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あまあま 1
体育館へと急ぐ途中、円歌と鉢合わせた。急に止まりきれなくてそのまま勢いよく抱き着いたら、横にいた葵がめちゃくちゃ怖い顔をしていた。緊急事態だから許して欲しい。
「ごめん!ちょっと急いでて!」
「どうしたの晴琉」
「あの!コンテスト!寧音が、あれで!」
「寧音がどうしたの」
「寧音、取り返してくるから!とにかく!体育館!」
最初は困惑していた円歌も次第に何か面白いものが見れると感じたのか、笑顔になっていた。葵はたぶん何かヤバそうな気配を感じ取っている。私は二人を置いて体育館へ急いだ。
「さて続いてのペアは――」
体育館に着くと既にコンテストは始まっていた。ステージを見ると出場したペアがちょっとした寸劇をしていて、終わったペアはステージの後方で待機しているようだった。そこに寧音と礼ちゃんがいないから、おそらく出番はまだだろう。
私は息を切らしながらも何とか人混みを切り抜けてステージ裏までたどり着いた。イベントを取り仕切る生徒会の人たちに紛れてステージ袖に行くと、ちょうどステージには寧音と礼ちゃんが立っていた。
「ちょっと待ったぁ!!」
セリフを言おうとした礼ちゃんを大声で遮った。もちろん観客たちはざわつき出した。生徒会の人たちは状況を飲み込めずに混乱しているようだった。ステージの下から、先生が「何してるの⁉」と大声を上げた。先生ごめんなさい。言うことを聞いている場合じゃないんです。
「晴琉ちゃん⁉」
驚く寧音の肩を寄せて抱きしめて、礼ちゃんと向かい合った。そこまでしておいて、この後のことを何も決めてなかったことに急に気付いて、焦った。視界の端、体育館の入り口に円歌と葵の姿が見えて、親友や先輩にもらったアドバイスが思い出され、脳内を駆け巡った。「バカ正直に動け」「ごちゃごちゃ考えるな」。もらったアドバイスを全力で活用しようと思って、私は「ごちゃごちゃ考えず」に「バカ正直に動き」過ぎた。
「ごめん礼ちゃん!寧音は私のだから!」
礼ちゃんが何かを言い返そうとして、その言葉はたくさんいるコンテストの観客の黄色い歓声にかき消されてしまった。私が寧音にキスをしたからだった。寧音に自分からキスをしたのは、初めてだった。
生徒会の人たちや先生たちが落ち着くように声をかけているけどざわつきは全然収まらなくて、腕の中にいた寧音は私を軽く突き飛ばすとそのまま走ってステージから出て行ってしまった。やばい、とんでもないことをしたかもしれない。
「寧音!」
反省するのは後にして私は寧音を追いかけた。人混みが凄くて見失いそうになったけど、寧音はコスプレ用の目立つ黄色い着物を着ていたから、すぐに追いつくことが出来た。
「寧音!待ってよ!」
背後から抱きしめるけど、寧音は腕の中から逃れようとする。
「晴琉ちゃん……ここ、ヤダ」
コンテストの会場である体育館からは出たけど周りには人がいて、こちらを不思議そうに見ている人たちがいた。
「分かった。場所変えるから。だからもう逃げないで」
腕の中で大人しくなった寧音が無言で頷いたから、私もようやく腕の力を緩めた。私から手を繋いで移動する。寧音はずっとうつむいていて、表情は分からなかった。
「しばらく誰も来ないと思うから」
準備用になっていた教室には誰もいなかった。コンテストが行われた体育館ではこの後もイベントが控えていて、生徒がたくさん参加できるように出店ももう終了していた。イベントが終わるまでこの教室に人が戻ることは考えにくかった。しかも大量の机を動かしたり、段ボールが置かれたりしているから、奥に行けば誰かが入って来てもすぐに気付かれることはない。教室で出店のわたあめを味見していたクラスメイトがいたからか、ほのかに甘い匂いが漂っていた。奥まで進んで、ようやく繋いだままだった寧音の手を離すと、寧音は私にしがみついて来た。
「えっと、寧音?」
