ドキドキ

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ドキドキ

ある日、ミサが店を休んだ。 よくあることだった。 当日欠勤は、場合や理由によっては罰金が科せられたりするが、ミサは風邪だと言うことだった。 もしかしたら、アフターで客の部屋に行き、酔っぱらい過ぎて出勤時間を寝過ごしてしまったのかもしれないが、私にすらなんの連絡も来ていなかった。 それは、珍しいことだった。 ミサは連絡魔だったので、休んだ日であってもいつも私に逐一なんでも報告して来て、私は待機中も暇だと感じることなく、ミサへの返信を考えたりして、楽しくやりとりするのが日課となっていたのだ。 けれど、こちらからラインをしても、返事はなかった。 だとすると、やはり本当に風邪なのかもしれないと思い、私は心配をした。 そうやって毎日連絡をとっていたそんな私にすら連絡がない、と言うことは、もちろん今日来店する予定になっていた指名客たちへも「自分は休んでいて店にはいない」と伝え損なっているであろうことは予想出来た。 ミサはこの頃、人気のあるキャストだった。 その大半くらいは、ミサと寝たことがある客であろうと言うことも、なんとなくわかっていた。 その日、当日欠勤したミサの代わりに、私がミサの指名客につけられることが多くなるだろう、とマネージャーから告げられた。 待機中の時間、誰もいない通路へと私のことを呼び出してのことだった。 「大丈夫そうか?」と、私を心配し、気遣ってくれた。 「ミサの接客の仕方を真似しなくてもいいからな」と、優しく、言い聞かせるように、そんなことも言ってくれた。 「おまえはミサじゃないんだから、おまえらしく接客をすればいい」 誰かを介してではない、二人きりで、マネージャーから私に投げ掛けられるそんな言葉に、嬉しくなってしまう。 ー 私は、ミサのじゃないんだ。 ミサの接客の仕方は、言うなれば「指名客にはまるで恋人のように接する」と言う感じのものが多かった。 私もミサの指名客の卓にはヘルプで何回もついたことがあったし、顔見知りの客ばかりだろうと思えたので、ある程度は大丈夫だと考えていた。 けれど中には、ミサがいないだけで不満を持つ客もいるかもしれない。 少しばかり、そんな不安もあった。 マネージャーが「ミサの客は必ずドリンクを入れてくれるから、それだけ、ちょっと頑張ればいいからな」と言うと、去り際に私の頭をポンポンと手のひらで叩いて行った。 彼に触れられたのは、はじめてだった。 私はとても驚いた。 そして、頬が上気して行くのを感じた。 ダメだ、ダメ、違う。 ただ、はじめて私を認識してくれているのだと知ったから。 だから私は、ドキドキしたんだ。 それだけなんだから、きっと何も余計な感情なんてないはずだ。 ー マネージャーが色管理してる。 ふと、ミサの言葉が頭をよぎった瞬間だった。 私は、必死で自分の胸のトキメキを振り払おうとした。 ー おまえらしく接客をすればいい。 …私の接客の仕方、ちゃんと認められていたんだ。 見て、くれていたんだ。
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