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- 戦慄の事件、凶悪犯は今、どこに! -
- 仲の良い家族に、一体誰がこんなむごい事を!-
- 勤続数十年の刑事も絶句したという凄惨な現場 -
毎年、この季節になると、週刊誌の見出し広告に載るこれらの文言が、人々の心に暗い影を落とす。
村上一朗太も、思わず電車のつり革広告に並んだ文字を目で追うも、
見てはいけなかったものを見てしまったように、秒速で視線をそらした。
今現在住んでいる二間のアパートは、臨床検査技師として総合病院に勤める自身の給料に見合った物件という訳ではないが、小ぎれいなマンションに移った所で、部屋に呼べる彼女がいるわけでもなく、虚しさがつのるだけと判断して現地にとどまっている。
激務という事もあり、仕事終わりにはマンションに直行。同僚も至って真面目な性格の者が多く、花見シーズンの飲み会と忘年会位が関の山という感じだった。
そんなこともあり、今日もコンビニで買った夕飯用の弁当と朝食用のパンが入った袋を空いている手に下げて、部屋に帰る。
離れて暮らす一朗太の母親は、知る人ぞ知る国会議員で、その党でも重鎮とされている人物だった。
元々弁護士であった母親は、一朗太の父でもある夫を事故で亡くし、その弔い選挙で政界に出たという変わり種であった。
例えアラフォーという押しも押されぬ中年世代に突入したとても、一朗太は母の事が大好きだった。思えば幼い頃から、視界に入る母は常に何かをしており、ソファで居眠りをしているとか、
疲労困憊といった様を決して他人には見せない人物だった。
公務の合間、偶に時間ができたりすると、一朗太の希望に沿い、その時間を使ってくれた。
何でも欲しいものは買い与えてくれたが、何よりもうれしかったのは、二人で出かける旅行だった。
その旅でも、母は自分の買い物などは一切せず、子供第一主義で、遊園地や動物園を回る。毎年行くハワイでも、土産として皆に配るマカデミアナッツを人数分買うだけという堅実さだった。
一朗太からしてみれば、自分にはどんどん物を買ってくれるのに、なぜ母は自分の為にお金を使わないのだろう?と疑問を抱くこともあった。
小学生時代、母親にそれを尋ねてみた所
「ママはね。いっちゃんが喜ぶ顔がみたいだけなの。他には何にもいらないのよ」と言い、優しく一朗太の頭を撫で微笑んだのだった。
ある不幸な出来事が一朗太の身にふりかかったのは、小学校、6年に上がったばかりの頃だった。
学習塾の帰り、ふとコンビニに立ち寄ろうと考え、道を急いでいる時、それは起こった。
「あの、場所、教えてもらってもいいかな?」
という問いかけに、何の疑いもなく、立ち止まると、鼻先に刺激臭のあるハンカチを持ってこられ、そこで一切の記憶が途絶えた。
目を覚ました時、一朗太は岡崎と名乗る犯罪者の部屋にいた。衣服は全て脱がされ、男はバシャバシャと一朗太の肢体をカメラに収めた。
恐怖のあまり、ろくに口もきけなくなっていた一朗太に、岡崎は
「おまえの母ちゃん、村上隆子だろ。調べはついてんだ。
俺は男にしか興奮しない性質でな、悪いが眠ってる間、体を堪能させてもらったぜ。映像はしっかり残した。母ちゃんにばらされたくなかったら、これから先も大人しく俺のものになれ。いいな」といい放ち、服を着させた後、部屋の外に追いやった。
岡崎は賢く、その後、一朗太を呼び出しても20分足らずで行為で終わらせ、家族に怪しまれないよう帰宅させた。
年端もいかない内に男色の道に引きずりこまれた一朗太は「もう人生終わったも同然」と考えた。そして、それまでの人生を振り返り「これまでのほほんと人の善意に育まれて生きてきた代償」かも知れないと、自身を呪った。
同時に、幼い頃から、一朗太最優先で来た母を悲しませてはなるものか!との思いを強くし、その一心で、岡崎に言われるまま性の僕となり続けた。
暗黒の中学時代を経て高校に進学すると、女の子にも俄然興味が湧いてきて、クラスメートと「あの子がいい」「やっぱり、この子かな?」などと話し、場が盛り上がる機会も出てきた。
