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さやけく花を君に
「行ってきます」
「ん? 今日はどこに行く日だ?」
「生け花です。行ってきます」
清子は養安寺の和津の紹介で生け花を習いに行った。本日は三回目の稽古。清子はワクワクする楽しい胸を抑えて、屋敷にやってきた。
「こんにちは」
「やあ、どうも」
「……あの、葵さんは?」
出迎えてくれたのはやけに美しい男性である。清子は屋敷を間違えたかと思い一瞬、怯んだが、彼は髪をかき上げた。
「葵は用事ができて出かけたのだ。まずは上がってくれ」
「は、はい。では失礼します」
……この人は。葵さんの旦那様かしら。
清子はおずおずと屋敷に上がった。以前来た部屋には、花と花器が用意されていた。
「では、葵さんが戻るまで待っていますね」
「いや。君は習いに来たのであろう。ここで始めてくれ」
「え? でも」
「私は奥の部屋にいるので、どうぞ」
「は、はい……」
……忙しそうだわ。言う通りにしよう。
葵という女性に習いにきた清子は、気分を変えて生け花を始めようとした。
すると、屋敷の電話が鳴った。この電話に彼が出た声がした。
「はい。そうです。あいにく今、外出してまして……あ、作品展の件ですが」
彼の声が清子の部屋にも聞こえてきた。その時、台所から音がした。清子は嫌な予感がして、声をかけながら台所に向かった。
「どなたもいないのですか……あ。お湯が!」
沸騰しているやかんの火を清子は慌てて止めた。やかんは真っ赤になっていた現状に清子は冷や汗を拭った。
……先ほどの旦那様にお伝えしないと。
「すみません。新聞代を」
「え? あのお待ち下さいね」
勝手口から声がしたので、清子は彼を呼びに行った。だがまだ電話中であったので、清子は勝手口に戻った。
「すみません。屋敷の方がいないので、出直してください」
「わかりました」
ふうと額の汗を拭った清子は、ふと、窓の外を見た。するとポツポツと雨が降ってきた。庭には大きなシーツが干してある。
……旦那様は……まだ電話中?
清子は慌ててシーツをしまい、屋敷の中にしまった。すると今度が風が吹き、窓から雨が入ってきた。今度は窓を閉めないといけない。清子は彼を呼びに行った。
「旦那様、雨です」
「ん。あ。洗濯物が」
「それは私がしまいました。旦那様は窓をお願いします」
二人は慌てて屋敷の窓を閉めた。やっと閉めた時、清子は廊下で彼に会った。彼はすまなそうに髪をかいている。
「すまない。お茶を淹れようとしていたんだが、君が火を止めてくれたんだな」
「……はい」
「私が淹れるので、君は生け花を。あ」
また電話が鳴った。
「どうぞ電話に出てください。お茶は私に淹れさせてください」
「でも」
「どうぞ。まずは電話に!」
こうして清子は台所でお茶を淹れた。葵が全部用意していたので清子は淹れたお茶を彼の部屋に運んだ。彼は電話を終えていた。
「すまない。客人に淹れてもらうとは」
「私こそ。葵さんにお世話になっているのでって……あ、お仕事中でしたか」
部屋には大きな花器があった。まだ生けていない生花がたくさんあった。彼はお茶を受け取った。
「いや……まあ、そうかな」
……旦那様も、生け花の先生なのね。あ、そうだ。
清子は顔の痣を思い出し、早々に部屋から出ようとした。しかし彼は話し出した。
「待ってくれ……君の話を聞かせてくれ」
「私の話ですか」
「ああ、なぜ……花を生けたいと思うのかな、と」
「……そうですね。まず、私にはこのように顔に痣があるのですが」
清子は正直に説明した。彼はじっと聞いている。
「生まれつきなので消えません……このため、昔から家で過ごすことが多いので、家の中にも花を飾りたいなと」
「別に花瓶に挿すだけでもよかろう」
「いいえ。生け花は、なんていうか……私には空間を美しく浄化してくれるような。部屋の世界を変えてくれるような、そんな魔法に思えているので」
「魔法……」
「大袈裟ですけれど、そんなことを、あ」
「清子さん、ごめんなさい。雨が降って遅くなってしまって」
帰宅した葵は少し雨に濡れていた。
「良いですよ」
「……あら? 清子さん、まだ生け花をしていないの?」
「あ」
「おっと……」
「もしかして。シーツをしまってくれたのは清子さんなの?それに、このお茶も」
すると彼が気まずそうに立ち上がった。
「君。清子さんと言ったな。俺が指導しよう」
「え、でも」
「あなたが? 大丈夫なの」
「……いいから来い」
「はい」
こうして清子は葵の夫の指導で花を生けた。彼は腕を組み清子に言い放つ。
「迷うな。感性でやれ」
……厳しい!
