第二章 ~黒髪の帝妃~

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第二章 ~黒髪の帝妃~

ヴァーレ 南館 神族会議室。 「神帝はまた寝込んでおられるのか 医師団は何と言っておるのだ」 今日も内務卿の第一声から会議が始まる。 「婚礼の儀は十日後ですぞ それまでにはお元気になるのでしょうな」 バルグが、少し虚弱体質のようですからお疲れになりやすいが、特に問題はないでしょう、との医師団の診たてを伝える。 「十日後にはお元気になっていますよ」 「王女の一行は予定通りに?」と財務卿。 「明日ヴァーレに到着します 一行と言っても王女と女官の二人だけですが」 「女官? 侍女ではないのか」 「ナーダからの資料によると、セリジアに留学して大学院で数学と物理学を専攻したとか」 「女性で大学院に?!」 文部卿が驚きの声を上げる。他の卿たちも唖然とした表情になる。 アルヴィスの神都には国内唯一の大学があり、女子の入学も認められてはいるが、未だ女子学生は一人もいない。 ただ一人冷静な顔のバルグ。 「ナーダの前女王は連邦共和国と対等に渡り合った女傑だったと聞く その影響かガイアス王は王府の官職に女性を何人も登用しているそうです ナーダでは女性の高学歴も珍しくはないのでしょうね」 内務卿がフンッとあざ笑うように鼻を鳴らす。 「たかが二百年足らずの新興王国だ 我が国とは違いますぞ 帝妃となる王女はしとやかであってもらいたいものですな」 財務卿がうなずく。 「議長、此度の婚姻はあくまでもセリジア対策 ナーダとは必要最小限の関わりに留め置くことを条件に前例のない異国人の帝妃を承認したのです その点、心していただくよう今一度お願いする」 異国からの帝妃は千二百年の歴史の中で初めてのことだ。 当然、神族たちからは大きな反発があった。 ヴァーレに異国人を入れること自体に嫌悪を示す者もいた。 もしその王女が、次期神帝となる子を産んだとしたら、ナーダに属国化されるのではとの懸念の声もあるが、反発も嫌悪も古臭い固定概念にとらわれた偏見に過ぎないとバルグは考えている。 仮にナーダ王家の血を引く次期神帝が生まれたとしても、それはどうにでもできる。その時々の状況に応じて処理するだけだ。 「もちろん、心得ています 万事は私にお任せを」 反応は様々だが、反論はしない神族たち。 交易市場 工具店。 アレンがオーガに革製の工具差しを渡す。 「前から頼まれてた工具差し、やっと納品しましたよ」 「おー すげえ あれ? いつもの倉庫番は?」 「ああ、あいつは他にも仕事があるから忙しくて 今日はいないんですよ」 ダグが医師もやっていることは知っているが、それ以外に中尉としてどんな任務をしているのかオーガは聞いたことがない。 聞いたところで言うはずもないのだが。 「(いろいろと話すことあんだけどな)」 収監されてバルグ卿に追求された件を報告したいが、ヴァーレの情報を伝えるのはダグにだけと決められている。 「じゃあ、この工具油の勘定お願いします」 「はいよ、毎度どうも しかし、ヴァーレは大変だろ? 即位礼が終わったと思ったら今度は異国からの花嫁だって?」 「そうっすね 使用人はみんな楽しみにしてるみたいですよ」 とりあえず、アレンにはそのくらいしか言いようがない。 「あっと、その工具差し、革製品だから取扱書があるんですよ」 アレンが説明書きの紙片をオーガに渡す。 「ちゃんと読んで大事に使ってくださいね」 客が入って来る。 「いらっしゃい! 何かお探しですか」 アレンがオーガに「またな」と目で合図する。 オーガもうなずき返して取扱書の紙片を懐に入れ店を出る。 ヴァーレ 外区 使用人宿舎 オーガの部屋。 夜。 ランタンの明かりのもとで、アレンに渡された取扱書の暗号解読に奮闘しているオーガ。 「えーと、たしか次は三番目の文字で 次が・・・・ 暗号解読ってめんどくせーーー!」 なんとか解読できた。 「"女官から指示がある" ・・・女官?」 アルヴィス  国境口からの街道。 10be4c75-f8dc-4c6e-8358-a988dac02813 馬車の中。 ティアーナが車窓を覆う幕の隙間から外を伺おうとする。 「いけません!」 ルクィードがぴっちりと幕を閉じ直す。 がっかりしたように座席に座り直すティアーナ。 「だって、アルヴィスの国内に入ったのでしょう? 外の様子を見たいわ」 「なりません! ヴァーレに入るまで一般市民にお姿をさらすようなことはけっしてしないよう言われています」 「・・・わかったわ」 「それと、ご婚礼の儀までは神帝とお会いするのも禁じられています」 「それは何度も聞いたわ」 「何度も申し上げておかないと、ティアーナ様は油断できませんので」 アルヴィスへの旅が始まってから、ルクィードは日ごと口やかましくなっていて、さすがに閉口気味のティアーナ。 