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じりじり 2
頬に添えられていた寧音の手が撫でるように下に滑り、首元までたどり着いて、そして私のシャツのボタンに手を掛けた。
「ダメ?」
「……恥ずかしい」
「晴琉ちゃんは私に触れたいって言ったばかりじゃない」
「それは寧音が……その、誘うようなことするからじゃん」
「だって晴琉ちゃん奥手なんだもの」
「……ごめんなさい」
寧音の指摘に心当たりがあり過ぎた。今までずっと、ほぼ寧音からアプローチを受けたり、アクションを起こしてもらったりしていた。関係が進展しているのは寧音のおかげでしかなかった。今日のデートだってそうだ。結局全部、寧音にリードしてもらっている。
「なんでそんな余裕あんの……」
つぶやくようにしてこぼれ落ちた私の本音を寧音は聞き逃さなかった。
「余裕あると思うの?」
「だってずっと落ち着いているし」
「……ちょっと横向いてくれる?」
「横?」
寧音の意図は分からないまま、言われた通り横を向くと顔の半分が柔らかい感触に包まれた。寧音に頭を抱えるように引き寄せられたから、その豊満な胸に顔が半分埋まっていた。
「な、何⁉」
「静かにして?……分からない?」
「何が?」と聞きたいけど静かにしてと言われたから何も聞けなくなった。でも寧音の言いたいことはすぐに理解することが出来た。
「寧音……心臓の音、ヤバい」
「当たり前でしょう?」
寧音が頭を抱えていた手を離したから、顔を上げて真っすぐ向き合った。
「好きな人とこんな状況で、余裕あるわけないじゃない」
寧音の目は潤んでいて、胸が締め付けられる思いだった。私みたいにすぐ慌てたりはしゃいだりしない寧音のことを、ずっと余裕のある大人のように思っていた。一緒に過ごす時間が増えて、感情をあまり出さない寧音のことを前よりは分かってあげられるようになったと思っていた。でも違っていた。
思わず謝りそうになって、グッと唇を噛み締めた。この間から寧音には謝ってばかりだ。これからはそれよりも感謝を伝えたいと思った。私を見限らないでくれてありがとうって。私と恋を続けてくれてありがとうって、伝えたいと思った。
私は全身の力を抜いてベッドに背中からゆっくりと倒れた。私に体重を預けていた寧音も小さい悲鳴をあげて一緒に倒れる。寧音に押し倒されている体勢になった。
「晴琉ちゃん?大丈夫?」
「うん……ねぇ寧音」
「何?」
「全部あげる」
「え?」
「私の全部あげるから……寧音の全部もくれる?」
「……うん。もちろん……でも、本当にいいの?」
「いいよ。寧音は特別だからね」
「……ありがとう晴琉ちゃん」
寧音の笑顔を見て、恥ずかしく思っていた気持ちが無くなっていた。
「あの……お手柔らかにお願いします」
「うん」
それから――。お手柔らかにって言ったのに、寧音はこれでもかと私を焦らして楽しんでいた。手つきは優しかったけど、何度か手を拘束しているリボンをほどいて欲しいと言っても聞き入れてはくれなくて、服は中途半端に乱されたままで。私はプレゼントを忘れていた負い目もあって、寧音のすること全てを受け入れた。寧音の言うことを聞くたびに「良い子だね」とか「よくできたね」と褒めてくれるから、何だかしつけをされているみたいだった。
「ごめんね。痺れてない?」
リボンをほどいてくれたのは全てが終わった後で、寧音は手や腕をマッサージをしてくれた。時間をかけて散々寧音に触れられて疲れた私は、マッサージの心地良さで自然と眠りについた。
「――ぅん?」
目が覚めると私は裸で一人、ベッドで寝ていた。すっかり日が暮れて、辺りは暗くなっていた。起き上がるとすぐそばにあった椅子の上に脱がされた服が綺麗に畳んで置かれていることに気付いて、ちょっと恥ずかしかった。
「晴琉ちゃん起きた?」
「わぁ!」
ベッドルームにやってきた寧音の手にはハンガーに掛けられたシャツがあった。アイロンをかけてくれていたらしい。「驚きすぎ」って笑いながら寧音はベッドに腰掛けた。
「体大丈夫?」
「うん」
「お腹空いてる?」
