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(4)
工房での生活は、非常に心地よいものだった。気さくな職人たちに可愛がられながら、石の声を聞き装飾品の意匠を考える。そして煕通はことのほか紫苑を大切にしてくれた。あまりにも優しいので、時々紫苑は勘違いしてしまいそうになる。煕通は自分を特別に想ってくれているのではないかと。ただ、石の歌を聞く能力が重宝がられているだけなのに。
「紫苑、わたしの分も食べてごらん」
「煕通さま、さすがにそんなに入りません」
「だが紫苑は細いから、見ていて心配になる。もっと食べて大きくならなくては」
「さすがにこれ以上、背は伸びませんよ」
「でも肉付きが良い方がわたしはいいと思うからね。口を開けて。あーん」
上から下まで見つめられて、紫苑は顔を赤くする。女だと言い出せないのは自分のせいだが、煕通の幼い頃のものだという和装を着ていれば、問題なく男に見えるのは何となく悔しい気がした。
「紫苑はうなぎが好きだね。美味しそうに食べる顔が本当に可愛らしい」
「そうですね。煕通さまと一緒にいただくと余計に美味しく感じてしまいます」
「よし、やはり追加でもっと注文しよう」
「だから、これ以上は入りませんってば」
(どうしてこんなに素敵な方が、結婚もせずにふらふらしているのかしら。もしかして、おおっぴらにできない相手がいらっしゃる?)
どうしてだか、煕通が別の女性の隣で微笑んでいる姿を想像すると苦しくなった。頭を振って気持ちを切り替える。
「先ほどここに来る前に、少しだけ石の歌を聞いたのですが」
「おや、彼らはもう歌っていたのかい」
「はい。ただ、意味があまりよくわからなくて。歌詞から想像すると、どうも白いドレス姿になるようなのですが……」
紫苑にできるのは、あくまで石の歌声を聞くことだけ。海の向こうの装飾や服飾に詳しいわけではない。
「それならば彼らの望み通りになるように準備をしておこうか」
「煕通さまは、彼らがなりたいものがわかったのですか?」
不思議そうに尋ねる紫苑に、煕通がうなずいた。ただでさえ甘い美貌がさらに輝いていて、うっかり見惚れてしまう。
「あれはもともと結婚指輪に加工しようと思っていたんだ。和装ではなく洋装が似合うと思っていたんだが、彼らにもその心づもりがあったか。君に石の歌を聞いてもらって安心したよ」
「煕通さま、今回はずいぶん慎重ですね」
「絶対に成功させたいからね」
(よほど大事な方の結婚式なのね)
こんな豪華な花嫁衣裳を準備できるのは、ごく一握り。店に来たことがある客の顔を思い出そうとしているのに、なぜか花婿として煕通の顔が浮かんでしまう。
(やっぱり変ね。お腹が痛くなる前に早く帰らなくては)
慌ててお茶を飲み、紫苑は固く目をつぶった。
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