Ⅳ 企み - le plan -

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Ⅳ 企み - le plan -

 この後のセルジュの行動は早かった。  ノラの祖父が書いたとされるサインとかつて王都へ送られてきたコロンベット家からの公文書に記されたサインをデシャンと共に入念に照らし合わせて矛盾点を見つけ出し、徴税記録と鉱山の利益を併せて議会へ提出する訴状の用意を始めた。  この動きが、カンディード・モリアックに露見した。  政敵の騎士であるセルジュ・アベルがここのところ熱を上げていると噂の令嬢がコロンベット家の娘だと耳に入ったことから、自身の身に迫る厄介事を察知したのだった。  老練なカンディード・モリアックは、すぐさま手を打った。 「コロンベットの娘と結婚しろ」  カンディード・モリアックは白い髭の下から乾いた声を発し、唯一の未婚の息子に命じた。  これこそ、コロンベット家を黙らせるのに最も簡単な方法だった。結婚と金、両方の目的を叶えてやればいい。そうすれば告発などする気も起きないだろう。  命を受けた息子のフロランは、むずかる子供のように眉を寄せた。 「僕を家庭に縛り付けようって言うんですか」  未婚と言っても、フロラン・モリアックはとうに三十を越えている。この国における一般的な適齢期を過ぎても妻を持たずにいる理由は、この男の放蕩癖によるものだ。 「口説いて結婚までこぎ着けたら、適当に金をやってさえいればいい。後はお前の好きに生きろ」 「ふうん」  フロランは顎に手を当ててしばらく思案し、「まあ、いいよ」と軽薄に承諾した。  あの涼しい顔で人を誑し込む生意気なセルジュ・アベルの女を口説いて妻にすれば無様に悔しがる顔が見られるだろうという、子供じみた思いつきだった。  そのフロラン・モリアックがノラに近付いたのは、それから二日後の夜宴のことだった。  この晩のノラのパートナーはランバル子爵の令息アンリだったが、フロランは取り巻きの女たちに命じてアンリを誘惑させてノラから引き離すと、礼儀正しくダンスを申し込んだ。 (おや)  と、フロランが思ったのは、田舎娘のノラが存外美しい見た目をしていたからだ。誰もが振り向く美貌というほどでもないものの、田舎っぽくもなく擦れてもいない、凛然と咲く野花のような佇まいがあり、差し出された手を無言で取る仕草には、気高ささえ感じられる。 (これはいい)  フロランは俄然やる気になった。家庭に収まる気などさらさらないが、堂々とこの女の身体を好きにできるのなら文句はない。飽きたら金で家に縛りつけておけばいいのだ。口うるさい父親も、たまには役に立つ。 「あなたと踊る栄誉をありがとうございます、アリエノールお嬢さま」  フロランは放蕩生活で鍛え上げた貴公子の顔と仕草で誘惑を始めた。 「こちらこそお誘いありがとうございます。あなたのことはなんとお呼びしたら良いでしょうか」 「フロランと呼んでください。もしダンスが終わってもわたしのことをもっと知りたいと思ってくださるなら、明日もあなたを誘い出す許可をください」  誘い文句なら心得ている。見たところアリエノール・コロンベットという女は、頭は悪くない。それでいてそれほど慎ましくもなく、会話や仕草からこちらを品定めするような強かさがある。  であれば、色事の巧者であるフロランが取るべき初手は、田舎で燻ってきたこの女の好奇心をくすぐることだ。 「どこへ?」 (ほら。食いついた)  フロランは内心でニヤリとほくそ笑んだ。 「どこへでも。オペラ、演奏会、狩り、遊技場…僕といれば遊ぶ場所には事欠かない。カードゲームは好き?奇術師の舞台を見たことは?