自白

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 せめて窓ぐらいはあると思っていたが、鉄の扉を開いて通された小さな部屋には、事務机と二つのパイプ椅子しか無く、正に密室だった。 「おい、いい加減に吐けよ!。どれだけ時間を無駄にするんだ!。」 上着を脱いだガタイのいい刑事が凄みながら刹郎(せつお)を睨んだ。 「・・だから、吐けといわれても、ボクには全く身に覚えが、」 「またそれかよ。もう七時間だぞ。同じことを何度も何度も。」 「そんなこといわれても、この部屋には時計が無いじゃないですか。」 謂れの無い罪を白状しろといわれても、刹郎には無理なことだった。昨日のことだった。刹郎が部屋でケータイを触っていると、 「ピンポーン。」 と、呼び鈴が鳴った。 「はい、どちら様ですか?。」 「すみません。警察の者です。」 刹郎は全く訳が分からなかったが、自身に疚しい点が何一つ無いのは解っていたので、何の躊躇も無く戸を開けた。 「刹郎さんですね?。」 「あ、はい。」 「逮捕状が出てます。署までご同行願います。」 戸の外にはスーツ姿の刑事が二人と、その後ろに制服姿の警官が二人立っていた。 「は?、な、何でボクが?。」 刹郎は礼状の内容を確認しようとしたが、刑事は半ば強引に、 「いいから来るんだ!。」 そういうと、二人で刹郎の両脇を抱えて、パトカーまで連行した。 「ちょ、ちょっと、話ぐらい・・、」 刹郎がいくら訴えようとも、刑事は口を真一文字に閉じたまま、それ以上は口を利こうとしなかった。そして、 「二時五十五分。逮捕。」 一人の刑事がそういうと、刹郎は手錠をはめられ、パトカーの後部座席に押し込められた。その両脇を、二人の刑事が夾んだ。理不尽極まりない扱い。しかも誤認逮捕。刹郎は大声を出そうか、それとも暴れようかと脳裏で考えてはみたものの、いざ、圧倒的な力によって身を拘束されてしまうと、そのような考えなど一気に消え去ってしまった。 「ボクは、どうなってしまうんだろう・・?。」 最早、自身の力ではどう仕様も無い状態の中、刹郎は自分の身に降りかかったことが、いや、自身の人生が、今後、如何なることになるのかと、暗澹たる思い出一杯だった。パトカーが署に着くと、刑事が刹郎を車外に引っ張り出し、そのまま署内の一室に連れて行った。そして、刑事は彼を椅子に座らせると、 「今からいうことに答えろ。いいな。」 そういって、所持品を全て机の上に出させ、簡単に住所と氏名を聞いて、それを書類に書いた。そして、 「おい、部屋は空いてるか?。」 と、刑事は部下にたずねた。 「一番奥が空いてます。」 「よし。」 刑事は頷くと、部下に刹郎を部屋まで連れていかせた。そして、鉄のドアの前で手錠を外すとドアを開けて、 「中に入って、座って待ってろ。」 と、ぶっきらぼうにそういうと、刹郎を中へ押し込み、ドアを閉めた。あまりに一方的かつ、無茶苦茶な出来事ではあったが、刹郎は、 「今ジタバタしても仕方が無い。落ち着け、落ち着くんだ。オレにはこんな風にされる理由など、何も無い。」 そう自分にいい聞かせると、室内を見渡した。其処は、ドラマでよく見るような、取調室そのものだった。不必要に小さく、白塗りの壁だったが、何処までも暗く、重厚な感じがした。そして部屋の中央より少し右側に、灰色の事務机と、パイプ椅子が二つ置かれていた。部屋には明かりがついていたが、窓は全く無かった。 「外から電気を消されると、真っ暗・・かあ。」 全ての演出が、外側にいる人間の意志次第ということが、暗に窺えた。すると、 「ガチャッ。」 と、ドアの開く音がしたかと思うと、一番最初に会った刑事が書類と筆記用具を持って現れた。 「座って待ってろといわれたろ?。」 刑事は怪訝そうな顔で、刹郎にそういった。 「あ、でも、どっちに座ればいいのか・・、」 「向こうだ。」 刑事はそういうと、刹郎を机の向こう側に座らせた。