長女の帰郷

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しばらく帰省しないうちに、斜向(はすむ)かいのお宅があったところに注文住宅が建てられている。建売りではなく、建築士に依頼して本格的に一から建てた立派なお家だ。 素敵だけどこんな田舎にどんな人が住むんだろう。 何の気なしに窓から覗いてみると、縁側のように人工木のウッドデッキが組まれ、部屋と庭の空間が繋がっている。植栽を整えたら、風を感じながら優雅にお茶が出来そうだ。 『そんなお家に住みたいな』  ベッドの中で交わした会話がよぎった。 『それだけ? 欲がないね』 『あとはあなたがいてくれたらいい』  私が腕の中で甘えると、笙は笑ってキスをした。 『僕もだよ』 バカみたい いつまでも少女趣味なんだから 自嘲の想いが私の口元を緩めた。私には掴めなかった憧れの風景が涙に歪んだ。優しい腕の中はもう私の手の届かないところにある。自分で決めたことなのに悲しくて仕方なかった。カーテンをぎゅっと握って声を殺している私の背中に、母が声をかけた。 「お姉ちゃん」  私は急いで鼻をすすって涙を拭いた。背中を向けたまま、声だけは明るく装った。 「なあに。お腹すいたの?」 「泣いてるの」  違うよ、と言おうとして言葉よりも涙が勝った。拭ったはずなのにまた溢れてきて、振り向けなくなった。訝しく思った母が、私の前に回って顔を覗き込んだ。 「どうしたの。お腹痛いの?」  心配そうな顔で私に問い続ける。ややあって、母は私の頭をぽんぽんと優しく撫でた。 「痛いねえ。でも、こうしたら大丈夫だよ」  母はにこにこしながら、私のお腹にもそっと手を当ててさすってくれた。 『よかった、熱は下がったね。お粥なら食べられそう?』  不意に幼い頃の景色が浮かんできた。体調を崩して学校を休んだ時、母が看病してくれたこと。好きなおかずも食べられないし、遊びにも行けない。だけど、優しくされるのが嬉しくて、明日ももうちょっと具合が悪かったらいいのに、なんて思った。 『図工の絵、色が綺麗だったね。麗奈らしいよ』  いつもよりゆったりした時間に、母は珍しく私を称賛した。頬が熱かったのは、熱やお粥のせいだけじゃなかったと思う。 そうだよね 私も忘れてたんだ ごちゃ混ぜな日々を重ねて、私たちは家族として暮らしてきた。いちばん近い存在だから、悪いところも嫌なところもお互いに見えてしまう。でも、優しい想い出が間にはさまっているから、相手のこともまた思いやれる。 「ありがとう」  私は声を上げて泣いた。 母は私を抱きしめて「大丈夫」と何度も繰り返した。
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