乃愛

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乃愛

 国道沿いの停留所でバスを降り、建物の間を抜けて通りを一本隔てた緑地帯沿いに、『フィオーレ』はある。  冬の間すっかり葉を落としていたはずの銀杏は、いつの間にか小さな青々とした葉でいっぱいになっていた。日差しが柔らいだ夕方の時間帯は風が心地良くて、所々に置かれたベンチに人影が目立つ。下校時間に重なるせいか、いつもの見慣れた高校生のカップルが常連になっているのはご愛嬌だ。去年の秋頃はよそよそしく並んで歩くだけだったのに、雪が積もり始める頃には手を繋ぐようになり、最近ではああして「もっと一緒にいたい」とでも言うかのようにベンチで身を寄せ合うようになった。ひと目も気にせず寄り添える二人の若さが微笑ましくもあり、ちょっぴり羨ましくもある。  ランチから働こうとする陽君とは異なり、私はほとんどがディナーのみの勤務だ。陽君は大学から離れたこの場所まで自転車で来ているけれど、私はバスで通勤している。自転車も持っていない訳ではないけど、大学に入ってからあれに跨るのはなんだか恥ずかしくなった。自転車はせいぜい高校生で卒業して、結婚して子供が生まれた頃に再び乗り始める乗り物なんだと思う。  仕事が終わった後の都合もある。真っ直ぐ帰るのであれば自転車も良いかもしれないけれど、ほとんどの場合は彼に送ってもらう事になる。その場合、自転車を店に置きっぱなしにする訳にも行かず、逆に邪魔になってしまう。  そんな事情はさておくとしても、単純にこの時間の町を歩くのが好きだった。世の中のありとあらゆるものが、もうすぐ訪れる夜に向かって一斉に動き始める騒々しさ。夜という怪物から逃れようとでもするように、人も車も家路を急ぐ。そうして迎える静かな夜は――私と彼の時間だ。
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