茨城からの客人

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茨城からの客人

「あの、すみません」 「何でしょうか」 「その上着があんまり素敵なので、見せていただいてよろしいですか? おお? これはイタリア製の生地かな」  函館区公会堂の夜会。着物姿の男性は目をキラキラして朔弥の上着に見惚れていた。すると背後から背の高い青年が顔を出した。 「旦那様。ダメですよ、挨拶もしないで」 「おっと、これは失礼しました」  彼は朔弥に会釈した。 「私、茨城の結城の里から参りました、紬問屋の相崎深留と申します。こちらは専務の国松と申します」 「うちの旦那が失礼しました」 「いいえ? お構いなく。ほう……茨城ですか。結城紬ですか?」 「そうです。嬉しいです、ご存知とは」  国松は飲み物を取ってくるといい、この場を去った。深留は興味津々で朔弥に尋ねてきた。 「それにしても。あなたの上着はとても素敵です。どちらでお作りになったのですが」 「これは地元の洋品店ですよ」 「そうなんですか? デザインは流行のものですよ」 「……相崎さんと言いましたね。私はお気づきの通り、目が不自由なんですよ」     朔弥は葡萄酒のグラスを揺らした。 「そんな私を叔父が心配したのです。目が不自由だと他人に分かったら、事故に遭ったり危険な目に遭うと。このお言葉を受けて身なりは意識しています」 「なるほど。では『身なりを整えるおけば、人は気安く近づいてこないだろう』と。そういうことですか」 「おっしゃる通りです。まあ、あなたは話しかけて来てくれましたけれどね?」 「これは申し訳ない!」  ハハハと二人は笑った。深留は夜会でダンスを踊る人を見ていた。 「なるほどな……実は私は、紬の模様を考えるのが仕事なんです」 「へえ。販売ではなく、美術の方ですか」 「そうです。そもそも反物の模様は、問屋の方で決めるものなのですよ」  深留はため息をついた。 「ですが伝統があります……これを守るの事も大切ですが、これからは洋服の時代ですからね。私もどんどん新しいことに挑戦しないと、着物だけではやっていけないですよ」 「紬か……」  二人は華やかにダンスを踊る人たちをぼうっと見ていた。ここで朔弥は口を開いた。 「そうですね。これから西洋文化が広まるでしょうね」 「ええ、着物を着る人が少なくなりますよ」 「着物はね」 「え」  朔弥は顎に手を添えて考えた。 「着物を着る人は減るでしょうね。だから、紬を着物以外で使ってもらうしかないように思います」 「着物以外ですか」 「ええ……そうだな……例えば、私のこの上着」  朔弥は背広の襟を掴んだ。 「確かに生地はイタリア製です。ですがこの服をイタリアで着てもイタリアの人は気に留めないでしょうね。地元の生地だから」 「……と、いうことは。これを外国に売れと?」  驚く深留に朔弥は頷いた。 「それしかないように思いますね。まずは試しにヨーロッパの洋品店に売ってみたらいかがですか」 「ですが、自分はそんな知り合いが」 「うちでやりますよ。ええと、その辺に、メガネをかけた癖っ毛の男がいませんか」 「……聞こえたよ。なんだよ、その説明は」  近くにいた近藤はむすっとしてやってきた。笑顔の朔弥は深留を紹介し、挨拶を交わした。 「正孝。うちで輸出している品に相崎さんのもついでに送ってくれ。相崎さん。まずは試しにやってみませんか。運賃は要りませんので」 「待ってください。うちの家内を呼びますので」  深留は慌てて妻を呼んできた。 「話は聞きました。岩倉様、私は家内の千波と申します」 「こちらこそ。それで商品のことですが」  朔弥はどんどん話を進める。千波も一緒に話し合う。 「私は素人ですが、ヨーロッパの人に見せるのだから、できれば最高の品を送るといいですね。初めが肝心です」 「それで決まるというわけですね。わかりました。相崎で最高の品を送りたいです」 「それと……商品の値段だな……これはどうしたらいいかな」  朔弥は、試作品として無料にするか。あるいはある程度値段をつけた方がいいいか、悩ましいと言った。だが千波は即答した。 「高値で行きます。相崎深留の作品を安売りはできません」 「千波?……君は」 「はいはい、落ち着いて、こっち」  千波の言葉に感動した深留は抱きつこうとしたが、国松にやめろと止められた。朔弥は構わず続ける。 「ほう」 「その代わり、最高の品をヨーロッパの人にご覧いただきたいです。どうでしょうか岩倉様」    ……しっかりした奥さんだな。 「それだけ自信がおありなら、それで行きましょう」 「ありがとうございます。ほら。あなた」 「はい。岩倉さん。本当にありがとうございます」 「いいえ。こちらこそ……ん。なんだ、騒がしいな」  すると近藤が状況を説明した。 「なんか、映画スタアがどうのこうのって聞こえるだけど」 「あ」 「大変だわ」 千波と深留の声に朔弥は反応した。 「もしかして。相崎さんのことですか」 「いえ。ここにいる国松のことなんです。どうする?国松」 「走ってホテルに戻ります」 「待ってください。では彼だけ車で送りますよ」  そういうと朔弥は国松と一緒に近藤の車に乗り込んだ。