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油桐花が、ぽとぽとと散っている。
その中にあって、王水角は、まるで雪に降られているようであった。
歌は、この山の中にまで、低く、唸るように届いていた。
むしろ、町の喧噪に身を置いているときよりも、強く聞こえるほどであった。
その声を、王水角は辿ってきた。
彼の目には、旧い古城をとめている。
小一時間ほど、彼は荒れ果てた門の前で、恍惚とした顔を潜ませて立ち尽くしていた。
緩やかな坂道を、歌声に引き寄せられるようにして上ってきたのだ。その道の両脇に、麓から油桐花が連なって、早咲きの忍冬が、時折、心を乱すほどの芳香を散らして匂っていた。
王水角の手には切り抜いた新聞記事を握っている。
指の隙間から見えるのは、夥しい字の横に添えられた、黒々とした写真であった。細かく折りたたんだ痕が、まるで格子をかけるよう。
色あせて、汗染みに斑点が浮かぶほど、彼はその記事を、文字通り、肌身につけて持ち歩いているらしい。
五月雨に降られた草の芽が、水気を帯びて、弾けんばかりに膨れていた。
王水角の靴はその根に埋まり、ぬるんだ土の窪みにはまっていようと、気に留めている様子はない。
白いシャツは随分前から、己の熱気と湿気に濡れていた。
梢の雨が降りかかると、白い肌が透け、そこに、丁度、艶やかに綻びかけた、桜花の蕾みが浮き上がって見えるようだった。
王水角は、妙な男だった。
その花の蕾が、何やら誘うらしい。
細い首筋に爪を立てれば、桃の、瑞々しい香りが、傲慢なほどに溢れてきそうな男であった。
華奢な腰つきは、着こめたシャツが、たっぷりと余るほど。肉の、ほどよい太股が、形良く、膝へと続いている、その、身体のせいともいえた。
黒縁の眼鏡の奥には、そうした、掻き立てられるほどの容貌があるようにも思われた。
しかし、探ろうにも、荒れた草木が行く手を阻み、どの花が匂っているのか、検討もつかない。
王水角もまた、声のありかがわからなくなった。
低く、背筋を這う声は途端、遠くにかすみ、再び、つかみかけたと思ったとき、その手には雨煙を握っている。
「……白金商」
王水角は苦しげに呟いた。
細い咽を更に狭くしぼめたような、苦痛な声だった。
白金商とは、この港町を、怪しさの気配に沈める、魔性の歌声を持つ、男の名であった。
誰も、姿を見たことがなかった。ただ、歌だけが、何百年、もしくは何千年と、町中に響いていた。
王水角の握る新聞記事の、黒い写真は、その姿を捕らえたと思われる唯一のものだった。
月光がかすかに差し込む闇夜の中に、遮るものがある。それが、白金商――。
湿った初夏の風が、濡れた身体に冷たい。
古城はすでに、人の気がない。
潰えた城は、人の住めるようなところでもなかった。
――白金商の屋敷。
そう、密かに語り継がれていた、噂であった。
王水角は失意を露わに、その場を引き返した。
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