煙の色が白から虹色に変わって、中から人間が現れるんだ。見たくないか?」  ノラは目の輝きを隠しきれなかった。  ここのところ、セルジュは寝る間も惜しんで訴状の準備に勤しんでいる。官職に就いている貴族を訴えるには、それなりの根拠が必要だ。  人間科学や心理学などの専門家にノラから手に入れた借用書と王国の保管庫にあった徴税記録を照らし合わせて先代領主の筆跡を鑑定させ、遂に「本人のサインと断定するには疑わしい」という結果を得た。  数字的矛盾を指摘する文書を整えて訴状を作った後は、ノラにサインをさせるだけでいい。  ところが―― 「ああ、くそ。くそ面倒くさい」  セルジュはソファに身を放り出した。湯浴みをしたばかりの髪は濡れたまま、ズボンこそ履いてはいるものの、上半身には何も着ていない。この前の晩から、あまり眠れていないのだ。 (疲弊しているから心が削れるのか、心が削れているから疲弊するのか…)  考えるのも億劫だ。許されるなら今すぐ馬を駆って王都を離れ、古い廃城や遺跡を辿って旅をしたい。  生来、セルジュはこういう人間だ。  ノラが思うような高潔な人間ではない。怠惰で利己的な俗物こそ、セルジュ・アベルの真実だ。母から得た容貌とアベル家で得た教養と処世術で、数々の欠点を覆い隠しているに過ぎない。 「あらあら。品行方正な蜜蜂さんが、一体どうなさったの?」  早朝にも関わらず上品なドレスを隙なく着付けたマダム・ベケットが優雅にやってきて、セルジュの髪に布をかけ、わしわしと拭い始めた。 「アベルです。マダム・ベケット」  セルジュは大儀そうに起き上がってマダム・ベケットから布を奪うと、自分で髪を拭いた。マダム・ベケットが少しだけ寂しそうに目を細めたことには、気付かない振りをした。 「もう昔のようには呼んでくれないの?」 「互いに立場がありますから」 「今は二人きりよ、セルジュ」 「寝床を提供くださって感謝します。マダム・ベケット」  セルジュはそれ以上の会話を続けることなく、髪を拭いた布をマダム・ベケットに渡し、さっさと立ち上がった。 「ノラお嬢さまはお元気?とても楽しい方だったから、また顔を見せてくださると嬉しいのだけど」 「彼女はもうここには来ませんよ」  それだけ言って、セルジュはマダム・ベケットの屋敷を後にした。  春が初夏を連れてくる匂いが鼻腔に満ち、この季節特有の湿気を含んだ空気が頬を這うように撫でたとき、足元にマダム・ベケットのサビネコが喉を鳴らして擦り寄ってきた。ひとしきり撫でてやると、満足したのかさっさと足の下を通り抜けていった。  セルジュはノラを思った。 「こういうのは、これで最後にしよう」  と、あの晩ノラは言った。  行為の直後にきちんと下着を整えてベッドの上に膝をついて座り、もう一度誘惑してノラの中に入ろうと爛れた考えに浸っていたセルジュの目を、叱りつけるような強さでまっすぐに見た。 「やはり誠実さを欠いていたと思う。考えが足りていなかった。わたしがあなたに甘えすぎていたんだ。アベル卿には、今までの手ほどきに心から感謝している。これからは誠実な友人として、あなたの力になる」  そんなときでも、ノラの目は溌剌と輝いていた。 (何を腹を立てることがある)  馬鹿馬鹿しい考えだ。元々ノラのことは出世のために利用すると決めていたではないか。互いを縛るものは何もなく、ノラは順調に結婚相手を見つけるべく交友関係を広げ、条件に合う男との仲を深めている。喜ばしいことだ。  それなのに、どうにかしてめちゃくちゃに傷つけてやりたい衝動に駆られる瞬間がある。ノラにキスした男がいると知ったときも、ノラが他の男からの好意に義理を立てていると知ったときも、全部ぶち壊して自分のことしか考えられなくさせてやろうと、そればかりが頭を占めた。  