第十九話

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第十九話

 狭い室内というだけで息苦しいのに、目の前に座っている男は巨体で圧迫感もある。威圧的な視線は職業柄なのだろう。一切の嘘も見抜く通力を持っているように感じ、無意識に喉が鳴る。  「相馬さんちへピザの配達をしてたんだってね?」  「はい。そこで圭……くんと仲良くなって、話すようになりました」  「じゃあ相馬さんの事情も?」  「何となく知ってます」  そっか、と男は重たい溜め息を吐いた。日焼けした肌に彫りの深い容姿。薄暗い室内でもぎらぎらと眼光は輝き、刑事の凄味を肌で感じた。  後ろめたい気持ちは少なからずある。未成年の圭を保護者から誘拐したこと。事情はどうであれ、許されるはずがない。  潮見と秋人が大声で揉めているのを不審に思った近所の人が警察に通報したらしい。  半狂乱だった秋人は、警察の姿をみて我に返った。獣のような咆哮を上げていたのが嘘のようにしおらしくなり、パトカーで連行されているときも口を開かなかった。  二人は別々の部屋で、取り調べを受けている。圭もまた個室で話を聞かれているらしい。  持っていた書類に視線を落とした刑事は、厚ぼったい唇をゆっくりと開いた。  「潮見くんはクローンなんだね」  「……そうです」  「顔をみてもしかしてって思ったけど、あの「シオミユウイチロウ」だよね?」  「はい」  「あいつが死んでから五年か」  刑事は感慨深げに双眸を細めた。この話は圭と関係あるのか、判別がつかない。だからといって別段、嘘を吐く必要もない。潮見は自分の生い立ちを要約しながら話した。  刑事は黙って耳を傾けてくれていた。  「君も色々苦労してきているんだね」  「圭に比べたら、大したことないです」  俺は逃げ出せたのだから、と内心で付け加える。  「人生を比べることは間違いだよ。君が辛かったのは君自身なんだから、と話が逸れちゃったね。圭くんの身体の痣の件だけど」  「俺がやったと言うんですか?あいつの血が流れている俺が疑わしいと言いたいんですか?俺が酒も煙草もやらないのは、あいつのようになりたくないからです。それも信じて貰えないんですか?クローンというだけで、隅に追いやられるんですか」  ぎろりと睨みつけると、困ったな、と人の良さそうな笑みを浮かべる。その表情は刑事の仮面を外していた。  「確かにシオミは暴力団の一員だった。そのクローンである事実は覆せない。けれど私はクローンとか関係なく、きちんと向き合いたいと思っているんだ。それできみの話を聞いて、あの痣はきみがつけたものじゃないと確信しているんだ」  「よかった」  「圭くんも相馬さんに暴力を振るわれたと証言しているんだけど、本人はだんまりを決め込んでて、こっちもお手上げ状態」  刑事は両腕を上げ首を左右に振った。  秋人は、自分が暴力を振るっていたと認識できていないのだろう。ケイを愛するが故に行ってしまった過ち。たぶん彼はそれを認めるのに時間はかかる。  圭が生まれてからずっと、秋人は過去に囚われ続けている。彼もまた同情すべき部分もあるのかもしれない。  「ま、圭くんの証言がある限り相馬さんは実刑は免れない。さて問題は潮見くんに移そう」  再び刑事としての表情が戻り、ゆっくりと続けた。  「暴力を振るっていたとしても、相馬さんは圭くんの保護者だ。未成年である圭くんを、保護者の許可なく連れ出した件は忘れてないよね?」  「はい。どんな理由があったにしろ、その罪は償う決意はできています」  「よしわかった。じゃあ表に行こうか」  背中を促され外に出ると、圭と婦警が並んで座っていた。もう話は終わったらしい。  圭は潮見を見つけるとよたよたと駆け寄って抱きついた。  「しお、しお」  「もう大丈夫だから。怖いことは終わったから」  圭の髪を撫でてやると、背中に回された腕に力が込められた。婦警と刑事は黙ってその様子を見守っている。  啜り泣く声が止んでくると、圭は潮見を見上げた。零れそうなほど開かれた瞳には大粒の涙が残っている。  「もうお別れだ」  「な、んで。どうして」  「圭は誰よりも幸せにならなくちゃいけない。その為には、俺は邪魔だから」  「そんなことない。しおが傍にいてくれないと嫌だよ!」  圭の腕を解き背中を向ける。身体に残った圭の体温がどんどんと消えていく。  好きだった。愛していた。  楽しかった日々が、まるで走馬灯のように流れてくる。表情がくるくると変わったり、ひょんなことで驚いたり圭と過ごす一秒が愛おしかった。  好きだ、と言って貰えて嬉しかった。誰かに必要とされる歓びがこんなに胸を掻き乱すものだと教えられた。もっと一緒にいたかった。  刑事の元へ戻ると男は目を丸くした。  「待て待て。潮見くんはどこに行くつもりなんだい?」  「刑務所に行くんじゃないんですか」  「どうして君が行く必要がある?」  刑事と顔を見合わせると、お互い顔を傾げた。圭を誘拐同然の行いをしたのだから、誘拐罪で捕まるに決まっている。そうさっきも刑事は言っていなかったか。  「潮見くんは、このまま圭くんと帰っていいよ。話もだいたい訊いたし、暗くなる前に帰りなさい」  「え、あの……どういうことですか?俺は圭を誘拐みたいなことしたんですよ?」  「でも圭くんは一言もそう言ってないよ。助けて欲しいから連れ出して、と訴えただけでしょ」  刑事は同意を求めるように圭を見下ろすと、こくこくと頷いた。  「じゃあ別に誘拐じゃないじゃない」  「だって罪を償う覚悟は」  「これから、圭くんの人生を責任を持って支えてやればいいんだ」  刑事の目尻の皺が一層と濃くなり、早く行けと急かされた。  「しお、早く帰ろう」  圭が腕を引っ張り、釣られるように出口へと走った。  後ろを振り返ると、刑事がしたり顔で小さく手を振っている。
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