「……足痛い」
コスプレ用の慣れない下駄を履いていたから当たり前だ。
「寧音、椅子持ってくるから、ちょっと離れ――」
「晴琉ちゃんが椅子になって」
「え?」
「そこしゃがんで」
戸惑いつつ言われるがまま寧音が指を差した壁にもたれるように座り込んだ。寧音は私にもたれかかるようにして座る。恐る恐る後ろから腕を回して抱きしめてみる。寧音は抵抗することがなくて、一安心した。顔が見られないのが残念だけど。
「あのー……怒ってる……よね?」
「怒ってないけど……恥ずかしくて死にそう」
「ごめんなさい」
「だって、あれ、お客さんが動画回すの禁止にしてたけど、運営の人は記録用に回してるって言ってて……あぁもう」
「あー……」
「それに……お祖母ちゃんも来てたのに」
「え⁉……えーっと入院してたんだよね?元気になって良かったね?」
「はぁ……」
「ごめん……髪型かわいいね」
寧音の髪型は浴衣に合わせてアップスタイルで編み込んであった。ため息を吐いた寧音がうなだれたから、目の間には綺麗なうなじがあって。「甘えてみたら?」と言っていた、円歌のアドバイスを都合良く思い出していた。
「ちょっ……と、晴琉ちゃん全然反省してないでしょ」
「ごめんなさい」
うなじにうずくまって唇を這わしてみたら、さすがに怒られた。
「はぁ……もっと早くどうにかしてくれたら良かったのに」
「ごめん」
「離さないって言ったくせに……全然傍にいてくれなかった」
「ごめんね」
「……寂しかった」
「ごめん、寧音。本当にごめん」
浴衣の帯がシンプルで抱きしめやすくて良かった。改めてギュッと強く抱きしめて、しばらく二人とも無言のままだった。一度甘えてみたら、何だか気が楽になった。
「……奪われてもいいのかと思った」
「そんなわけないけどさぁ……礼ちゃんが意地悪ばっかり言うから」
「何言われたの?」
「賢い寧音には釣り合わないとか、寧音の好きな画家知らないでしょ、とか言ってくるし……そういえば寧音の好きな画家って誰?」
「興味ないでしょう?そんなこと知らなくていいよ」
「えー?バカだから覚えられないと思ってる?」
不貞腐れたフリをしたら寧音が体を横に向けて様子を伺ってくれたから、ようやく目が合った。久しぶりに見た優しい笑顔に胸が高鳴って、寧音が好きだとういうことを再認識させられた。
「そうじゃなくて、晴琉ちゃんは感覚的だと思うの」
「んー?どういうこと?」
「あのね」
寧音は指を私の指と絡めるように繋いだ。
「晴琉ちゃんは私が好きな画家とか礼ちゃんでも知ってるようなことじゃなくて、身体の形とか肌の触感とか温度とか……もっと、深いところを知って欲しいの」
「どうやって?」
「こうやって手を繋いで、手の形を覚えたり……キスして唇の感触を覚えたり……いっぱい私に触れて、私が目の前にいなくても思い出せるくらい、それくらい私の全部を求めて、知って、覚えて?」
本当に寧音は平然と私をドキドキさせることばかり言う。
「寧音……」
今までの埋め合わせをするように、キスをした。寧音の唇の感触を覚えるように何度も繰り返していたら気持ちが高ぶって、着物の襟元に手を掛ける。でも寧音の手によって止められてしまう。
「待って」
「何で……着付け出来るんでしょ?」
「積極的なのは嬉しいけど、もうすぐ皆帰って来るよ?」
「え?……あー……えぇー……わかった」
気付けば文化祭のイベントも終わりの時間が迫っていた。そろそろ教室にクラスメイトたちが戻ってくる。どうしようもないと分かっていても、中途半端で終わってしまったどかしさが残る。
「晴琉ちゃん『待て』出来てえらいね」
犬を躾けるみたいに頭を撫でられて、褒められて、満更でもない気持ちになってしまった。ずっと寧音をリードしたいと思ってたのに、いつの間にか葵の言う通り私は寧音に見えないリードを付けられてしまったようだった。
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