真緑の鉄塔

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もし裕福で幸せな夫婦を絵なり文章なりで典型的に描写しろと言われたら、沙夜子の日常の風景はその題材として満場一致で選ばれるであろうか。 夫の正良と二人で、トーストと卵焼き、半分に切ったバナナの朝食を済ませた沙夜子は台所で食器を洗っている。正良は食後のダージリンを飲む。真っ白なポットの表面が鮮やかな照りを発していた。正良と結婚する前、沙夜子は普通にコーヒー党であったが、ダージリンは香りも味も本当にいいし、何より健康にも寄与する飲み物だよと夫に言われ、朝は紅茶に切り替えた。 ダージリンは値段は高いが、その品質は二人の生活に相応しいもののように思われる。沙夜子もダージリンを気に入り、朝にそれを味わうのが彼女の楽しみな一時となっていた。 食卓と連結した広い居間には亜麻色のカーペットが敷かれ、それより少し濃い色合いをした四人掛けの大きなソファが置かれている。その前にあるガラス張りの黒色のテーブルが朝の陽光を優雅な感じに受けていた。 開けられた広い窓からは四月中旬の幾分ひやっとした風が吹き込み、左右のカーテンの裾を揺らしている。 沙夜子の寝室からは赤ん坊の泣き声が聞こえた。 「あら、お目覚めみたい、今日は少し早いかな」 上下紺色の薄手のパジャマ姿で沙夜子は寝室に向かう。沙夜子の顔立ちは生来の造形美が化粧など撥ねつけているかのように流麗でしとやかなものであった。彼女の起き抜けの多少乱雑な長い黒髪がさっと揺れた。正良はそんな沙夜子を満足げに見て微笑む。正確には彼のその眼差しには美人な妻に対する鑑賞の趣があった。正良も清潔そうな短髪に顔貌もきりっとしていて、優し気な目元と合わさって中々に好男子だ。 沙夜子は寝室に入りベビーベッドの縁を握り赤ん坊を覗き込む。ベビーベッドの四方の枠はなだらかな曲線風に麗しく細い木々が連なっていて、それが繊細かつ丁寧に作られたものであることが一目で分かる。沙夜子が妊娠してから正良と二人で家具店に行った時、沙夜子は最初手ごろな値段のものを提案したが、夫がちょっと堅い感じがすると、何と三十万円するこの品を即決で購入したのだ。沙夜子はこんな高級品とためらったが、夫は子供は二人か三人は欲しいし、これは一度きりのものじゃないからいいさと沙夜子を説得した。 「おはよう、百合奈」 娘、百合奈は母に向けて抱っこをせがむ。沙夜子は百合奈を軽やかに抱いて居間に歩きソファに座り、娘をあやした。 正良はシャツとズボンの出勤姿で二人に顔を寄せ、妻と娘の頬に少し長めの愛おしい口づけをして、行ってくると家を出る。すぐに庭から車のエンジン音が聞こえた。 沙夜子は百合奈を抱擁して立ち上がり、窓から外を眺める。庭には綺麗に植樹された幾種類かの木々が並び、その中の一つには、梢に赤い蕾が膨らんでいる。 沙夜子の住む家は洋風の大きな二階建てで、全体的に丸みのある作りをしていた。外見は艶やかな白い壁、その周縁には橙が品よく彩色され、適度な柔らかみを演出し、庭の木々と相まって幻想的な雰囲気を漂わせていた。 沙夜子と正良は婚約すると、すぐにこの家を建てた。新婚当初、二人で住むには広すぎる間取りに、沙夜子は掃除が大変ねと言い、正良は、そこは頑張ってくれよ、でも将来家族が増えるのを考えればこれくらいが丁度いいと笑って返した。 私はきっと幸せなのでしょうね。 沙夜子は百合奈を弱く揺らしながらそんなことを思った。
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