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「ただいま~」
「パパ、おかえりー!」
パタパタと足音が聞こえると同時に、小さなレンジャーが俺の胸に飛び込んできた。
最近流行っている戦隊者のパジャマを着た、今年4才になる息子だ。主人公好きのため、全身を真っ赤にした姿が、仕事で疲れた目に痛い。しかし、満面の笑みで帰宅を喜ぶ姿は愛らしくて、スーツが皺になるのも構わず思わず抱き締めた。
ひょいと片手で抱き上げて、リビングに入るとカレーの良い匂いが部屋に漂っていた。
「おかえり」
キッチンの方から声をかけられた。
それは柔らかく、俺を労る優しい声だったが、女よりも低い音域だった。
「カレーか。良い匂いすんな」
「カイのリクエストだよ」
「レイヤくんちね、昨日ね、カレーだったんだって!レイヤくんね、『ちゅうから』食べて、おとなになったの!だからね、カイトも『ちゅうから』食べておとなになったんだよ!」
「へ~、そうかそうか。大人になるなら、カレーの人参もしっかり食べたのか?」
「…食べたもん」
「んー?ホントかぁ?」
「食べた~ぁ!ハナちゃん、たっけて~」
甲斐人(かいと)の頭にグリグリと頭をくっつけると、嫌がりつつもキャッキャと笑う。その姿を見て、俺用のカレーライスを用意しながら英(はなふさ)も笑った。
「侑隼(ゆうと)。ちゃんとカイ、食べてたよ」
「お?マジで?えらいなー、カイ」
「カイト、大人だもん!」
「つーか、マジで中辛食わせたのか?」
「うん、『中辛』」
と言って、シンクの上にあるチョコレートと牛乳を見せられ、なるほどな、と納得した。
ーーここ1年くらい続く、温かで幸せな日常風景だ。
英 龍磨(はなふさ りゅうま)とは、幼稚園からの付き合いで、いわゆる幼なじみだ。小さい頃はクリクリした瞳に真っ白な肌、少し長めの髪型をしており、まるで女のようだった。名前と外見のギャップに皆から『はなちゃん』と呼ばれていて、俺も小学生までそう呼んでいた。
高校まで一緒で、一番仲が良かった。
けれど、大学は別々になって、会うことも少なくなった。そして、その大学で甲斐人の母親になる女と出会い、大学卒業と共に妊娠が発覚した彼女と結婚した。
バタバタはしたけど、楽しくて幸せに溢れた生活だった。
それなのに、1年半くらい前、妻は家を出ていった。始めたパート先の店長と浮気をし、離婚したのだ。
『あなたと居ると息苦しいの』
と、浮気しといて俺のせいにしやがった。
ちゃんと金を稼いで、妻が働かなくてもやっていけるくらいには余裕のある生活をさせていた。休みの日は家族サービスに、時々、夫婦だけの時間も作った。
ーーーそれなのに、女はいつだって俺を好き勝手弄んで捨てていくんだな。
そう、しみじみ思っていたところに、高校の同窓会に誘われ、そこで英と再会したのだ。俺の結婚式に仕事の都合で英は来られなかったので、大学を卒業する少し前に会った以来だった。
久し振りに会った英は、小さい頃の姿に似ていた。女に見られないようにと髪を短くして男っぽくしていたのに、髪は肩まで長くなっていた。さすがに体つきから女には見えないものの、少し中性的な雰囲気に不思議な感覚を覚えた。
けれど、話すと昔のままで、やっぱり英と一緒にいるのが一番落ち着くんだと思った。
俺が離婚して、シングルファーザーなのを伝えるとフリーのライターで比較的自由に時間を使えるからと、家事や育児の手伝いを申し出てくれた。
そうして、この幸せな日常が始まった。
小さい頃から一緒で、俺の性格も味の好みも知り尽くして、男同士の気軽さもある。
浮気されて別れたショックも、男一人で子どもを育てる大変さも、英のおかげでなくなった。
「じゃあ、俺、カイを寝かしてくるね」
「おう、おやすみ、カイ」
「やだぁ!パパとあそぶ!」
「明日戦隊ショー見に行くんだろ?はやく寝ないと朝起きられなくて、見られないよ?」
「~~、ねる」
「ん、良い子」
二人のやり取りに、思わず笑いが漏れる。
「なに?」
「いや、なんでもねぇよ」
幸せだなと思っただけだ。
この生活がずっと続けられたらいいとも思う。
こんなに気が合って、空気みたいな存在なのに、どうして、英と会わなくなったんだっけ?