そして、自分も座ると、書類を開いて質問を始めた。刹郎は兎に角、何故自分がこんな目に遭っているのかと、それをたずねたい気持ちで一杯だったが、 「此処はオレのテリトリーじゃ無い・・。」 そのことだけは確実に理解していたので、相手の出方を待った。角刈りの刑事は、杓子定規に、彼の姓名および、住所、生年月日を聞き出すと、次に現在の職業に就いてたずねた。 「勤務先および、其処での役職は?。」 「はい。家から近所にある学習塾で、アルバイト講師をしています。」 「いつから?。」 「一年ほど前からです。」 「何月何日から勤め始めた?。」 「えっと、確か、昨年の四月八日・・だったと思います。」 「間違い無いな?。」 「いや、だから、確か、そうだったかと・・。」 「はっきりした期日で答えろ!。」 刑事は刹郎の曖昧な言葉を一切受け入れなかった。そして何より、自身にどのような嫌疑が掛けられているのか、刹郎はまだ知る由も無かった。ただただ、自分が彼らの手の中にあることだけが、ひしひしと伝わってきた。そしてついに、 「では、本題に入る。」 刑事はそういうと、身を乗り出して刹郎の顔を睨み付けた。  声のトーンこそ威圧的では無くなったが、刑事のそれは、完全に刹郎は自身の支配下にあるといわんばかりだった。 「オマエが勤めている教室の経営者が、行方を眩ました。オマエはそのことについて、何か知っているはずだ。今ならまだ間に合う。包み隠さず、全てを話せ。」 「え?、塾長がですか?。」 「芝居をしても無駄だ。オマエと運営者との関係は、既に掴んでいる。」 「芝居も何も、ボクはただ単に、あの教室にアルバイトで・・、」 刹郎は自身が理不尽な目に遭わされていることも然る事ながら、自身の雇い主である塾長が行方不明になったことを知らされ、気が動転した。しかし、 「しらばっくれるな!。オマエと運営者は一蓮托生。既に何らかの指示が、彼からオマエに伝わってるはずだ!。」 刑事は刹郎が全く意図していないシナリオを、ひたすら事実だと信じているようだった。そして、その裏付けをすべく、ただただ刹郎に同意を求めるべく、この機会を設けているのだということに、刹郎は気づき始めた。 「あの、一番根本的なことを聞いてもいいですか?。」 刹郎は、ようやく質問の機会を得た。 「何だ?。」 「ボクにかけられている容疑は、一体、何ですか?。」 もし、この質問に刑事が答えることが無ければ、刹郎は全く意思の疎通もコミュニケーションも無意味な状況に、自身がこれ以上関わる事も、そして、相手に対してほんの僅かでも優位になるであろう言語や概念を、一切閉ざそうと、そう考えた。つまりは、黙秘権である。しかし、その密やかな決意に満ちた、刹郎の率直な姿勢に、刑事や僅かに困惑の表情を浮かべた。そして、 「オマエ、自分が何故こんな目に遭ってるのか解らない。そうしておきたいって訳か・・。」 刑事はあくまでも、自分たちのシナリオ通りに、刹郎の立場を揺るがさずにおきたかった。しかし、彼が本当に運営者から何の指示も得ていない、あるいは、運営者の正体を知らないという可能性を、僅かに考え出しているようだった。 「オマエは運営者と共謀して、国家転覆を図ろうとしている。そして、オマエは彼に支持し、その思想を継承している。」 刑事はようやく、刹郎に着せられた罪について語った。 「はあ?。」 刹郎は心の中で大きく疑問の声を上げた。全くの濡れ衣であった。だが、仕事終わりの雑談の際、刹郎は塾長から、とある昔話を聞いたことがあった。 「俺達の若い頃は、国家や権力に楯突くのが、いわばファッショナブルなことだったんだ。無論、形だけじゃ無い。この国は何故、大戦に向かわなければならなかったのか。そして、敗戦によって、裁判を終結させることを目的とした戦犯刈りは行われたが、戦意を高揚させた知識人達は、みんな生き残って、公的な教育機関に潜り込んだ。つまり、正統な総括は全く行われなかったんだ。