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第5話 大人になったら
約束を思い出せなくてもいい、なんて。
そんな、いつか来る別れを仄めかす言葉なんて、聞きたくない。
さくらなら、心傷付いても静かに諦めることを選んでしまうのだと、稔流は知っていた。――――そんなのは、イヤだ。
「約束は、守る為にあるんだ。今度は、本当に、絶対に忘れない。だから、もう一度約束を結び直したいんだ」
実は、その約束を果たす為には、稔流にはまだ足りないものがある。足りないから、5年前と同じ条件を付けて、約束を結び直さなければならない。
稔流は、もう格好悪くても何でもいいと思いながら、勢いよく頭を下げた。
「さくら、……大人になったら、俺の花嫁さんになって下さい!!」
「……………………」
つまり、足りないものは稔流の年齢なのだ。稔流がまだ子供だから「大人になったら」をもう一度言わなければならなかったのだ。
最初の約束から、稔流は5年分大人に近付いたのに、今言う方が恥ずかしいのは何故なのだろう?
神隠しの時の方が、見かけだけは、さくらと釣り合いが取れていた。さくらの姿を見える者がいたならば、幼い子供同士の結婚の約束を微笑ましく思った事だろう。
でも今は、小柄でも一応小学校高学年男子が必死になって幼女に結婚を申し込んでいる、という笑われそうに滑稽な構図。
実際にはさくらの方が、ずっとずっと、いくつかも分からないくらい年上で、稔流は本当に子供以外の何ものでもないことを、今の方が痛いくらいに思い知らされる。
(始めから、何も釣り合うものなんてない。でも――――)
沈黙がやけに長く感じて、さくらと再会してから今まで、セミの鳴き声を忘れていたことに気が付いた。
そして、返事が欲しいくせに、その返事が怖くて、顔を上げられない。
「稔流」
「…うん」
「手を握っていなかったら、土下座しそうな勢いだったな」
「…そうかも」
「いいから、男なら堂々と目を見て話せ」
格好悪くても、稔自身がまだ子供でも、男らしくなくても、臆病者だと思われたくない。
稔流は、深々と下げていた頭を上げた。
目線が、自分の方が高い。
稔流は、早産で生まれた影響がまだ残っていて、かなり小柄な子供だが、それでも会えなかった5年の間に稔流の方が背が高くなってしまったから。
さくらは、雪の糸のような髪も、同じ色の長い睫毛も、対を成すつぶらな黒い瞳も、…背丈も、きっと何も変わってはいないのに。
稔流だけが、時間のままに流されて、さくらから遠ざかっていた。
「あの…、返事、欲しいんだけど」
「…ふむ。どうしたものか」
さくらは目を細めた。
「今のは、約束と言うよりも、今時の言葉でプロポーズとかいうものではないのか?」
「……………………」
うわああああああ、と稔流は脳内で叫んで頭を抱えたくなった。恥ずかしい。猛烈に恥ずかしい。
でも、今度はさくらは笑わなかった。
「大人になるのは、お前だけだぞ?稔流」
困ったような、慈しむような、そんな表情だった。
「私は、妖怪だ。座敷童だ。人間どころか、生き物ですらない。存在しているけれども、生きている訳ではないんだよ。長い時を渡ってきても、大人には成長しない…そういう存在だ。だから、私を忘れてもいいと言った。…稔流の約束も誓いも、嘘と思った訳では、ないんだよ」
子供の姿をしているのに、その口調も表情も、人間の子供のものとは違う。
稔流は確かに成長したのに、さくらは変わらないのに、追いかけても追いかけても追い着けない、そんな気がしてきゅっと胸が痛くなる。
「俺は、さくらがどんな姿でもいい。さくらは、さくらだから」
「どうして、私に拘る?」
この問いは、ただ単純に、不思議だという口調だった。
「人間は、人間と結ばれるのが世の理だ。稔流の両親のように、命を共にして、共に成長してゆける相手が良いのではないか?」
「……大抵の人は、そうなんだろうけど」
稔流は、はっきりと答えた。
「俺は、そうじゃない。俺のさくらは、ひとりしかいないから」
「…………」
またさくらが黙ったので、稔流は緊張した。また、自分は何か失言をしたのだろうか?
だが、さくらはふふっと風の様に笑った。
「俺のさくら、か。悪くない」
「…………」
稔流は眩暈がする心地がした。これは夏の日差しのせいじゃないし、この村の気温は真夏でも滅多に30度の大台には乗らない。
「稔流がそう言うなら、そうなのだろうな」
さくらは悪戯っぽくそう言った。
幼馴染、と稔流が言った時よりも、ずっとずっと、ご機嫌な笑顔だった。
「…さくら」
「何だ?」
「俺は、からかわれるのは好きじゃないんだ。勇気を振り絞って言ったことを、はぐらかされるのも」
「…………」
「さくらから見れば、俺は正真正銘の子供で、まともに答える価値もないかも知れないけれど、…そう思われるのは悔しいし――――傷付くんだよ」
こんな白状は格好悪いし、情けないことなのかもしれない。でも、伝える相手がさくらだから、正直になりたい。
「俺は、どうせ傷付くなら『嫌だ』とか『無理だ』とか、はっきり断られる方がいい」
小さなお姉ちゃん、みたいな少女の思わせ振りを楽しむような余裕なんか、子供の自分には無いのだから。
「三度目の正直だよ。四度の勇気はないから」
稔流は、ゆっくりとひと呼吸して、言った。
「さくら。俺が大人になったら、結婚して。俺が知っているような結婚にはならなくても」
そして、さくらは返事をした。
「喜んで」
「……………………」
「何故、豆鉄砲を食らった鳩になってる?」
茹で蛸から鳩になった。多分赤い鳩だ。
「だ、…って、よ、喜ぶの!?」
「当たり前だよ。ずいぶん長い時を渡ってきたけれども、名無しの私に春の花の名前を付けたいなどと思い付いたのも、『俺のさくら』と言ってのけたのも、私に求婚したのも稔流だけだ。それも三度だ」
「…………」
稔流は、自分は何て大胆なことをやってのけたのだろうか、と魂が半分くらい抜ける心地がした。…ところに、さくらが稔流の肩にぽふっと顔を埋めてきたので、心臓が止まるかと思った。
「それに…。私という妖も、さくらという名前も、約束も、全部思い出してくれて、稔流の中から私を消さずにいてくれて、……嬉しい」
「……うん。俺も、嬉しい」
稔流は、そっとさくらを抱き締めた。
抱き締める力は、そっとそっと、何も傷付けないように。
こんなに、あたたかいのに。仄かに、花のようないい匂いがするのに。さくらを見えない者の方が多いなんて、存在はしているのに生きている訳ではないなんて、信じられない。
でも、さくらは確かにここにいる。想い出も今この瞬間も、全て現実だった。
「俺を、ずっと覚えていてくれて、ありがとう、さくら」
幸せだと、思った。
生まれて初めて、永遠を願った。
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