2人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
元々は、西洋風に誂えた別荘で、内装は趣のある、意匠に富んだ建物である。
家主が増築と改築を重ねて、今ではその風情もほとんどみあたらない。
壊れた鍵穴は、王水角が入居する前からそのままらしい。
開け放たれた窓から冷たい雨が吹き込んでいる。
大切な資料が、飛び散った雨粒に湿っていた。インクがぼんやりとにじみ出しているのをみて、
いけない――!
叫ぶより先に窓に飛びついていた。
そのとき、
「……くそ」
と、大きな身体が、窓枠にしがみつき、重い身体が勢いよく持ち上がる。
男は、震え上がる王水角を前に、部屋の中に降り立った。
黒いチェスターコートに身を包み、渦を巻くような黒い髪に、雨滴をしたたらせていた。
不吉な目をした男が、全身濡れそぼった姿で、王水角の目の前に立っていた。
王水角は、ヒッ、と口にしたきり、動けなかった。それでもようやく、警察に、と、電話を取ろうと思い出す。
「歌声は、三度の飯より、好みらしいな?」
なにやら、俗っぽい口調。
男の伸ばす手の先に、電話がある。
それを、彼は投げ落とし、小汚い王水角の部屋に一瞥をむけた。
「だ、だ、……だれなんだ」
王水角の唇は震えていた。唇だけでなく、全身が大きく、ぶるぶると小刻みに震えていた。逃げ出したいと思っていたが、彼の足は動かなかった。
「誰って……」
男は寄りかかったテーブルから一枚の記事を摘まみ上げる。
「白……、金……、商……」
文字を伝う指先に、王水角は答えていた。
「白金商……」
続けて、王水角はまさかと、彼を見つめる。
濡れた、黒い瞳が、王水角を見つめ返している。
港町を撫でる歌声の主が、目の前に。
「誰も、正体が掴めなかった、あの、白金商……?」
「記事にでもするか? くだらん五流以下のハイエナ記者王水角」
睨み付けるその眼差しに、王水角の胸は跳ね上がる。まさか、彼の口から名前を呼ばれるとは、思いも寄らないことだった。
最初のコメントを投稿しよう!