千葉からの客人

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千葉からの客人

「朔弥、なあ」 「なんだ」  函館区公会堂の夜会。近藤はじっと朔弥を見ている男性がいると囁いた。そのうちその男性は、葡萄酒のグラスを持ったまま近寄ってきた。 「恐れ入ります。私は千葉の佐原の町で乗合自動車をしております、神崎商社と言いますが、もしかして岩倉専務?」 「……その声は、ああ。清麿君?」 「そうです! 朔弥さん!会えて嬉しいです!」  神崎清麿は嬉しさのあまりに朔弥と握手した。朔弥も嬉しく微笑んだ。 「感激だ……朔弥さんに会えるなんて」 「いつ来たんだ? まあ、こっちで話そう」  日頃、電話で話している仕事仲間の二人は手を繋いだまま夜会の席の端に座った。 「それにしても……うわ……朔弥さん! 嬉しいです」 「こっちもだよ。して、どうなんだい? 八日市場との乗合自動車は」 「覚えていてくれたんですね、あ? 葡萄酒をお注ぎします」  神崎はいそいそと朔弥の葡萄酒を注ぐと、電話で相談していた話をした。 「料金の設定は、朔弥さんが教えてくれたじゃないですか? 自分もあの後、考えましたが、結局。朔弥さんの価格にしてしまいました」 「別にいいんだよ。清麿君の考えで」 「そんなこと言わないでください。自分は朔弥さんのようになりたいんですから」  神崎は年上の朔弥を前に、嬉しく微笑んでいた。そんな清麿に朔弥は思い出したように尋ねた。 「すずめ焼きだったかな? 確か、君は醤油屋さんを子会社にしたんだったね」 「覚えていてくれたんですね。そうです」  神崎は醤油屋の商品の売り上げも順調だと語った。 「でも今は小野川を使った船の運搬なのですが、だんだん車や鉄道が普及して、船は減って行くでしょうね」 「……時代の流れだからな……我々起業家は、先を見据えた投資をせねばならないものな」  ここで神崎は朔弥に思いをこぼした。 「朔弥さんならどうします? 私の立場だったら」 「そうだね……」 考え込む朔弥に、他の人が吸ったタバコの煙が立ち込めた。 「今、このタバコだけど。千葉の方でも作っているはずだな」 「はい。一面、タバコ畑ですよ」 「……これは私の個人的な予想なんだが」  朔弥はヨーロッパの紛争が長引くのではないかと打ち明けた。 「もしかして。我が国も食糧が乏しくなるかもしれない。そうなると、畑には嗜好品のたばこよりも、食料になる野菜を植えたほうがいいかもしれないね」 「米ですか」 「……いや。畑だから……芋か? 私は農業は疎いが、貯蔵できる根菜がいいんじゃないか」 「根菜……だったら。サツマイモでしょうか」 「それは任せるけれど。タバコも今は過剰のはずだ、それを見据えた農業がいいね」 「なるほど」  神崎は真剣に考え込み、深く頷いた。 「……自分も千葉に帰ってよく考えます。それよりも……あの」 「どうしたんだい」 「この手帳に、朔弥さんの、その、署名をいただけないかと」 「私のかい? そんなものをどうするのだ」 「記念にです! あの。お願いします」  恥ずかしそうな清麿のために朔弥は自分の万年筆を取り出して書いた。 「こんな感じでどうかな」 「うわ。感激です、その万年筆もかっこいいですね」 「そうかい? あ。そうだ」  朔弥は使った万年筆に蓋をして閉めた。 「よければこれを進呈するよ」 「いいのですか? うわ、朔弥さんの万年筆」  ここで秘書の近藤と神崎の秘書が仲良く話しながらやってきた。近藤は清麿に告げた。 「神崎社長。うちの専務の万年筆は貴重なんですよ。専務がくれた万年筆で契約書を書くと必ず事業が成功すると言われているんです」 「若。すごいじゃないですか。ちょっと見せて」 「勇作。ここで若はやめろ! だが、あの、本当に良いのですか」  すると朔弥は微笑んだ。 「……どうぞ。友好の証に」 「ありがとうございます。あ? でも自分は何もないです」 「いいんだよ。清麿君には一度会いたいと思っていたから。会えて本当に嬉しいよ」 「朔弥さん……」  こうして朔弥は神崎と楽しい夜会を過ごした。  数週間後。岩倉家下屋敷に小包が届いた。 「朔弥様。これは千葉県からですね」 「ああ。開けてご覧」  そこにはサツマイモと手紙が入っていた。 「手紙を読みますね」 「事業がうまくいったのかな」 「はい……そう書いてありますね。そしてこのイモを食べてください、とあります」 「よかった」  ……乗合自動車は大きな英断だったからな。  成功するとは思っていたが、失敗すれば大きな損害であった。神崎から相談を受けていた朔弥は彼の事業が順調なのでほっとした。 「さて、そのイモも楽しみであるが、清子にまた万年筆をお願いしたい」 「え。またですか」 「すまない。欲しいという人がいたので」 「いいのですよ。では、今度はどれにしようかな」  自室にいた朔弥に清子は机からゴソゴソと万年筆を数本取り出した。これは全て朔弥の叔父の礼司の遺品である。恐ろしいほど大量にあるため朔弥と清子はこれを手入れをしてどんどん使っていた。 「これがいいかな? 分解掃除をしておきますね」 「ああ」 「でも、どうしてでしょうね」 「ん?」  清子は不思議そうに朔弥を見つめた。 「朔弥様の万年筆です。どうしてこれにご利益があるのでしょうね」 「さあ……私にもわからないな。それに、お前が手入れをするようになってからだよ」 「そうなのですか? 清子には何も良いことが起きていませんが」 「……起きてるだろう」 「え」    朔弥は、どこか怒っていた。 「俺に出会えて。お前は良かったのではないか」 「あ? ああ、だってそれは万年筆とは関係な」 「…………」    膨れてしまった朔弥はそっぽを向いた。清子は慌てて彼の背に手を当てた。 「ごめんなさい。そんなつもりじゃないです。その、朔弥様に会えたのはもちろん、幸せな出来事です」 「……続けて」 「毎日幸せです。朔弥様のそばにいられて」 「もっと」 「もっと? そうですね。こうやってお話をきゃあ」  朔弥は清子を抱きしめた。 「清子よ……俺は欲張りだと言ったはずだ。もっと良い事を増やしてやる」 「は、はい」    頬を寄せ合う二人には穏やかな時間が流れている。 fin    🌸コミック発売記念第一弾🌸  大正ロマン作品と特別コラボ開催です❣️ 第一弾「花影の恋〜大正ロマン」とコラボです。 次回もコラボが続きます〜🎵  
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