だからオレ達は抗議し、抵抗した。」 学生を中心とした当時の運動に、塾長は加担し、逮捕歴もあるようだった。しかし、それ以上のことは、全く何も無かった。終戦直後の曖昧な状況を明快に説明する論理力の高さに、刹郎は関心し、興味を抱くことはあっても、自身がかつての塾長のように、現政府への違和感を覚え、反抗の意志を持つことなど、全く無かった。刹郎は、これから先のシミュレーションを瞬時に行った。 「多分、オレは思想犯の片棒を担いでると、目の前の刑事はそう睨んでる。そして、それは国家に忠誠を誓い、この国の治安を守るべく命を捧げるのを職務としている人物、つまり、この刑事達にとっては、国家転覆の計やそれを図る者は、是が非でも阻止、いや、排除しないといけない。それが彼らにとってのレゾンデートル・・ってことか。」 普通なら、被疑者は例え逮捕されても、昔とは違い、権利も認められ、これほど理不尽な扱いは受けないであろうことを、刹郎も知ってはいた。それが今は、時代錯誤のような扱いの最中にある理由を、刹郎は見抜いたのだった。恐らく、彼らは立場の優位性をフルに利用し、監禁状態で外界から遮断することで、自身の恐怖心を煽りつつ、次第に憔悴させて、自白に持っていく。そういうシナリオだろうことは、既に明白だった。もし、そのまま自身の精神力が消え去ろうものなら、そのシナリオは完結する。無闇に抵抗すれば、その時期を早めるだけかも知れない。そんな中にあって、刹郎が取ることの出来る選択肢は、抵抗の末に訪れる降伏か、あるいは、打開か。このままいけば、前者になってしまうのは必然。しかし、刹郎は冷静沈着に、刑事の様子を窺っていた。 「恐らく、彼はオレが白なのを既に感づいているだろう。でも、それは用意したシナリオとは異なる。つまり、面子がそれを許さない。ならば、オレに開かれた可能性は一つ・・。」 心の中でそう呟くと、刹郎は聞こえない程度に深呼吸をした。そして、 「刑事さん。では、まず、質問を進めて下さい。」 と、落ち着き払った様子で、そう申し出た。  案の定、刑事の質問は刹郎の知る真実とは全く逆の、でっち上げのシナリオだった。そのことを繰り返し繰り返し刹郎にたずねて、ひたすら同意を求めようとするだけだった。茶番である。全くの茶番であるにもかかわらず、刑事は刹郎から認知の言葉を引き出そうと懸命だった。 「密室で何が行われているのか、外部に漏れないのであれば、勝手に嘘の供述調書を作成してしまえばいいものを・・。」 刹郎はそう考えつつ、刑事のシナリオ通りの質問に、全て、 「いいえ。」 だけを並び立てた。そんな単調なやり取りが数時間も続いた頃、 「おい!、いつまでしらばっくれるんだ!。いい加減に認めろよ!。此処は見ての通り、密室だ。オマエが認めるまで、この中で何が行われようと、外には一切漏れないんだぞ。いってる意味が分かるな?。」 業を煮やした刑事は、いよいよ恫喝めいた含みを持たせた言葉に変わっていった。しかし、 「はい、刑事さん。ですが、真実を知っているのはアナタでは無く、残念ながらボクです。その真実に則って正確に答えると、アナタの質問に対して否定的な発言になります。ただ、それだけです。」 刹郎はまるでAIかのように、無機質かつ淡々と答えた。例え相手を煽っていない、無表情な返事であったとしても、刑事のいう通り、自身にどんな危害が加えられるか解らなかった。しかし、刹郎には一つの関心事があった。 「彼らには、事の真偽など、どうでもいいんだ。答えは既に用意されている。それを、オレがただ認めさえすれば、彼らの悲願は達成される。オレの口から、オレの言葉で肯定する表現を得る以外、彼らには為す術が無いんだ!。」 プレイだった。大切な玩具を取り上げられた子供が我が侭いっぱいに飛び掛かってくるのを、ワザと焦らして手渡さない、そんな遊びにさえ、刹郎には感じられた。あまりに執拗かつ単調な詰問に、刹郎も時折心折れそうになる瞬間もあった。