足早に進む彼らを女性達はうっとりしながら見ていたが、二人は関せず車に乗り込んだ。 「すみません。ご迷惑をかけてしまって」 「ふふふ。君は本当に映画に出ているのだね」 「……たまたまですよ」    一緒に後部座席に乗った国松は、ため息をついた。朔弥は若い彼の気苦労を感じた。 「観光はもうしたのかい?」 「いいえ。なんか目立ってしまって、どこも駆け足です」 「正孝、例の場所に寄ってくれ。ちょっと寄り道をしよう」  そんな車はすぐに停車した。朔弥は車の中から説明した。 「そこに電信柱が見えるだろう」 「はい」 「それ。コンクリート製なんだ」 「ええ?木じゃないんですか」 驚く国松に朔弥は解説した。 「函館にはセメント会社があるのでね。まあ、技術のお披露目もあって作ったんだ。これは日本初だよ」 「貴重なコンクリートなのに……すごいな」 「次も行くよ。正孝、頼む」 「はい」 こうして次はお寺に来た。朔弥は国松と一緒に車から降りた。 「ここだよ」 「これは、普通、ですけど」 「夜だけど……お寺の建物の基礎の部分が見えるかな?」 「車のライトがあるから見えます……あ? ここもコンクリートだ」 「静かに! まあ、通常は木造なんだろうけどね」  朔弥は火事が多いからコンクリートにしてみたんだろうと語った。 「これも日本初だと思うよ」 「凄すぎですね、函館は」  そんな二人は車に乗った。近藤は函館漁港に車を停めて二人を下ろした。 「水平線が明るいだろう」 「はい。あれはなんですか」 「イカ釣り漁船の灯りだろうね」 「うわ……すごい綺麗だ」  感激している国松に朔弥は夜の潮風に声を乗せた。 「水平線は、近いようで遠いだろう」 「はい……星が光って……空も海も一つのようで……果てしないですよ」 「……そうだね。私たちはちっぽけな存在だね」  波音は優しい夜の海には月の明かりが映えていた。国松は隣に立つ朔弥の言いたい意味がわかった気がした。 「実は、俺……今の仕事をやめようと思っていたんです」  国松は悩みを打ち明けた。 「旦那さんも奥さんもいい人です。自分も今の仕事に満足しています。でも、映画の仕事なんかして、注目されるようになって迷惑をかけているんで」 「それで身を引こうと。そういうことか」  朔弥は海風に流れる髪を押さえた。 「でも、おかしいね」 「え」 「仕事に満足しているなら。どんなに迷惑をかけても続けたいと思うはずだ……君はそれよりも、今の仕事以外のことをしてみたいんじゃないか」 「そ、それは」 「映画の仕事は言い訳に聞こえるね」 「そ、そうですか」  がっかりした様子の国松に朔弥は、優しく語った。 「やればいいんじゃないか」 「他の仕事ですか」 「ああ……そうだ? こういうのはどうだろう」  朔弥の提案に国松は驚いたが、この夜の提案は実行された。  ◇◇◇ 「ええと、二面を読みます。『パリのファッションショーに、日本人男性のモデルが登場』」 「国松君かい」 「お知り合いですか」  岩倉家下屋敷の朔弥の部屋で清子は驚き顔を見せた。朔弥は微笑んでいた。 「ああ。日本の織物を使った服だろう」 「そう書いてあります。写真はないのですが、現地のデザイナーが大絶賛とあります」 「そうだ。昨日、私が持ってきた封筒を開けておくれ」  相崎と書いてある封筒には、国松の写真が入っていた。清子はこれを朔弥に説明した。 「国松君は、少しお化粧しているんですね。着物の生地なのかわかりませんが、王子様のようです」 「ほう」 「顔が小さくて……足が長くて……」 「へえ」 「かっこいいです。すごいですね」 「……その写真は相崎さんに返す」 「え」 「貸しなさい。もう見てはいけない」 「どうしてですか。あ?」  朔弥はサッと清子から写真を奪うと、座布団の下に隠した。 「この話は終わりだ。見たものは忘れろ」 「忘れるも何も。そんなに見ていませんよ」 「ふん」  不貞腐れている朔弥に清子は真顔を見せた。 「……もしかして、朔弥様もそのような服を着たいのですか」 「いや、その」 「写真を持っていけば、いつもの洋品店で作ってくれますよ」 「いやいや」 「今すぐ清子が」 「待て!」  朔弥は清子を抱き止めた。 「行くな! というか、そんな服は要らない」 「そうなのですか」 「……お前は着て欲しいのか」  腕の中の清子は首を横に振った。 「困ります……朔弥様が着たらもっと素敵だから、他の女性が」 「おお! 清子よ」  朔弥は彼女をきつく抱きしめた。 「着ないよ。頼まれても」 「……はい」 「おほん! そろそろいいですか。お茶をお持ちしましたよ……冷めましたけどね」  襖の前で会話が終わるのを待っていた瀧川は呆れ顔で、冷静になった朔弥から写真を見せてもらった。 「そんなにかっこいいですかね。これなら私の死んだ旦那の方がずっと色男でしたよ」 「そういうことにしておこう」 「ふふ、いただきます」 岩倉家下屋敷には、笑顔があふれていた。 fin 🌸コミック発売記念🌸 大正ロマン作品と特別コラボ開催です❣️ 第二弾「離縁妻より愛を込めて〜大正ロマン」とコラボ作品です。 次回もご期待くださいね!    
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