おしゃべりは宝物

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おしゃべりは宝物

「僕ね、中学時代は頼まれたら何でもやったんだ。だから……合唱祭で指揮者をした。ろくに音楽経験がないのにね。そのときの歌が……」 「桜は愛の花……?」 「そう、僕たちが卒業式で歌う歌。何回練習しても、タクトを振る速さが一定じゃないって、みんなに注意された……振っていくうちに肩が下がるんだよ。湿布を貼って本番を迎えた」 「どうなったの?」 「全然ダメ。その日から地獄がはじまった」 さつきくんは笑っていた。 「学校中のみんなが、僕とすれ違う度に、僕が合唱祭でやった不規則なリズムの指揮を真似るんだ……名前も知らない上級生や、僕に挨拶していた下級生まで……それに僕の中学校でも、『桜は愛の花』が卒業式の歌だった……」 さつきくんの声は震えていた。でも、笑ったままだ。 笑顔で話さないで、さつきくん。つらい経験なのに……。 「さつきくん……」 「僕は、かおりさんや他の卒業生をバカになんかしていない。でもあの歌を聴くと、大声で叫んで机を蹴り飛ばして、音楽室を飛び出したくなる……」 「さつきくん!」 私はブランコから降りて、さつきくんを正面から抱きしめた。 「ちょっと、かおりさん」 「さつきくん、あのね」 「いや、かおりさん……」 「何?」 「……胸が当たってますよ、かおりさん」 「もう! いいから聴いて、さつきくん!」 「はい……」 やらかした。これは刺激的な接触だ! さつきくんがしゃべると、ブレザーやシャツに息がかかってくすぐったい。気づいたけど、私は気にしていないふりをした。 心に浮かんだ大切な言葉をすくいとって、かたちにしたいから。 さつきくんの力になれるように、私は全力で言葉を紡ぎたい。 「私がその場にいたら全員、蹴り飛ばしてた!」 「乱暴者だねー」 「がんばったさつきくんを誰かがからかうのは、許せないから」 「そうだね……かおりさんがあのときそばにいてくれたら、変わってたかも」 「ごめん、さつきくん」 「なんで謝るの?」 「嫌いな曲なのに私、『歌え、歌え』ってウザかったよね?」 「ウザくないよ。かおりさんは正しい」 「正しくないよ」 私は抱きしめる腕を強めた。 「か、かおりさん、胸が……」 「いいから」 「はい……」 「さつきくん、大丈夫だった? 夜ちゃんと眠れた?」 「え?」 「卒業式の練習で、何度も嫌な歌を聴かされてたでしょ? 寝るときに、頭のなかで曲が流れたりしなかった?」 「そういう夜もあったけどね……」 さつきくんが私の胸に頬を押しつけた。 まるで私の心臓の音をとらえるみたいに。 「かおりさんの笑顔を思い浮かべたら、また明日会いたいなって、安心して眠れるんだ。きみとのおしゃべりは僕の宝物だよ。ねえ、かおりさん」 私は腕の力をゆるめて、さつきくんを見た。
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