「は、はい」
「いいか……花の声を聞くんだ」
抽象的な助言をする彼は真剣な目で清子の手元を見ている。
「……そうだ……花の美しさを引き出すんだ……ん、その花は長すぎる、もっと切れ」
「ここですか」
「違う。そこじゃない……ああ、そうじゃない?!」
「旦那様が切ってください」
「……し、仕方ない」
彼は花鋏を受け取り茎を切った。これを剣山にさせと清子は言われた。
「ここ……」
「違う! そんなところに刺すな」
「は、はい」
……厳しい! でもついて行きたい。
「では、こんな風に」
「よしいいぞ……ああ。葉はそこじゃない。違う。もっと、こう!」
「はい……」
葵の優しい指導とは異なり、彼の指導は厳しい。だが、できた作品は素晴らしかった。清子は感動した。
「綺麗です……そうか。だからここに花を入れたんですね」
「わかったか? まあ、こんなもんだろう」
「お疲れ様でした……こちらでお菓子をどうぞ」
別室で清子はお茶に呼ばれた。葵は改めて夫を紹介した。
「夫の龍崎天樹です。龍風派の家元で、尾上派の家元でもあります」
「何を言う。葵が尾上の家元だろう。俺はオマケにすぎない」
「あなた、そんなことはないでしょう」
……仲良しなのね。
謙遜している夫婦を目の前に清子はお茶を飲んだ。葵と天樹がまだ言い合っていた。
「あなたが代表ですもの」
「尾上は君の実家じゃないか。それに作品だって君には勝てないよ」
「まあ。あなたの方がすごいじゃありませんか」
「君だよ」
「あなたです!」
「……あの、私そろそろ帰ります」
清子の声を聞いた二人は、動きを止めた。
「すまない。熱くなってしまって」
「清子さん。また来てね」
「はい。ぜひ」
帰ろうした清子は、生けた花を花器から抜き、持ち帰る支度をしていた。その様子を天樹はじっと見ていた。
「君は………」
……あ、この痣の顔を見てるのかな?
「葉を使うのが上手だな」
「え」
天樹は真顔で清子に説明した。
「だが……作品が花器に対して、少し小さい。君が思うよりも大きく生けてみろ」
「は、はい」
「まずは心を広く持て。花の魅力を最大に生かせ……生け花は魔法なんだろう?」
「はい」
「もういいかしら?……清子さん。そこまで送りますね」
天樹に挨拶をして清子は屋敷を出た。途中まで葵が送ってくれた。
「ごめんなさいね。主人がお世話になってしまって」
「いいえ。勉強になりました」
「……こちらこそ。ありがとう……本当に、また来てくださいね」
葵の目が潤んでいる様子が気になったが、清子は彼女に挨拶をして岩倉下屋敷に帰ってきた。そこには近藤もいて、朔弥と話をしていた。
「清子おかえり。どうだった尾上さんは」
「ん。尾上さんって。それは龍崎さんじゃないの?」
「近藤さんはご存知でしたのね」
清子も朔弥も葵が尾上流の家元だと思っていたが、近藤は夫の龍崎天樹も龍風派の家元だと知っていたと話した。
「あの二人の結婚は、当時は政略結婚だって噂だったけれど」
「そんなことないです。お二人とも仲良しで」
「では清子は葵さんに習ったのか」
「いいえ。今日は旦那様の龍崎さんが教えてくれました」
「え」
「どうした、正孝」
驚く近藤はおかしいと首を傾げた。
「龍崎氏は療養中と聞いているよ。それに人に教えないことで有名な人なんだ」
「そうだったんですか。でもたまたまだと思いますよ? では、清子は夕飯の支度をします」
清子はこうしてこの日を終えた。
◇◇◇
後日。夜の函館区公会堂。夜会に参加していた朔弥は、龍崎天樹に挨拶された。
「こちらこそ。うちの清子がお世話になっているようで」
「いいえ。少し話を聞いてくださいますか」
朔弥を窓辺に誘った龍崎は、想いを打ち明けた。それは彼が自宅で療養していた理由だった。
「弟子の一人が鋏で怪我をしたのを見てしまいましてね。実はそれ以降、鋏を持つと震えてしまい、持てなくなりました。医者には精神的なものだと言われて……一生治らないと覚悟していたんですよ」
「精神的と言われたら、薬もないですからね……それは苦しい」
「ええ。妻も悩んでしまって、本当に苦しかった」
龍崎は星を仰いだ。
「そんな時、清子さんがうちに習いに来てくれていたんです。実は正直、断りたかったのですが、妻が清子さんなら大丈夫と言うので」
「そうでしたか、それは迷惑を」
「いいえ! 本当に助かりました」
龍崎は朔弥に語った。
「清子さんは言ったのです。生け花を飾ると、部屋に魔法がかかったようになると。その考えは新鮮で面白かった……私は仕事で生けていたので、そういう気持ちを知りたいと思いましたよ」
「すみません、訳のわからないことを」
「いいんです!……それで、なぜか……自分は鋏が持てるようになったのです。今も大丈夫です。本当に感謝しております」
「そうでしたか」
朔弥は龍崎に感謝されつつ、これからも清子をよろしくと挨拶を終えた。
そして帰宅した朔弥は、清子の勧めで風呂に入った。
……魔法か。
龍崎の話を思い出した朔弥は、清子のことを考えていた。この屋敷に彼女が来て以来、毎日が華やかになっていることに微笑んだ。
……ということは、清子は魔法使い、か? ふふふ。
「朔弥様。のぼせていませんか? 長湯ですけれど」
「今上がる……なあ、清子」
「はい」
「……ずっと一緒にいてくれよ」
朔弥の言葉の後、沈黙があった。
「ん。どうした」
「そ、それは、あの……ぜひ、お願いします」
恥ずかしそうな清子の声に朔弥も微笑んだ。月明かりが眩しい今宵、二人の思いは清らかに輝いている。
fin
㊗️書籍2の発売㊗️9月13日発売予定です❣️
お祝いにコラボ第四弾をお届けします✨
🌸「さやけく恋は花の色」🌸
現代ファタジーを大正時代に持ってきてしまいました。葵と天樹に会えて私も嬉しいです。古い作品ですが、2024年7月に誤字修正を行い、SSを追加しました。私も読み返して楽しかったです。よければ覗いてくださいね❣️
次週もコラボ作品です!
お楽しみに〜
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