長女の帰郷

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『お姉ちゃんはずるい』  昔からよく言われた。友人もよくそうこぼしている。でも、私に言わせれば長女であり姉であるのはいちばん損だと思う。我慢と弟妹のお手本を強いられるからだ。代われるものなら代わって欲しいと、(いま)だに思っている。  この頃はアラームよりも早く目が覚めてしまう。カーテンの外はすっかり明るくなっていて、小鳥の囀りが朝の空気を震わせている。 (うぐいす)かな 布団の中で耳を澄ませた。典型的ではないが、転がるような高い鳴き声も東京の郊外では珍しくない。「どこの東京に住んでるの」とからかわれるけれど、自然が多くて静かな今の住処(すみか)は気に入っていた。 今日は 締め日だな まだ一日が始まったばかりなのに、思い出したとたんに憂鬱がどっと押し寄せる。書類を突っ返す課長の顔と、皮肉の一言一句までが脳内で再生される。 私は頭から毛布を(かぶ)った。 起きる けど もう少し… もうすぐ五十路を迎えるのに、やりきれないほどに非リアだ。恋愛にも家庭にも縁がないなら、せめて仕事だけは順調であって欲しい。そう思うのは贅沢だろうか。 『お姉ちゃんが頼りなのよ』  妹は電話口で甘えてきた。九州に嫁入りした彼女では、確かに母の介護は難しい。子どもにまだ手がかかる時期だと言われれば、私は何も言えなくなる。 父が早くに亡くなって気丈に一人で暮らしていた母に、認知症の気配が見られるようになったのは半年前のことだった。 今はしっかりした時とぼんやりした時が入り交じった状態ではあるが、特効薬はない。少しずつ進行して最後には家族はもちろん、自身のことも忘れてしまうのかとぼんやり思っていた。 『何から始めればいいのよ』 『血圧の薬は宮川先生のとこで貰ってるんでしょ。介護の話も聞いてみたら?』  実家の近所に頼れるお医者さんがいるのは幸運だったが、色々なことがうまく回らないと全てを投げ出したくなってくる。 ともかく 現状を把握しなきゃ 私は勢いよく体を起こした。 立ち上がってカーテンを開け、朝の光を全身に浴びた。まず書類を仕上げて提出しよう。最優先で仕事を終わらせたら、新幹線で実家へ向かう予定だ。
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