笑うと左頬に現れる窪みも、訛りを隠そうとしても隠し切れない話し方も、乳房を食んだときにあげる少し掠れた甘い声も、全て自分だけのものにしておきたい。  彼女が必要としているものは与えられないのに、歪んだ欲望ばかりが肥大していくようだった。  王城の敷地内にある騎士の馬術鍛錬場で愛馬の毛を整えていた時だ。寝坊してやってきたデシャンが軽薄に声をかけてきた。 「なあ。お前が最近付き合い悪いって、あちこちで聞くぞ」 「別に、気が乗らないだけだ」 「いろんな集まりに顔を出すのも出世のためだとか言ってなかったっけ?身が入らないのは恋煩いのせいじゃないのか、セルジュ」 「その煩しい口を閉じてろ」 「おお怖い。荒れてるな」  そう言いながら、デシャンはどこか嬉しそうだ。 「ノラ嬢だろ。ランバル子爵のとこのアンリが熱を上げてるって噂だ。何回か二人で宴に出たらしいぜ。あと他にも何人か、求婚するんじゃないかってやつがいたな。彼女、ああ見えてなかなかの狩人だ」 「元々俺のじゃないし、彼女は自分の目的に実直に向かっているだけだ。下品な言い方をするなよ」 「ハハ。確かに、彼女騎士みたいだもんなぁ。かっこいいよ」 (それだけじゃない)  セルジュは心の中で初めて会った夜のノラを思い出した。  勇猛な騎士のようだったが、その実、とても繊細に人間を観察していた。ひとりぼっちの王都で初めての味方を得るために、相当注意深く目を凝らしていたはずだ。 「まあ、彼女ならどんなやつとでも上手くやっていけそうだよな。相手に財力を求めるってキッパリ言い切ってるからそれ以上は無理に求めないだろうし、心と結婚は別ものだって割り切り方も潔い」 「…何が言いたい」  ひどく不機嫌な声色になった。これではまるで八つ当たりだ。 「お前はそれでいいのかなと思って」 「良いも何も、彼女とは――」 「認めろよ。ノラ嬢といるときの自分の顔、鏡で見たことがあるか?」 「あるわけないだろ」 「やっと息ができるって顔してるぜ。ノラ嬢はいい子だ。善良で、誰の中にも輝きを見つけて愛を与えられる子だ。でも、お前は?彼女を逃したら、顔と処世術が取り柄なだけの卑屈な働き蜂のままだ」  セルジュは無言で鐙に足をかけ、ひらりと馬の背に跨った。 「もう遅い。ノラ嬢には他に義理を立てた相手がいるらしいからな。念願が叶ったというなら、祝福するよ」 「それならとっととモリアックの件を片付けちまえよ。何ぐずぐずしてる」 「やってるよ」  セルジュはそう言い捨て、馬の腹をとつと蹴った。  雨雲が王都の空を覆った午後、ノラの大伯母にあたるゴーティエ夫人が小さな背をのんびりと揺り椅子に預けて編み物をしていた。  ノラは傍らに立って、屋敷で飼っている悪戯好きなネコたちから糸玉を守る役目を負っている。 「ノラちゃん」 「はい、大伯母さま」  ノラは毛の長い白ネコのお腹をくるくると撫でながら言った。 「あなた、無理してるんじゃない?うちの人たちはわたしにかかりきりで、ノラちゃんのお世話は二の次でしょう?」 「そんなことはない。亡き大伯父さまの軍功に肖って春の宴に参加させてもらえたんだ。それだけで十分過ぎるほどだよ。大伯母さまは病気がちなのだから、わたしのことなど心配しないでくれ。自分のことは全部自分でできるし、夫選びもちゃんとうまくやってるから」 「そうは言うけれどねぇ」  ゴーティエ夫人はのどかに言って、編み棒のついたままの編み物を膝に置き、両腕に抱いたネコのお腹に鼻をくっつけたノラを、目尻の皺を深くして見上げた。 「結婚なんて、無理してしなくてもいいのよ」 「無理しているように見える?」 