しかし、自分にはもう普通の恋愛は出来ないとした冷静さも持ち合わせており友人から「あの子に告白した」という話を聞いては、自分もそう出来たらどんなにいいだろうとした羨ましさに身を焦がした。
高校生になって初めての夏休み、一朗太は、岡崎にある告白をする。
かなり複雑な環境で育った岡崎は、中学まで施設に入れられ、そこでも荒れに荒れて少年鑑別所に送られたといういわくつきの人物だった。
それでも、ハタチを迎える頃には落ち着き、知り合いの解体屋に職を得る。発展場などで、同好の士を見つけようにも、ガラが悪いためつれなくされる岡崎は、こんな苦労をせず、何とか好みの男を手に入れたいと切に願う。
そうした思いで身悶えしていた頃、偶然見かけたのがコンビニで立ち読みをしていた一朗太だった。
後をつけて、その素性を知ると、居ても立っても居られず、二週間で拉致決行に移った。
最初は欲望のはけ口として一朗太の肉体を利用するだけだったが、日が経つにつれて愛情も芽生えてくる。
時に「一朗太も自分に好意を持っているはず」と、都合のいいように考える事もあった。
一朗太は、その行為の後、岡崎に、こう打ち明けた。
実は、家庭教師のバイトで行っている先で、その教え子の母親に幾度となくせまられ、ほとほと困っている…
組織に話して、その担当から外してもらう事も考えたが、教え子である娘自身は素直でやる気もあり、その子の為にも何とか事を穏便に済ませたいと考えている…と。
「なにっ、ほんとなのか?畜生、そのばばぁ、ぶっ殺す」
思った通り、岡崎は、怒りを爆発させた。それでも一朗太から訪問先の家を聞き出し、携帯で位置確認した後は、煙草を吸い、しばし何かを考えているように映った。
それから一ヶ月後、世間を震撼させる事件が起きた。
何気なくテレビのニュースを見ていると、昨夜未明、八王子市の民家で一家三人が殺されているのが見つかるという一報が流れ、現場は、正に、一朗太が岡崎に、家庭教師で行っていると告げた家だった。
確かに、家庭教師の訪問先で母親に迫られているという噓を吹き込んだ際、岡崎は怒り「ばばぁ、ぶっ殺してやる」と口走ってはいたが…
だが、実際、その日を境に岡崎からの連絡は途絶え、なしのつぶてとなる。
初めの計画としては一朗太が悩んでいるのを聞きつけた岡崎が、人知れず襲撃を企てあの家に入り込んで、主婦を殴りつけるなどし、結果、三年位の実刑をくらい、その間、一朗太は「悪い仲間との関係を断つ為、語学留学したい」と母親に打ち明け、しばしの間、海外に身を置くというものだった。
せいぜい傷害、器物破損、住居侵入と踏んでいたのだが、殺人?
いや、まさか!単なる偶然だよ。そう思えば思う程、噓をでっち上げた時の岡崎の怒りの表情が甦り、二進も三進も行かなくなった。
後日、事実関係が少しずつ明らかになっていく。
最初、家には主婦と一人娘の女の子しかいなかったようで、犯人は施錠されていない勝手口から入り凶行に及んだらしいという事だった。
数時間後、その家の主が帰宅し、主も犯人の毒牙にかかったと言う。
- 噓だろ!まさか、俺の為に人殺すなんて、有り得ないよ…
でも、あんなにつきまとってた奴が、ぷっつりと何の連絡もよこさないなんて!やはり、奴の仕業なのか -
「何としてでもあの獣から逃れる」とした最初の目的を達成させた一朗太ではあったが、気持ちの面では悶々とした日々が続く。
もし、警察にたれこめば、事件は一気に解決に向かうのか…
いや、まだ確信が取れない。
思えば、あの男の慰み者として始まった人生は暗黒の、黒に塗りつぶされた、不幸を絵に描いたような日々だった。
一朗太は、数年間黙って受け続けた悪魔の所業から解放されてもなお、己の心に居座り続ける岡崎の残影に夜ごと、おびえながら、これからも自分は、日陰の道を歩んでいくしかないのだろうと深いため息をついた。
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