衝撃的なこと

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衝撃的なこと

「兄上、え。突然来て悪いが、え……」 ある日。岩倉家下屋敷にやってきた哲嗣は、用事を伝えようと屋敷に上がったが、誰もいなかった。 ……玄関が開いているから……庭か? 「おい。瀧川もいないのか。おい……え」  庭に顔を出したが、やはり誰もいない。不気味に思った哲嗣は屋敷中を探したが、どこにもいなかった。 ……おかしい。そうだ! 靴を。 玄関には朔弥の靴とステッキ。そして瀧川や清子の下駄もあった。そんな哲嗣が台所に行くと、まるで今までここで誰かが水羊羹を食べていた形跡があった。 ……この漆の箸は瀧川のものか? 湯呑みからしておそらくそうだろう……  このお茶はまだ温もりがあった。哲嗣はもう一度、朔弥の部屋を確認した。 ……兄上は紙細工を作っていたんだな……そして、新聞は広がっているから。  清子は新聞を読んでいたに違いないと哲嗣は推理した。しかし、肝心の三人はどこにもいない。哲嗣は事件性を疑った。    ……これは警察だな。きっと連れ去られたんだ!  大変だと哲嗣は屋敷を出ようとした。すると何か物音がした。廊下の奥である。哲嗣はまだ探していない納戸の前にやってきた。 ……あれ?ここには なぜか戸につっかえ棒が立てかけられて、開かない状況になっていた。彼がそっと近づき確認すると声がした。 「どうするのだ? 絶対開かないぞ」 「瀧川は疲れました」 「離れてください。今。清子が下がって体当たりを……」 「わかった。瀧川、俺たちは避けよう」 「あの。兄上、そこにいるのですか」 哲嗣が声をかけると、一瞬間があったが、急に声がした。 「その声は哲嗣か? 清子。哲嗣が来たから……」 「でも、清子様が、あああああ、危ないーー」 哲嗣は何やらドドドと足音がしたような気がしたが、戸をすっと開けた。 「兄上、開きま……え」 「きゃああ!」  哲嗣の前には清子が飛び込んできた。哲嗣は清子を受けとめたまま一緒に廊下の端まで滑っていった。 「痛たたた……」 「哲嗣さん? ご、ごめんなさい」 「何をしているんだ……」 すると朔弥と瀧川も納戸から出てきた。そして腰を打った哲嗣に朔弥が説明をした。 「父上が納戸から出しておけという骨董品があったのだ。それが清子にはわからないので、私と一緒に探して、それが高いところにあったので、私が棚から取ったのだ」  すると清子は補足した。 「その時。この部屋の電気が切れたので瀧川さんに懐中電灯を持ってきてもらったんです」 「その時、私が勢いよく戸を閉めてしまったので、棒が倒れてつっかえ棒になってしまって」 三人は納戸から出られないので、清子が体当たりをしていた時に、哲嗣が開けた、ということがわかった。 「体当たりとは……」 「すみません! 他に方法がなくて」 「清子様を許してください。あ?そうだ。水羊羹があるんですよ」 瀧川は台所に水羊羹を取りに行った。 「……ところで。哲嗣は何か用事があったのではないか」 「どうでもいいよ……」 「哲嗣さん。本当にすみません。腰ですよね」 「それよりも」 哲嗣は清子の心配そうな顔を見た。 ……体当たり……こいつが? ……ふふ。 「ふ……それよりも。お前の方が痛いだろう」 「いいえ? 私は」   すっと膝を抑えた清子を見た哲嗣は、澄まして朔弥に告げた。 「兄上、清子さんは嘘を言っています。膝を打っているし、おでこも赤くなっています」 「なんだと? おい、清子。大丈夫なのか」 「平気ですよ」 「嘘です。相当痛いはずです」 「ならん! 哲嗣。医師を呼べ」 「本当です。清子は平気です」  困っている清子を見て哲嗣は密かに笑っていた。 ……仲がいいんだな。  嬉しいような。寂しいような。哲嗣は複雑な気持ちで見ていた。 「私は平気です。それよりも哲嗣さんです。本当にごめんなさい、私、本気だったので」 「別にいい……お、お茶か、いただこう」 哲嗣は朔弥に手を貸してもらい、立ち上がった。清子は自室に下がった。哲嗣は朔弥の部屋に移動し、瀧川が持ってきたお茶を飲んでいた。 「しかし怖かった……誰もいないし。納戸からぶつぶつ声がするし」 「ふふ。俺たちだって必死だったんだ」 「……楽しそうで良かったよ」  哲嗣の言葉はどこか朔弥には寂しく聞こえた。朔弥は実家を出てこの屋敷で呑気に暮らしているが、弟の哲嗣は実家にいて、父と母を暮らしている。それは朔弥にとってはありがたいことである。  ……父上も最近、忙しいから。母上も口うるさいであろうな。 「哲嗣。たまには将棋でもどうだ」 「いいのか? だけど」 「俺の方は時間があるぞ。お前はどうなのだ」  優しげな兄の言葉に哲嗣は、つい微笑んだ。 「では。一局と行きますか」 「おお。そうだ。夕飯も食べていけ」 「そこまでは悪いよ」 「構わん。清子、今夜の献立はなんだ?」 この声に清子は、返事を言いにきた。 「コロッケです。それとコンソメスープに、キャベツのサラダ。食後にさくらんぼです。哲嗣さんもよければどうぞ」 「だ、そうだ。どうかな」 「……では、お言葉に甘えて」  函館の坂の上、岩倉家下屋敷。潮風を悠々と飛ぶ白いかもめは青空に吸い込まれそうに飛んでいる。街路樹のアカシアの甘い香りは黄昏時に揺れる。  函館湾に浮かぶ船の汽笛は、明日を探しに進んでいる。  大正時代の流れにいる彼らは、今日も笑顔で暮らしている。  Fin *・゜゚・*:.。.⭐︎ .。.:*・゜゚・**・゜゚・*:.。.⭐︎ .。.:*・゜゚・**・゜゚・*:.。.⭐︎ .。.:*・゜゚・* あとがき ご愛読感謝申し上げます。 「朧の花嫁」の番外編をお届けしました。 たくさんの方に読んでいただき、本当に嬉しいです。 まだまだ書いていたいですが、秋に発売予定の「朧の花嫁2」の執筆に専念のため、ここはお休みします。 その原稿が整いましたら、少しでも番外編を書かせていただきたいと思います。 また書籍ではありませんが、めちゃコミックさん(作画いなせ多希先生)の漫画『朧の花嫁』のコミックが、2024年7月11日発売です。 先生の繊細なイラストを堪能していただけると幸いです。 今の私は書籍2に着手しており、今回もエブリスタにはない新作を入れています。 清子と朔弥の物語はまだまだ続きます! いつもありがとうございます。 2024年 紫陽花の頃 みちふむ      
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