プロローグ

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 開いた窓から波のさざなみと、冷たい風が滑り込んでくる。身体の火照りが冷めていくのに合わせて、窓の曇りが晴れていった。 「ねえ、外出ようよ」  私は言って、外へ飛び出した。車の中にいた時よりも、荒ぶる波の音が鮮明に耳を襲い、いつもより湿っぽい潮の香りが鼻をくすぐった。雨が近いのかもしれない。  砂浜を縫うように、海に向かって伸びる石畳の遊歩道。突き当たりには丸く円形の広場が設けられ、周囲には私の背と同じぐらいの高さの星の形をしたモニュメントが並ぶ。それぞれに刻まれた牡羊座、牡牛座、ふたご座、蟹座のマーク。同じ広場はこの新舞浜に三つあって、それぞれに四つずつ、全部で十二の星座が並んでいる。  もう幾度となく訪れた場所。必ず足が向かうのは、私と彼、同じ牡羊座のモニュメント。ハート型にも見えるその形が、好きだった。 「おーい、どこまで行くんだ」  ようやく追いついた彼が、後ろから私の腰を抱いた。細く、でも筋肉質なその腕に私は頬を寄せる。そのまま振り向くようにして、私達は抱き合ったまま肩越しにキスした。何度も何度も口づけを交わし、やがてどちらからともなく、舌を絡ませ合う。  胸をまさぐろうとする彼の手を掴み、私は慌てて彼から離れた。 「もう。また止まらなくなっちゃうじゃない」 「乃愛が望むなら、そうしようか」  風に吹かれる私の髪を撫でつけるように押さえ、彼はもう一度キスをした。  左手の袖口から、シルバーの腕時計がちらりと覗く。 「でも、もう遅いから。帰らなきゃね」  私は出来るだけ明るく装いながら、言った。 「……ん、ああ、そうだね。僕はまだ大丈夫だけど、なにか用事でもあるの?」 「今日は買い物して帰らなくちゃ。明日の朝ご飯と、あとはリップが切れちゃって」 「そうか。じゃあそろそろ帰ろうか」  残念そうに彼は頷き、私達は手を繋いで車へと急いだ。  本当はまだ大丈夫なんて嘘だって、知ってる。  付き合いが始まった最初の頃に比べると、彼と別れる時間は段々遅くなっている。時間の壁を少しずつ後退させるのは、きっと私に対する愛情表現の一つ。我慢比べの一つ。  彼もきっと、もっともっと私と一緒にいたいと思ってくれているのだろう。けど、実際には大丈夫ではない。ただ、無理しているだけだ。  でも彼からは帰りたいなんて言い出せない。それも知ってる。  だから私は、いつも何やかやと口実を設けて、自分から別れを切り出す。  彼が家に帰れるように。  奥さんと可愛い娘さんがいる、あの部屋に。
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