しかし、刑事の焦りは、逆に刹郎を妙な形で勇気づけた。 「鍵はオレが握っている。オレは塾長に特に師事していた訳では無いが、彼のいう通り、権力の基盤に身を委ねて自我を安寧の棺に収めた人間は、斯くも愚鈍な行動に出てしまうものなのか。ならば、可哀想だけど、この遊戯を続けよう・・。」 室内に時計が無いことで、どれ程の時間が過ぎたのかを把握する術は、自身の疲労感と刑事の焦燥感から窺い知るより他に無い。しかし、一日というのは確実に終わる。そして、それを日々繰り返したとしても、拘留期限というものがある。その末日まで、刹郎は自身が耐えることが出来るかどうか、全く予想出来なかった。いや、恐らくは根負けして、宥め賺しを受けた後、彼らの手に落ちる可能性の方が高いかも知れない。いっそのこと、自身を偽って、謂れの無い刑を敢えて受け入れ、自由を得る機会を早めることだって出来るだろう。 「でも、そうしてしまったら、遊戯は終わってしまう・・。」 刹郎も長時間の拘束で、自身の思考に些か奇妙な感慨が入り混じっていた。真実こそが自身の身の証というのでは無く、残酷に刑事を弄ぶ行為こそが、自身を正常に保つ唯一の手段だという風に、いつのまにか思い込んでいた。そして、その時点で、この闘いの優位性は、刹郎の側に靡いていた。 「くそっ!。しぶといヤツめ!。そんなに痛い目に遭いたいのか?。」 刑事は思わず、禁止されている用語を発した。すると、 「今のは聞かなかったことにしておきます。刑事さん。その方が、アナタのため・・ですよね?。」 刹郎は落ち着き払った様子で、刑事の顔を見上げた。それを聞いて、刑事は一瞬、しまったといった表情を浮かべた。と、その時、 「コンコン。」 鉄のドアをノックする音がした。それを聞いて、刑事は調書を抱えて立ち上がった。そしてドアを開くと、外にはベテラン風の刑事が立っていた。 「どうだ?。歌ったか?。」 「いえ。しぶとい野郎です。全くゲロしません。」 取り調べを行った刑事は、少し申し訳なさそうにベテラン風の刑事に申告した。 「はは。無理も無い。思想犯とは、概ねそのようなものさ。どれ、ワシが代わろうか・・。」 「すいません。」 ベテラン風の刑事に促されるがままに、取り調べを行った刑事は、調書を彼に手渡した。そして、振り向きざまに刹郎を睨み付けて、部屋を出ていった。代わって、ベテラン風の刑事が部屋に入ってくると、 「バタン。」 とドアの閉まるのを確認して、刹郎の前にゆっくりと腰掛けた。そして、 「キミ、タバコは吸うかね?。」 と、刹郎にたずねた。 「いえ。」 「そうか。じゃあ、ワシは吸わしてもらうが、構わんかね?。」 と、そういいながら、上着のポケットから簡易の灰皿とタバコを取り出した。 「あ、はい。」 「すまんな。署内は禁煙でな。此処だけが唯一、他から見られない場所なんだ。」 彼はそういうと、タバコをくわえてライターで火を着けた。  そして、タバコをくわえたまま、机の上に小さな機械を取り出した。それを見て、刹郎は一瞬、怪訝そうな顔をした。 「ああ、これか?。吸煙機じゃよ。」 刑事は機械の説明をすると。灰皿の横にそれを置いて、スイッチを入れた。すると、微かにモーターの回るような音と同時に、燻らせた煙はたちまち機械の中に吸い込まれていった。 「昔はもっとキツイのを吸ってたんだが、煙の痕跡を消すために、今じゃフィルターの効いたのを吸っとるよ・・。」 刑事は聞いてもいないのに、タバコの種類まで講釈し始めた。すると、 「おっと。時間はたっぷりあるが、無駄話も疲れたろう。早速本題に入るか。」 刑事はそういうと、単調な質問では無く、これからのスケジュールを端的に説明した。 「と、まあ、要するに、キミが認めようが認めまいが、容疑否認のまま裁判にまで進む。無論、認めても、結論は同じ。つまり、全ては・・、」 と、刑事がいいかけた所で、 「シナリオ通り・・って訳ですね?。」 