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(2)
紫苑はもともと華族の令嬢である。そんな彼女が男装をする羽目になったのは、家に後継ぎとなる男子が生まれなかったためだ。正妻の他にも何人も妾を抱え、それでも女ばかり生まれて後がなくなった父親は、紫苑を男として届け出たのである。紫苑が当主となった後は、姉たちが生んだ子どもを養子としてとらせる予定だったらしい。
ところがまさかの事態が起きた。なんと本物の男子が生まれたのである。ここで紫苑が女に戻り、姉たちのようにどこかに嫁ぐという話になるなら、紫苑はまだ我慢することができた。だが、両親たちは紫苑を外に出すことを嫌がった。自分たちの不正が明るみに出ることを恐れたからではない。紫苑が持つ特殊な力が家から失われることを恐れたのだ。
紫苑には石の歌声を聞く能力があった。紫苑の生まれた家は、代々鉱山を所有している。紫苑の能力を使えば、採掘を効率的に行うことができるのだ。そのため家族は紫苑を嫁には出さず、死んだものとして戸籍から抹消し、家に繋ぐことにしたのだ。
家族にとって予想外だったのは、紫苑が思ったよりも行動的だったことだろう。生まれてからずっと男として暮らしてきた紫苑は、世界が広いことを知っていた。だから身の回りの荷物と、密かに貯めておいた資金を持って家から逃げ出したのである。
帝都に到着した紫苑が今の主人である煕通に出会ったのはあくまで偶然だ。洋装の美青年が大通りで探し物をしていることに気が付いた紫苑は、最初は見なかったことにしようかと思っていた。しかし仕立ての良い服が汚れることも厭わずに懸命に探す様子に、つい声をかけてしまったのである。
『どうされました?』
『新婚のお客さまの結婚指輪から落ちてしまった金剛石を探していてね』
『この大通りで落とされたのですか?』
『そこがわからないんだ。お客さまがいらっしゃる店の中をくまなく探したものの見つからず、一縷の望みをかけて通りを探しているところさ』
『指輪などを落とすと、持ち主の不幸の身代わりになったなどと言いますが、新婚ならやはり見つけて差し上げたいですね』
石の歌声を聞くことができる紫苑は、石を大切にするひとの笑い声も好きだった。新婚夫婦が大事にしている結婚指輪の石なら、きっと素敵な歌声が聞こえるはずだ。
『わかりました。ちょっと頑張ってみます』
『え?』
『すみません、少しお静かに』
しろくひかるは ねじりうめ
へびのうろこに あまいかし
うみのはてから つれられて
ようやく あえたよ かたわれに
甘い、喜びにあふれる石の声。持ち主から離れて嘆くのではなく、かといって持ち主の元に戻ることを拒むでもなく。ただ再会の嬉しさに震えている。
(ああ、なんて美しいのかしら)
石の歌声に共鳴して、身体が動いていく。大通りに面している宝飾店のわきを通り過ぎ、裏手にある工房に身体をねじ込んだ。
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