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第7話 神隠し(一)
まるで過去の自分に遡ったかのように、鮮やかな夢を見た。
5歳の夏の夢。《神隠し》にあったあの日の――――
「おばあちゃん、このきゅうり、どうして足がはえてるの?」
見れば、ずんぐりした茄子も爪楊枝の足がついていて、動物のように見える。祖母は笑った。
「きゅうりは馬さね。ナスは牛だよ。どっちもご先祖様の乗り物だ」
「…ごせんぞさま?」
「ああ、ご先祖様というのはね…」
祖母の説明は5歳の稔流には難しかったが、それでも『ごせんぞさま』という人達が昔に生きていて、それは怖い幽霊なんかじゃなくって、今でも守ってくれている。でもいつもは遠い遠いどこかにいる、という事は何となく理解した。
「どうして、馬と牛なの?」
「お盆には、ご先祖様が帰ってくる。お迎えする時には、早く帰って来られるように馬に乗って貰ってね、戻る時には急がんでゆっくりと返るように牛に乗って貰うんだよ。お土産をたくさん持ってね」
稔流は、仏壇が怖かった。
仏壇も位牌も真っ黒で、なのに装飾は金で、いつも扉が開けてあるそれは、上手く言えないけれども、行ってはいけない真っ暗な世界の入口のような気がした。
でも、5歳のお盆の時にはきゅうりの馬とナスの牛が飾ってあるだけで、かわいいし楽しい気持ちになった。
「ぼくも作りたい!だって『ごせんぞさま』っていっぱいいるんでしょ?」
夏だから、きゅうりもナスもいっぱいある。
早く帰って来て欲しいくらい、そして去って行く時にはゆっくりしていって欲しいと思うくらい、みんな『ごせんぞさま』たちが大好きなのだろう。それなら、馬も牛もたくさん飾った方がいいと思ったのだ。
「そうだねえ。稔流ちゃんは優しいねえ」
祖母はそう言って頭を撫でてくれたけれども、稔流は不思議に思った。
――――ぼくは、やさしいのかな。
きゅうりの馬とナスの牛がかわいくて、乗り物になると聞いて、わくわくしただけ。
ご先祖様が何人いるか知らなかったけれども、たくさんいるのなら、たくさん作った方がもっと楽しそうで、稔流も作ってみたかった。
稔流が、作って遊びたくなっただけ――――
(私は稔流が思っているような、心優しい存在ではないよ)
聞き覚えの有る、鈴を振るような声を聞いたような気がした。
「だれ?」
祖母はいなかった。台所か畑にきゅうりとナスを取りに行ったのだろう。
代わりに、振り向いた先には緑色の髪の毛をして緑色の着物を着た少年が立っていた。
稔流より年上のようだ。ランドセルも緑なのかな?と稔流は思った。
「ふーん?お前、狐の子じゃねえか」
「きつね…?」
「目と髪がきつね色だろ」
稔流は色素が薄い子供で、明るい金茶色の髪と瞳をしていた。赤ちゃんの時にはもっと淡く金色に近かったと母が言っていた。
でも、稔流の父もまた、稔流ほどではないが黄味がかった茶色の髪と瞳をしていたので、周りの子供と違っていても気にしたことはなかった。
「ぼく、きつねのこどもじゃないよ。おとうさんもおかあさんもにんげんだよ」
ケケケ、と緑の少年は笑った。
「豊も狐の子だろ。宇賀田の家には狐の子が生まれるんだよ。太一もそうだったな。喜一はふつうだけどさ」
「え…?」
『ゆたか』は父の名前で『うがた』は稔流の名字だ。『きいち』は祖父の名前だったと思うけれども、『たいち』は知らない。
「ソイツ、うまそうなきゅうりだな」
「うまそうじゃなくて、お馬さんだよ」
ケケケケケ、とまた少年は笑った。
「お前、面白い奴だなァ」
「おまえじゃなくて、みのるだよ」
「…みのる?うーん」
少年が、顔がくっつきそうに稔流の目を覗き込んできたので、稔流はびっくりして固まった。
「へえ…?お前の名前、『稔』に『流』がくっついてんのか。狐の子で水の子じゃねえか!面白いな。すごーく面白い!遊ぼうぜ遊ぼうぜ!こっち来い!」
訳が分からないが、誘われたかから行ってみようかな…と思った時、稔流は母の言葉を思い出した。
(知らない人には付いて行っちゃダメよ)
(知っている人でも付いて行っちゃダメよ)
「行かない!知らない人でも、知ってる人でも、ついていくのはダメなんだよ!」
「いーからいーから、こっち来い」
「よくないよ!…あ!かえしてよ!!」
緑の少年がきゅうりの馬を掴んで走って行ったので、稔流は慌てて玄関で靴を履いて追いかけた。
「……おっきい」
稔流は、ぽかんとして見上げた。稔流の背丈よりもずっと大きくなった、きゅうりの馬を。
「な!すげーだろ?乗れよ」
「わあっ!?」
既にきゅうりに跨がっている緑の子の腕がにゅっと伸びてきて、襟首を掴まれた稔流は後ろにぽすんと座らされた。
「しっかりつかまってろよーみのる!」
「うわ!?…わああぁぁん!」
きゅうりの馬がものすごいスピードで走り出した。車みたいに。車よりも速く。
「かえる!いかない!おろしてよ!」
稔流は叫んだけれども、猛スピードで走るきゅうりから落っこちるのが怖くて、ぎゅっと目を瞑り緑の少年の背中にしがみついているしかなかった。
「お?管じゃねえか」
という少年の声と共に、稔流の首にもふっとした茶色い何かが絡み付いてきた。
「えっ…なに?」
「あー、ソイツは狐の妖怪だ。姫神様のお使いもやってるけどな。お前が狐の子だから付いてきたんだな」
「ようかい…」
稔流は一層怖くなったが、その狐の妖怪の顔は愛嬌があって、細長いのが奇妙ではあるけれども、首に当たるもふもふの毛並みははいい感じだ。
「管、一緒に遊びたければ仲間を連れてきていいぞ」
くだ、と呼ばれた狐は「コン」とひと声鳴くと、しゅるりと姿を消した。
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