刹郎は刑事を真っ直ぐ見て、そう答えた。刑事はタバコを消して小さな灰皿の中に押し込むと、 「利発だな。申し訳無いが、そういうことだ。我々は、この国に忠誠を誓った人間だからな。無論、法が万能だとはいわんよ。実際、キミに対するこのような行為も、理不尽そのものだしな。」 あろうことか、刑事は刹郎の逮捕が捏造であることを認めるような発言を始めた。これには流石に、刹郎は驚いた。いや、拍子抜けした。 「そうと解っていながら、一体、何故・・?。」 刹郎は思わずたずねた。すると、 「何故・・かあ。ワシの親父も、かつては警察だった。所謂、特高ってヤツだ。戦前、随分と思想犯を捕まえては、自供させたそうだ。ワシはそんな親父のやり方に反発し、家を飛び出した。死に目にも会わなかった。それがどういう訳か、今じゃ親父と同じことをやっている。何故だか解るかね?。」 刑事はそういうと、刹郎を見つめながら、タバコをもう一本取りだした。そして、火を着けると、 「人間とは、文明を築き上げて以降、国家を形成してきた。そして其処には、支配者と被支配者の関係が常に存在し、それは法を介して統治がなされた。そして、数千年前も、そして今も、我々はその過渡期にいる。大事なのは、制度だ。例えキミの意志のそぐわない形で裁判にまで進んでも、キミは控訴や上告をするかね?。キミの知る真実が詳らかになるかさえ解らんし、裁判費用だって馬鹿にならない。極めて非現実的だ。」 そういいながら、刑事は煙を燻らせた。 「一筋縄ではいかない・・。」 彼の言葉に、刹郎は策を改める必要性を感じた。 「じゃあ、その制度を守るためには、犠牲が生じても、やむなし・・と?。」 「ま、そんなところだ。我々が欲しいのは、真実じゃ無い。キミが歌ったという事実。ただ、それだけだよ。すまんがな。」 刑事は、何ら悪びれる様子も無く、刹郎にそう告げた。同属嫌悪の父への拒絶。そんな苦悩を乗り越えての、父と同じ職責を全うしようとする姿勢。それが彼のアイデンティティーであることは、最早疑い無かった。形勢は一気に逆転した。それを察して、 「解りました。」 刹郎はそう答えた。 「おお!、そうか!。解ってくれたか。じゃあ、事実を認めるんだな?。」 諦めかけていた刑事の顔が上気した。しかし、 「いえ。申し訳無いですが、アナタ達のシナリオは未完成のままです。ボクが否認したままで、別のシナリオを進めて下さし。」 刹郎は死んだような目でそういうと、以後、口を噤んだ。それから数日後、刹郎は嫌疑不十分のまま釈放された。無論、警察の側から一切の謝罪めいた言葉も無く。彼はどんよりと曇った空の下、繁華街を彷徨った。感情のやり場を、何処に向けていいのかさえ、解らなくなっていた。ただただ、陰鬱なる思いと、人に対する深淵なる絶望感のようなものが、心の殆どの領域を占めていた。それでも、自分なりの正義は一応貫けたのだろうかということと、刑事達の思考停止状態なままの精神状態に比して、 「自分はまだ、生きている・・なあ。」 という感慨に触れたことで、ようやく空腹感が訪れた。 「よし。拘置所のマズい飯は、もう懲り懲りだ。何か美味いもん、食おう。」 そういうと、刹郎はすぐ側にあったラーメン屋に駆け込んだ。 「すいませーん。醤油一つ。」 席に着くなり、刹郎はラーメンを注文した。そして、返されたスマホの電源を入れて画面を眺めていると、 「よう。」 と、隣の席に座った男性が声を掛けてきた。塾長だった。 「あ!。塾長!。何で・・、」 刹郎が驚いて見つめていると、 「悪い悪い。ちょっと公安に目を付けられてな。で、どうだった?。オレが活動していた訳が、ほんのちょっとでも理解出来たか?。」 塾長はそういいながら、まるで全てが計算ずくとでもいったように、不敵な笑みを浮かべた。刹郎は苦笑いするより他なかった。
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