「めっちゃ空いてる」
「あのね、夜にここのホテルのレストラン予約してるの」
「え⁉本当⁉」
「うん。だからシャワー浴びておいで」
「わかった……寧音、ちょっと部屋出てくれる?」
「まだ恥ずかしいの?さっきあれだけ――」
「あぁああ!もう!それはそれ!」
寧音は笑いながら「ごめんね」と謝って部屋から出て行った。どれだけ寝ていたかは分からないけど、頭はすっきりとしていて、お腹の音も元気に鳴っていた。
その後はシャワーを浴びて服を着て、寧音と一緒にレストランに行ってフレンチのコース料理を食べた。聞き慣れない食材で作られた、長い名前の何だかよく分からないけどお洒落な料理は、とにかく美味しかった。
お腹が満たされて、それにさっきまで寝ていたから体力も回復していた。だから部屋に戻ってすぐに寧音を抱きしめたのは仕方がないことなのだ。
「どうしたの?」
「んー……寧音が欲しい」
寧音が着ているドレスの背中のファスナーを掴んだ。今ならいけそうな気がしていた。
「待って」
「……また『待て』?」
「ごめんね、お腹一杯だからちょっと休みたい」
「そっか」
また焦らされてるのかと思ったら、私の気が利かないだけだった。食べるスピードが速いうえに、慣れない煌びやかなホテルのレストランでソワソワと落ち着かない私を見て、早めに部屋に戻ろうと提案してくれたのは寧音の方だった。気を遣わせて急かしてしまったことに今さら気付いた。
「晴ちゃんには足りなかったかな?」
「んん?まぁ8分目くらい。健康的!」
私はベッドに大の字で寝転んで、寧音はベッドの縁に座っていた。
「晴琉ちゃんて長生きしそうだよね」
「よく言われる」
ふと目の前にある寧音の華奢な背中を見て、何故だか儚く感じて、無性にこの人と離れたくないなと思った。起き上がって後ろから抱きしめる。
「寧音も長生きしてね」
「寿命短そうだと思った?」
「ううん。ただ一緒に年取りたいなって思った」
「……そう」
寧音は背後にいる私に身を委ねるようにもたれかかった。
「……それってプロポーズ?」
「え⁉あ、違う!いや違わないけど!」
「どっち?」
「ねぇもう……からかわないでよ」
「……晴琉ちゃん体温高いね……温かい」
普段の寧音との会話は脈絡なく進むことが多い。たぶん私の理解より寧音の理解の方が早くて、どんどん置いて行かれているのだと思う。でも今は、なんかそんな感じじゃなくて……。
「もしかして眠い?」
「……ちょっとだけ」
声ゆっくりだし小さいし。私は寧音の背中と膝裏を抱えた。いわゆるお姫様抱っこのようにして軽く持ち上げて、ベッドに寝かす。私も横に寝転んで、お互い向き合った。
「力持ちだね」
「寧音が軽すぎるんだよ」
目がいつもより開いてない。明らかに眠そう。そういえば寧音が眠そうにしているところを初めて見たかもしれない。私と違って授業中は当たり前のように起きているし。
「あのね……」
「ん?」
「昨日ね……眠れなくて」
「そうなの?ごめん、無理させてた?」
「違う……そうじゃなくて……そういうこと、言いたいわけじゃ、なくて……」
頭が回っていないのか、ゆっくりと、途切れ途切れに紡がれる寧音の言葉を取りこぼさないように出来るだけ近くに寄った。
「緊張して……眠れなかった」
寧音からも身を寄せてきて、すっぽりと私の腕の中に収まった。私の為に余裕がなくなるくらいドキドキして、眠れなくなるくらい緊張していた寧音。彼女の知らない一面を今日のデートで知って、愛おしさが込み上げてくる。
『晴琉が思ってる以上に寧音は晴琉のこと好きだよ』
以前に円歌が言ってくれた言葉を思い出した。やはり親友の言うことは正しかった。今日でそれを十分に思い知らされた。
「ありがとう寧音……私のこと想ってくれて、ありがとう」
「ん……」
反応はあったけど、既に寧音は寝息を立てていた。私の言葉が届いたかどうかは分からない。でもこれからたくさんの時間をかけて、彼女に尽くしていければいいと思った。
「おやすみ寧音」
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