「編み物仲間のお茶会であなたの噂を聞いたけれど、次々に男性を虜にする神秘的な女性ですって。まるで別人だわ。ノラちゃんはわたしの妹に似て、のびのびとした、春風みたいな子でしょう」 「それは、嵐のようと言うことだろうか…」  ノラは苦笑した。確かにこの竹を割ったような性格は祖母譲りだとよく言われている。  しかし、ゴーティエ夫人の周りでも噂されているとは、意外だ。やはりセルジュの指南が大きく功を奏しているのだろう。 「わたしは本当のノラちゃんを愛してくれる男性と結婚するのがいいと思うわ。お金のことなんて、案外どうとでもなるものよ。大切なのは心。心で繋がりたい人はいない?」 「うぅん…」  ノラは唸って、脳裏に浮かんだ蜜色の髪の男を追い払った。近頃気が急いているのは、もはや家族のためというよりも、自分の身勝手な理由のせいになっている。 「いるのねぇ」  ゴーティエ夫人がころころと笑った。若者の瑞々しい話が大好きな年頃だ。 「そうかも。でも、よくわからない。もっとその人のことを知りたいと思うけど、その人には他に大切な人がいて、わたしは相手の方もとても尊敬しているから、邪魔はできない。ただ友人として好い関係でいたいんだ。それに、心で繋がりたいからこそ、結婚なんて自分勝手なものに巻き込むわけにはいかないよ。わたしの結婚は、お金のためだから」 「ノラちゃん」  ゴーティエ夫人は穏やかに言って、編み物をまた始めた。 「はい、大伯母さま」 「わたしは若い頃、そういうふうに小さく愛が芽吹くような気持ちを、恋と呼んだわ」 (そうかもしれない)  と、ノラは思った。王都にやってきてから何人もの男性と知り合ったが、一緒にいるだけで胸が苦しくなるのも、触れたいと思うのも、心からの笑顔を見て胸が熱くなるのも、セルジュただ一人だ。 (わたしって見る目があるよな)  ちょっと誇らしい。恋するに値する人を大勢の中から見つけ、友人に――いや、セルジュ自身は利害関係と思っているかもしれないが、ノラにとっては間違いなく大切な友人になれた。 「だから早く結婚したいんだ。夫を持てば、実らない恋もいい思い出になるだろ。わたしって結構ずる賢いところがあるんだ」 「ノラちゃんは自分が決めたことは曲げない子よねぇ。でもわたしたちみんな、あなたが一番幸せになる方法を考えて欲しいと思ってるわ。それを忘れないで。あなたは自分が思っているよりも、みんなに愛されているのよ」  ゴーティエ夫人が目尻の皺を深くした。  この夜、晩餐が終わる頃に、セルジュが単騎ゴーティエ家を訪ねてきた。使用人たちが慌てて中へ招き入れようとしたが、セルジュは雨に濡れているからと固辞して戸口でノラを待った。 「だめ。入ってくれ」  エントランスへやってきたノラは珍しく強い口調でセルジュに言い、ゴーティエ家の親類や使用人たちに中座の許しを得て、上階の自分が借りている客間へセルジュをぐいぐいと引っ張っていった。 「風邪を引いてしまうだろう。もうすぐ夏が来るとは言え夜の雨に当たると身体に障る。湯の用意を頼んだから――」  はた。と、ノラはセルジュの髪を拭き始めていた手を止めた。 (あっ。これはまずいやつだ)  きっと‘不義理’に当たる。自分が間借りしている客間に通したのも良くなかった。が、これはこの場合仕方ないだろう。セルジュは任務に関わる内密な話をしに来たに違いないから、他の誰かが出入りするような場所に通すわけにはいかない。  ノラは布をそっとセルジュの髪に掛け、一歩下がって距離を取った。 「すまない。つい癖で世話を焼き過ぎてしまった」 「もう拭いてくれないんですか」  蜜色の髪の奥で、灰色の目が鈍く光った。 「からかわないでくれ。誰かにとって不義理なことはもうできない。