ミノタケソング

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 行きつけのカラオケ店でランキングトップ10に入ったのは昨年夏のことだった。月に一回前月のデータをまとめて、月初に発表される。そこでトップ10に入ると店頭に張り出され、登録名が掲載されるのだ。  別にトップ10を目指していたわけではなかったのだが、たまたまトップ10に俺の名前が掲載されているのを見つけた息子が大喜びするものだから、歌魂(うただましい)に火がついてしまう。この時は93点目前というところで第9位にランクイン。次はトップ3をねらってみよう。トップ3に入るには97点以上取る必要がありそうだ。そのくらいのレベル感。そのハードルは決して低くはないだろう。  案の定、それ以来何度歌えども93点以上を取ることができない。年甲斐も無くカラオケで本気になって歌う気恥ずかしさもあったが、俺は高得点を取ることにやみつきになっていた。目的は息子を喜ばせること、この一点に尽きる。  音程が不安定なのか、抑揚が足りないのか、それとも声量が足りないのか…、そもそも選曲がよくないのか。考えうる問題を一つ一つ解消させながら歌の実力を上げていく。それでもなかなか点数が伴わない。92点台が俺の限界なのだろうか。  そうこうする内に、息子の方が高得点を取るようになり、ある曲で93点台をたたき出した。まさか息子に負けるとは…悔しさもあったが、自分の名前がランキングに掲載されているのを見て喜ぶ息子の姿を見ると心晴れやかになるのだった。  それからは、二人でトップ3を目指そうということになり、毎週のようにカラオケに通っては歌いまくった。お互い刺激し合うように少しずつ得点は伸び、ついに二人共に95点の大台に乗る。  あと一息…あともう一息でトップ3に君臨できるかもしれない。  その矢先だった。息子が変声期に入ったのだ。ここ最近声が低くなってきていることは感じていたのだが、それが歌声にどこまで影響を与えるのかは想像がつかなかった。思い返せば俺自身がカラオケデビューをしたのは、もう声変わりも終わった中学三年生の終わり頃だ。息子は声変わり前の小学生の段階で早めのデビューをしていたのだ。  声変わりの始まった息子は、今までなんなく出せていた高音が出せなくなって、自分に合ったキーを曲ごとに設定することに苦心していた。それ以前にキーを変えないと歌えないことが歯痒くて仕方ない様子。そんな状況だったので点数も伸び悩み、いつの間にか90点を取ることも難しくなってしまう。声が低くなることによる声量不足等、様々な要因が重なって、技術的にも精神的にも圧倒的不利な状況。  見るに見かねて息子の変声期が終わるまではカラオケを休もうと提案してみることに。きっと半年〜1年はかかるだろうが致し方あるまい。その提案を受けた息子は、 「いいよ、先にパパがトップ3に入ってよ。僕は今の自分に無理のない歌い方で歌を楽しんで歌うから。パパの名前がトップ3に入るのを見たいんだ。その代わり、声変わりが終わるまでに達成してよね!」  息子の殊勝な言葉に感心しつつ、その意を汲んで、結局カラオケは通い続けることにする。  満足には発声できない息子の分も俺は歌う。そして必ずトップ3入りするのだ。いよいよ本腰を入れた俺は、特定の三曲に絞って練習を積み重ね、歌い続けた。念願のトップ3入りを果たしたのは、それから約二ヶ月後のことだった。98.999点で第1位にのぼりつめる。その時は息子と手を叩いて喜び合った。第1位には"次回のフリータイム無料"というおまけまでついてくる。  ーー ついに目的を果たした ーー  あとまだ数ヶ月、息子は変声期……()()()()()()()歌声で歌わねばならない。それでもカラオケで歌を歌いたいらしい。マイクを通して歌うこと自体が好きなようだ。目的を達成した今、俺自身、身の丈に合った歌声を追求するのも悪くないかもしれない。点数など気にしない世界観で。案外その方が楽しんで歌えるかもしれない。本来それが『歌う』ということのはずなのだ。もしかしたら息子は既にそのことに気づいているのかもしれない。  それでも、やがて変声期を終える息子がトップ3入りを果たすことを、俺は夢見ている。そしていつか、歌が彼にとって生き甲斐のようなものになってくれたなら……その時ステージは、カラオケ店からライブ会場に飛躍することだろう。 【完】
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