春水にとける

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 冷えたからだが、僅かに熱を取り戻し、古城へ向かうと決意したときの、あの高揚感が蘇る。 「私を、知って……。まさか、白金商が、私を……?」 「ああ、知っているとも。朝から晩までこそこそと。目障りな男、王水角」 「その、目障りな男のところに、一体、何の用があって」  大きな身体をどっかりと椅子にかける白金商に、王水角の唇は綻んでいた。  落ち着きなく髪を掻きあげ、ちらりと、隈なく視線を注ぐ。  その鬱陶しさに、白金商が苛立った。 「さかしいな……」  思案を巡らせる彼の長い指が、唇に触れた。 「いや、大したことはない。住む場所がなくなったものだから」 「住む場所とは、あの古城のことですか?」 「あんなぼろい屋敷、住めたものではない」  と、白金商は一笑し、テレビをつける。  目をひくテロップが、しきりに速報をつたえていた。  どうやら、ニュース番組のようだった。画面には燃えさかる美術館がいっぱいに映し出されている。消防車のサイレンが、スピーカー越しに、やかましかった。 「若輩者が私の塒を燃やしたせいで、住む場所がなくなった。しばらく厄介になる。そうだな……。まず、私をどうしたいか聞いてやろう」 「調べたい」  王水角は間髪入れずにそういった。しかし白金商はふんと鼻を鳴らす。 「研究されるのは、嫌いなんだ」 「研究? まさか! 私はただ、あなたがどうしてこの港町で歌を響かせているのか、いつから生きているのか、何者なのか、それが知りたいんです」 「私の人生を記事にして売るか?」 「いいえ。売りません」  途端、白金商は声を上げて笑う。 「売らないだと? 人の回りを散々嗅ぎ回っておいて……」 「純粋な、疑問なんです。あなたが、何者なのか。どうして、この港町にはあなたの歌声が満ちているのか……」  神聖な、そして、背徳的なまでの美しい歌声が、一種の快感を植え付けて、港町の人々を幻想に誘いだす。  あるいは夢へといざない、また、夢の中でも彼にこだわり続けて、心を奪われる。  古い言葉でつむがれた歌は、ゆったりと身体に沁みわたり、腰が、砕けるほど心地よい声である。
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