けてきた営業部の係長だという。  当たり前だがそんなことが長く続けられるわけもなく、またSNSのアカウントを持つことが当たり前な時代に、不特定多数に対して露呈されることはないという保証もどこにもない。  むしろその逆で、通り一遍なメディアの報道に飽き飽きしていた大衆はここぞとばかりに彼の失態へ飛びつき、勤務先はもちろん、住居や家族構成まで特定して、瞬く間に炎上の運びとなってしまった。  結果、その男は媚び続けてきた役員にも愛想をつかれ、停職という処分と同時に、産業医による「更生プログラム研修」を受けているというわけである。因果応報というか、男はかつて石原の上司だったらしく、当時は相当に嫌味やセクハラを「社会に出た洗礼だ」という名目で受け続けていたらしく、悶絶する男を見ている眼差しはドス黒い喜びに満ちている。 「女のくせにとか、生意気だとか、大学出た奴はこれだから使えないとか散々言われて……そのくせに、ラブホに連れ込もうとしたんですよ?断ったら次は怒鳴り散らして、おかげで何度も過呼吸起こしましたよ。まあ、巡り巡って存分に味わってもらってますけどね。まったくどっちが弱虫なんだか。録画して同期に送っていいですか?引きこもりになった子とかいるんで、少しでもスッキリして欲しいんです」  上司である自分からすれば、本来ならセンシティブな動画であり、かつプライバシーも含むため二つ返事というわけにはいかないのだが、更生プログラムのシステムを立ち上げから担当してきた彼女に言われては、こちらとしても片目をつぶるほかない。  機嫌を損ねられては、それこそシステムトラブルが起きた時に、どう対応したらよいかとあたふたする自分を横目にさらっと帰られては敵わないからだ。 「急に用事を思い出した、申し訳ないがちょっと様子を見ていてくれ。すぐ戻るけれど、何かあったら携帯に連絡して」 「はーい」  ニヤニヤしたまま石原は機嫌よく答えて、モニターをパソコンと連動させると、赤いUSBメモリを取り出して、ポートへと差し込んだ。 「無くすなよ。それだけは言っておくからな」 「がってん承知」  やけに昔っぽい受け答えをする石原の背中越しに、初老の男の格好悪い姿を確かめる。  真っ白な、何もない部屋に置かれたパイプ椅子に座らされ、男は口元から力なく涎を流している。床には薄黄色い水たまりができていて、履いているスラックスの股間も濡れている。  やめてくれええ。  もうせめないでくれええ。  たすけてくれええ。  いやだああ。  いやだああ。  おとうさああん、おかあさああん。  ぶつぶつと呟く声は、少しも覇気がなく怯えていて、心の底から救いを求めている。  今まで男が周囲へが与えてきた苦しみが、全て降り注ぐ状況を、たとえ仮想現実でも味わうのだから、逃げようがない。  物理的にも、両手はパイプ椅子を挟んで、結束バンドで手首を拘束されているし、両足も同様にパイプ椅子の足といっしょに縄でグルグル巻きに拘束されている状況だ。  このまま舌を噛んで命を絶とうと試みたとして、石原が処置に動くことは間違いない。  逃さないから、どうぞ召し上がれ。  キーボードをかたかた叩いて、石原がひとりごつ声を背に、監視室を出た。  果たして男は何日で、正気を失うだろう。  賭けてみるか。石原と。  そんなことを考えつく自分もそうとう、嫌な意味で染まってしまったのだろうか。  窓の外で散りゆく桜を眺めて、そんなことを思いながら苦笑した。
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