2人の背中を見送ってからカシュッと缶ビールの蓋を開けた。英が作ったカレーを食べながらぼんやりと思い出す。
ああ、そうだ。
大学卒業の1ヶ月前だ。
寒い冬の日だった。
ーーーたった一度だけ、英と親友以上の関係になったことがあった。
大学近くの安アパートに俺が英を呼んで、二人で夕方から深夜まで飲み続けた日だった。
『それで?今日もなんか話があるから俺を呼んだんじゃないの?まさか、またフラれたの?』
お酒の強い英が、珍しく頬を染めていたのを覚えている。俺も既に缶ビールのゴミでタワーが作れるほど飲んで、フワフワと心地よくなっていた。
回らない頭で大切な事柄を思い出す。
『いやぁ…あのさぁ、俺ぇ、美羽と結婚すんだ』
『……え?』
『美羽に赤ちゃんできたんだよぉ。やっぱりぃ男なら、ちゃんと責任とりたいしさぁ。お前にはぁ…一番に言いたくて…だから、今日、誘ったんだ』
回らないのは頭だけじゃなく、舌もだった。
『……』
何も返事のない英に、ちゃんと伝わっているのか不安になり、顔を見る。
英の動きが止まっていた。目を見開き、心底驚いている顔だが、なにかそれ以外の感情があるのか、口角がぴくりとひきつれるように震えていた。けれど、まるでソレを隠すかのように暫くしていつもの笑みになった。
『…良かったじゃん!おめでとう!ほら、もっかい乾杯しよう?』
『おう、ありがと。っ、乾杯!』
微炭酸が、僅かな疑問を腹の奥へ流し込む。
『そういえばぁ、英はぁ?最近会わなかったけど、彼女できた?』
『…あ~…いや』
『マジでぇ?最後に彼女居たの中学かよぉ?なんでお前みたいな良い奴に彼女ができないんだよぉ?選り好みしすぎなんじゃないのかぁ?』
『…だって、俺、ゲイだからね』
『へ?』
『ゲイだから彼女はできないよ』
『…そ、うだったのか…』
『あ、そうだ。ゆうと、結婚前に男も一度試してみる?』
『なにを…?』
『何って、ナニでしょ?…独身、最後なんだから…、冒険だよ、冒険。結婚したらできないでしょ?男同士だから浮気じゃないよ』
『う、え?…あ、ああ…?』
酒が入ってた。アルコールが正常な判断を鈍らせたのだ。
そのまま、英の唇が俺の口を塞いだ。
生暖かい舌が咥内を、酒で熱くなった手のひらが服の下で肌をまさぐった。
混乱してたけど、英が触れるところはひどく気持ちよかった。まるで、俺がどう触れられたいのかを知っているかのようだった。
心地よさにそのまま身を委ねていると、いつの間にか俺が下に倒されていたことも気づかなかった。さすがに、英のちんこを挿れる時は異物感と僅かな痛みに涙が出たけど。
『ゆうと、っ…息、して?』
『くっぅ、ふぅ…っ』
『ゆうと…っ、あと…少しだから…っ、あと少しだけ…っ』
『はっぁ、んんっ…はな、ふ…さ…っ』
切羽詰まった英の声に、ポタリと熱い液体が頬へ降ってくるのが分かった。
きつく閉じた瞼を開ける。
(ーーーああ、なんて顔してんだ)
汗かと思ったのに。
尻が裂けそうで、辛いのは俺の方なのに。
なんで、お前が泣いてるんだ、英。
それから、同窓会まで殆ど連絡もせず、会うこともなかった。
別に俺は気にしてなかった。
『アレ』は、酔った二人のただのじゃれあいだったのだから。
「侑隼、カイ、寝たよ」
カレーライスを食べ終えて、テレビをつけてぼんやりとビールを飲んでいたら、寝かしつけ終わった英が戻ってきた。
「ああ、サンキュー。飯もありがとな。うまかったよ」
「それは良かった。じゃあ、皿貸して?」
「いいって、片付けくらいするし。お前も飲もうぜ?」
「やった」
冷えた缶ビールを冷蔵庫から取りだし、英が俺の近くに座った。
「おつかれ」
コツンと俺の缶にぶつけてから、プシュッと心地よい音を立てて英が蓋を開けた。そのうまそうな音に、もう1缶飲もうかなと思う。
付けっぱなしのテレビに映るバラエティ番組を見ながら、他愛ない話をした。けれど、俺は他のことに気を取られていた。
ーー今日は酔わずに言う。
そう、決めていた。
上の空な俺に英が首を傾げて、「侑隼?」と心配そうに覗き込んできた。それを合図に、俺は英の目を見て、口を開いた。
「あのさ、英。お前に話したいことあるんだ」
「ん?なに?」
「…実はさ、少し前に会社の子に告白されてさ…、返事に迷ってんだ。かいとのこともあるし、付き合うなら正直結婚のこと考えたいし…」
「…」
「かいとのためにも、母親はいた方がやっぱいいよな?」
(ーーああ、また)
英の口角がひきつる。
あの顔だ。
なんでお前は、そんな顔するんだ。
なんで何かをーー涙を耐えるような顔をするんだよ。
そして、
なんで俺は、お前のその顔を見るとホッとするんだろう。あの時と同じように。
なぁ、はな。
教えてよ。
end
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