お互いけじめが必要だ」 「わたしに触れるのがいやですか?出世のためにあなたを利用する男が汚らわしい?」 「違うったら!そんな言い方ずるいぞ、アベル卿。でも髪は自分で拭いてくれ。わたしはあなたに触れると不都合がある。とにかくこの上なく不都合なんだ」  セルジュの表情が読めない。この男が一体何を考えているのか、全く理解ができない。 「どうして」 「あ、あなたに触れると――」  顔から火が噴くかと思うほどに熱い。無様なほどに顔が赤くなっているはずだ。 「…もっと触れたくなってしまうから。非常にまずいんだ。頭ではわかってるのに…あなたが上手すぎるから…」 (何を言っているんだろう)  ノラは顔を覆った。この上なく気まずいのに、真実が勝手に口から転げていってしまう。正直者の(サガ)というやつだ。 「アンリ・ランバルがあなたに求婚するつもりだと聞きました」  ノラの手に冷たいものが落ちた。顔を覆ったままなのにそれがセルジュの髪から落ちた雫だとわかったのは、声が肌に触れそうなほど近い場所から聞こえたからだ。 「そうらしい。実は来週狩りに誘われていて…そこで大事な話があると言われている」 「受けるんですか」 「条件に合うから…そうだな。アンリ閣下なら礼儀正しい距離感で、程よく夫婦をやっていけそうだ」  ノラは顔を上げず、暗闇の中でセルジュの肌の温度を感じた。セルジュの顔を見たら何かが崩れそうな気がする。 「お願いがあります、ノラ嬢。もし荘園を取り戻したら――」  と言いかけたまま、セルジュは黙った。ノラがセルジュの口を手で塞いだからだ。 「やめておこう、アベル卿。なんでかというと、自意識過剰だと思われるかもしれないが、あなたがしようとしている例え話はちょっとお互いに良くないやつだと思うんだ」 「どうして」  セルジュがノラの手を握った。 「もっと触れたくなるから?」 「…っ、そうだよ!」  半ばやけくそだ。どうしたって本心は隠し通すことはできない。それなら、いっそのこと全部打ち明けてセルジュから距離を取ってもらうほかない。 「荘園の件は、正直言って勝ち目があるとは思わない。あなたもそうだろう。あなたの目的は、我が家に荘園を取り戻すことではなく、お父上の政敵であるモリアック閣下の評判を落とすことだ。わたしは世間知らずの田舎者だが、それくらいはわかっている。だから荘園を取り戻した場合の例え話は、するべきじゃないんだ。失敗すれば嘘になる。期待したら期待した分だけ、叶わなかったときに虚しくなる。その時わたしたちは、友人ではいられなくなってしまう」 「友人?」  嘲笑うような声だ。ノラは心臓が急激に水分を失ったように縮こまるのを感じた。冷たい灰色の目――何もかもを諦めて、虚無を味わったような目が、ノラを見下ろしている。 「わたしの意図を全て理解していながら、友人とは。笑わせますね」 「アベル卿…」 「世間知らずのお嬢さん。わたしと寝た時点で、あなたは友人ではなくなったんだよ」 「…でもわたしたちは一度ならず心から笑い合った仲だろう。わたしはそれを友人と言うよ」  次の瞬間、セルジュの手がノラの頬を挟み、唇が重なってきた。肌が熱く痺れて、絡んできた舌がノラの決意を溶かすように這う。 「んっ…だめってば」 「ほんとうに?あなたも舌を絡めてきているのに」 「だからそれは、あなたが――」  上手すぎるからだ。と、ノラは再び重なってきた唇に淡々(あわあわ)と意識を溶かしながら思った。 「これで本当に終わりです」  短くはない口付けの後、セルジュが言った。灰色の目が昏く、冬の曇天のように翳っていた。
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