「ルクィード 私は子どもじゃないのよ?」 「全く未知の環境に行くのです 何も知らないということは、無邪気な子どもと同じです」 ルクィードの言うことはいつも正論で反論の余地はない。 「はいはい」 「(やれやれ・・・)」 幕に覆われた車窓に目を向けるティアーナ。 まだ見ぬ未来に思いを馳せる。 ヴァーレ 中央門 南館前。 騎乗の査察隊員数名に護衛された馬車が止まる。 査察隊員が馬車の扉を開ける。 「到着いたしました 馬車を降りてください」 ティアーナとルクィードが馬車から降りる。 ルクィードが「これは・・・」と眉をひそめる。 辺りには誰もいない。 護衛してきた査察隊員たちがいるだけだ。 「出迎えの方は? どなたもいないのですか」 「西館までご案内いたします」と査察隊員が歩き出す。 「待ってください!」 査察隊員の前に立ちはだかるルクィード。 「ここは本当にヴァーレなのですか」 ティアーナが大きく深呼吸をして息を吐く。 360度見渡す限りに樹木と緑がある。 e715255b-11fa-4a93-8c24-6b213f44626c 「ヴァーレだわ ここが、森に囲まれたヴァーレ・・・」 正面の建物を見上げる。 ナーダの王城とはまるで違う佇まいの建物に唖然とする。 a527af7e-5992-41cb-9a41-f8ef8a124a91 一瞬、屋上に人影らしきものが動く。 でも逆光が眩しくて目を閉じる。 目を開けてもう一度見るが、人影らしきものはない。 気のせいだったようだ。 「西館はあちらになりますので、ついてきて下さい」 にこりともしないで査察隊員たちが歩いて行く。 「とにかく行ってみましょう」とティアーナが後について行く。 「(やれやれ・・・) 黙ってついて行くしかないようですね」 ヴァーレ 西館 玄関広間。 床、壁、天井、柱、階段、その全てに目を丸くするティアーナ。 「見て! ルクィード! あの柱はまるで彫刻だわ まあ! 階段に絨毯が!」 「ティアーナ様、お静かに 声が反響しています」 「だって、こんな豪華なつくりの建物、見たことがあって?」 「(たしかに質実剛健なナーダの王城とは大違いだが) 子どもではないのですから、はしゃぐのはおやめください」 「未知の環境に来たら無邪気な子どもと同じだと言っていたでしょう?」 「(やれやれ・・・😓)」 二階の一室。 今度は室内の家具や調度品にいちいちはしゃいでいるティアーナ。 部屋中を走り回っては「素敵!」「綺麗!」と連発している。 ルクィードが半ば呆れたように溜息をつく。 「ティアーナ様、少しは落ち着いてください」 ルクィードの注意は耳に入っていないティアーナが窓辺へ駆け寄ってレースの窓掛けに手をやる。 「綺麗な窓掛け この細やかな刺繍、芸術品だわ」 建物のつくりも室内の装飾も全てが美しく洗練されているとルクィードも思う。 「アルヴィスの職業の多くは世襲制だそうですから、文化も芸術も代々受け継がれてきた伝統の賜物なのでしょうね」 職業が世襲制、それも現代ではアルヴィス独自の制度だ。 1200年国を閉ざしてきたこの国が、いかに封建的であるか、ということだ。 ティアーナが急に黙る。 「ティアーナ様?」 窓掛けを開けて外の光景に目を奪われているティアーナ。 眼下に広がるのは緑の森。 その向こうには残雪の連峰。 生れて初めて目にする景色だ。 09746b34-e387-4396-bd28-199f939d73be 「本当に来たのね アルヴィスに・・・」 「ええ 来ましたね」 いよいよ未知の領域での日々が始まる。 改めて身の引き締まる思いがするルクィード。 そんなルクィードの緊張を他所に、ティアーナが「ふふっ」と笑う。 「あなたと私と二人だけで、無人島に取り残された気分ね」 ティアーナの冗談にルクィードの肩の力が抜ける。 「無人島に取り残された経験はありませんが、お気持ちはわかります」 「ルクィード」 ティアーナがルクィードと向き合う。 「改めて、よろしくね」 ティアーナの目が涙で潤んでいる。 「ティアーナ様・・・」 はしゃいでいたのも、笑って冗談を言ったのも、不安と緊張で泣き出したい気持ちの裏返しだったのか。 泣くまいと一生懸命笑顔になろうとしているティアーナの手をぎゅっと握るルクィード。 「大丈夫です 私がお支えしお守りいたします いついかなる時も、必ず」 「ルクィード・・・」 ティアーナがこくんとうなずく。 扉が開く。 ルクィードが咄嗟にティアーナを庇うように前へ出て身構える。 バルグが入ってくる。 