真緑の鉄塔

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ある日、夜に祖父の家で座椅子に凭れて沙夜子が読書していると母親がやって来た。母はじろりと沙夜子を見る。 「沙夜子、最近のあなた週末が賑やかみたいね」 母の理知的な顔立ちが多少の険を帯びた。 「賑やか?」 「そう、楽しそうな声が飛び交ってるみたい」 「それがどうかした。中学二年の女の子が、休日に友達と遊ぶのは不自然なの?」 やっぱり気づいてたか、沙夜子は本を置いて、母に微笑を向ける。 「友達ね、学校のかしら」 「勿論よ、私はまだそれ以外の交友関係なんか持たないし。お母さんだってそんなこと分かってるでしょ」 「その友達は同性?」 「当たり前じゃない、クラスの男なんか呼ばないよ。変に誤解されても嫌だし、私が誘われることもないしさ、皆の間でもそんなのはない」 「沙夜子、よく聞きなさい。あなたは学校の異性を虜にしてるだけじゃなくて、小さな男の子にも好かれているの?」 「何の話よ」 沙夜子の眼光は一転してぎらついた。母もそれなりに整った顔立ちだが、説教する時にも、娘の美貌に女としてどうしても足を乗せたい感情が伴うようであった。 しかし沙夜子はそんな母の態度ではなく、母が翔太に触れたことに強く怒った。あの子との時間を邪魔しないで、沙夜子の本心が母にも伝わった。 「ま、いいわ、好きにすれば。あなたは品行方正で成績も優秀だし、一人っ子でかわいい弟もいないから」 そんな時期があるのも思春期なのか、でも程々にするのよ、母は釘を刺して家を出た。 母がいなくなり、沙夜子は脱力して座椅子を倒してうつ伏せになった。母の言葉は沙夜子に自分と翔太との不安定な関係を突きつけた。 私と翔太との愛はこれからも続くのか、それともある時、急に私の前から翔太がいなくなって。 それを思うと沙夜子は不安に胸が張り裂けそうになる。加えて若すぎる故に恋愛感情も制御は出来ない。翔太はもはや完全に沙夜子の胸中を支配していた。 そんなことあるわけない、翔太はずっと私の側にいて、私は彼の成長を見届けるのよ。 だが沙夜子の不安は直後に現実のものとなった。間もなく夏休みという週末、雨の降る中、傘をさしていつも通りに公園に向かった沙夜子は、いきなりに翔太から転校することを聞かされた。 「転校?引っ越すの」 「うん、今回はすぐに休みに入るからバタバタしなくていいだろうって」 翔太は傘をさしたまま俯いている。 「いつ、いつなの」 沙夜子は焦る。 「来週、俺は絶対嫌だって何度も大声で言ったけど、そしたらうるさいって殴られた」 沙夜子は傘を投げて両手でそっと翔太の頬に触れ、顔を上げさせる。右の頬が青く腫れていた。翔太は涙目で沙夜子を見る。沙夜子は雨に濡れるのも構わず、失意の息を吐いて翔太の頬に口づけした。 「家に行こう」 沙夜子は傘の柄を握るが、その手には全く力が入らない。二人はとぼとぼと肩を落として歩く。家に入ると、沙夜子はいつも通りにお菓子を出したが翔太は食べなかった。 彼は両膝をぎゅっと抱いて身をかたくして泣き始めた。 沙夜子も激しく動揺する。 これで私は翔太と別れるの、翔太とは二度と会えない。彼がどこで何をしているのかも分からないままに。 何でよ、何でこの子がそんな馬鹿な母親のもとに生まれるの。 たった一人の子供も育てられないような。 沙夜子は翔太の顔をタオルで拭く。初めて出会った時のように。しかしあの時と違い翔太の涙は止まらなかった。 このままだったら、翔太はどうせ高校どころか中学にもまともに行けはしない。それどころか命を失うようなことが起こるかも。 そんな人生送るくらいなら。 沙夜子の脳裏には突然に鉄塔の姿が浮かんだ。公園と家との間にある山道から見える、全身にツタが柔く絡んだ鉄塔。 鉄塔、鉄塔・・・ 沙夜子は祖父が書斎として使っていた部屋に行き、机の引き出しからカギを取り出した。銀色のカギ、それは鉄塔と違って錆びもなくきれいなものだった。 沙夜子はカギを強く指で擦った。
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