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出勤
目を覚ますと、中村さんはすでに出勤した後だった。
部屋の鍵はテーブルに置いてあったので、私も準備をして店に向かうことにした。
よっしゃ、なんとか間に合った!と、手のひらに握り締めて来たスマホで時間を確認して、ホッと胸を撫で下ろす。
18時半、大丈夫だ、これならヘアメをしてもらってからキヨシくんとの同伴の待ち合わせ場所まで電車で向かっても間に合う。
マネージャーの部屋から歩いて最寄り駅へ行き、電車で新宿まで出て、そこから歩いて店に向かう、と言うのはなかなかに時間がかかった、と言うかなんか面倒くさかった。
これは慣れるまでもう少し早く出るべきだな、と考えながら階段を上がると店の入り口である自動ドアの前に立つ。
「おはようございまーす!」
いつも通り元気よく声を張って、開いた自動ドアを通ると部長にロッカーの鍵をもらう。
部長は「うたこさん、おはようございます、今日も頑張りましょうね」と、珍しくそんな励ましの言葉つきで笑顔を見せてくれる。
私は何か良いことでもしたのだろうか、それともマネージャーとのことがバレて怒っているのを隠しているのだろうか、と困惑しつつ、ヘアメ代を支払う為にバックから財布を取り出す。
「うたこさん、木村様からの薔薇はフロアの真ん中に台を用意して飾りましたからね」
「あ、そうなんですね、わざわざすみません、大きな花束だったから、場所を取りましたよね」
「いいんですよ、店が華やかになりますから。それと」
「なんですか?」
「今日は、木村様から、店にこちらが届いていますよ、うたこさん宛てにです」
「え、木村さん、私に何か、届けに来たんですか?」
部長が、自分の定位置である小さなカウンターの奥から持って来たものは、どうやら小ぶりのピンク色をした花束と、桐箱のようだった。
そう、丁度、日本酒の一升瓶が入っているような長方形の、そんな雰囲気の漂っているそれ。
木村さん、もう日本酒を私の為にわざわざ用意してしまったのか、たった一日しか経っていないと言うのに、どこでどうやって購入して来たと言うのだ。
それとも、割とどこにでも売っている日本酒だったりするのだろうか。
「越乃寒梅と言う、昔からある日本酒ですよ、自分が好きなものだから飲んでみて欲しい、と言伝を預かりましたよ」
「そうなんですか?同伴の時に、一緒に飲めばいいのに、どうしたんでしょうか?」
「今日も来店予定だそうですので、その時に卓の方へ準備させてもらいますからね」
「えっ、そうなんですか?私には、そんなこと一言も…今日はラインも来なかったんですよ」
「忙しくしていらっしゃるんでしょう。きっと仕事が終わったら連絡が来ますよ。この小さな方の花束は持って帰りますか?」
「えっと、とりあえず帰りまで部長が預かっていてもらえませんか?ロッカーに入れておいたら、形が崩れてしまいそうなので」
「わかりました、こちらも、木村様が来店したら卓に飾りましょうね」
「えっと、ありがとう、ございます??…それじゃあ、お礼のラインだけは送っておきますね!」
そう言って私も笑顔を作ると、頭の中にハテナをいっぱい浮かべつつフロアへ足を踏み入れる。
するとそこには、ああ、本当だ、大輪の薔薇が。
フロアのど真ん中に用意されたそれなりに店の内装に合う色調とシンプルな形で揃えられた台の上に、黒に細かな金のラメの入っている花瓶が乗っていて、その花瓶までもを覆い尽くすくらいに煌びやかに、まさに「大輪」と言った言葉が相応しい程の真っ赤な薔薇が飾り付けられている。
一体こんな丁度良い台や花瓶をどうやって一日で探し出し、準備し、大きな真っ赤な薔薇の花束をこのように美しく見えるように活けたのだろう。
プロがやったのでは??と思わしきその活けられ方に、私はひたすら頭にハテナをいっぱい浮かべる。
「…ほえー、マジかあ」
「おはよう、うたこ」
「…あ…マネージャー、おはようございます、これって、あの、一日でどうやって」
「そういうの準備する仕事してるやつもいるってことだよ」
「ほー…今日木村さん、来るんだそうです」
「ああ、だろうな、まあラストまではいないと思うよ」
「どうしてですか?」
「今までよりも、忙しくなったんだろ」
「はあ、まあ、お仕事を頑張ってるってことなら、いいことですよねえ」
「ほら、同伴行くんだろ、今日も頑張れ、No3だぞ、おまえ」
「えっ!!そうなんですか!!私、絶対に守り通しますね!!」
私はマネージャーのその一言に俄然やる気がわいて来て、その大げさな程に華美に見えるよう設置されたバラの花束を含む装飾全てが映るようを、一歩下がってスマホで写真を撮ると、ヘアメをしてもらっている間に木村さんにお礼のラインを作り、その画像を一緒に送った。
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