「失礼 鈴の音は聞こえませんでしたか」 身構えたままのルクィード。「鈴?」 「ヴァーレの館では入室合図に鈴を・・ ああ、そういった細かいことは後ほど他の者からお伝えしましょう」 「あなたは? どなたですか」 「申し遅れました 私は神族会議長バルグです お待ちしておりました ティアーナ王女殿下」 「(神族会議長? この人物がバルグ卿か)」 身構えていたルクィードが後ろに下がる。 ティアーナが前へ出る。 「バルグ卿 お名前は伺っております 初めまして ティアーナです」手を差し伸べる。 「?」とバルグ。 「(あ・・・)」 気まずそうに手を下すティアーナ。 予想していた以上に可愛らしいが、まだまだあどけない少女だな、とティアーナに対しての第一印象を抱くバルグ。 ティアーナが「女官のルクィードです」と紹介する。 ルクィードがおじぎをする。 これが大学院出の才女か、意外と美人じゃないか、とルクィードを見るバルグ。 「よろしく、ルクィード女官 今後何かご不明なことがあれば、私に」 瞬時にバルグを観察するルクィード。 物腰は礼儀正しく愛想もいいが、完璧とまで言える容姿と身のこなしは相手に隙を与えない印象を受ける。 この婚姻に積極的だったというが、だからと言ってこちらに対して好意的であるとは限らない。 だが、今はこの人物しかここでの対話相手はいない。 「バルグ卿、早速ですが一つ確認させていただいてもよろしいですか」 「どうぞ、何でしょうか」 「王女を出迎える方がどなたもいらっしゃいませんでしたが 何か理由があるのでしょうか」 「理由? 我々神族は来訪者を出迎えることはしません」 神帝の妃となるティアーナ様をだと? 言い返したい思いをぐっと呑み込んで、 「わかりました そうとは知らず不躾なことを申しました」と引き下がる。 「ヴァーレには長年のしきたりがあります 貴国の習慣とは相違することが多々あるとは思いますが ヴァーレに入られた以上、ヴァーレのしきたりに従っていただきます」 ついいつもの習慣で挨拶の手を差し伸べてしまったことを後悔するティアーナ。 「バルグ卿 今は着いたばかりで、目にするもの全てにただ驚嘆するばかりです 何もわからず不安もありますが、私もルクィードも一日でも早く慣れるよう努力いたしますので、よろしくお願いします」 「(ほう? 見た目よりもなかなかしっかりしている)」 バルグがにこやかにうなずき返す。 「さて、長旅でお疲れでしょう 来週の婚礼の儀まではここ西館でゆっくりとお過ごしください 婚礼の儀より後は東館にお移りいただきますので」 「東館?」 秘警隊が事前に得た情報で、ルクィードはヴァーレの構成を頭に入れて来ているが、ティアーナは知らない。 <ヴァーレ 内区 概略図>d4f75448-1d85-48f2-be5a-3fafc3c9b52d 「ヴァーレには内区と外区の二つの区画があり、中心地である内区には四つの館と我々神族が居住する邸の区画があります 第二中央門から正面にあるのが南館、神族会議と各行政部が政務を行う公館です この西館は来訪者用の施設ですが、普段は滅多に使用していません 内区の北奥に祭壇と神坐のある別館があります 婚礼の儀はそちらで行われます そして、神帝の公私両用の館が東館です」 事前情報は正確だったと思うルクィード。 ティアーナはバルグの説明に熱心に耳を傾けている。 「外区には何があるのですか?」 「下僕や小間使いといった下働きの者たちの宿舎など、下々の者たちの施設です」 "下々の者たち"という言い方に違和感を感じるティアーナ。 神の末裔とされる神族だからの表現なのだろうか、と思ったりもする。 「ヴァーレを囲んでいる森の中は散策できるのですか?」 「もちろんできますよ ただ、婚礼の儀までは西館からお出になりませんように 今はまだお二方とも異国からのお客人です ご存じの通り、ここヴァーレは千二百年間、異国人の立ち入りは禁じていますので」 「禁じていた」の過去形ではなく「禁じている」と現在形のバルグの言い方にまた引っかかる思いのルクィードだが、ヴァーレに着いた最初のうちは相手側の代表者である神族会議長の指示は黙って聞き入れるしかない。 それはティアーナも同意している。 何もわからない今はとりあえずそうするのが賢明だ。 数日間とはいえ、西館から一歩も外に出られないのはちょっと辛いと思いながらも、「わかりました」と応じるティアーナ。 「西館の中は自由に見て回ってもかまいませんか」 「ええ どうぞ ご滞在中は不便のないよう使用人を配備してあります なんなりと申し付けてください」 ティアーナがにっこりとうなずく。 「ありがとう バルグ卿」 調理室。 料理人たちが調理の支度を始めている。 「おーい そろそろ天火に火をいれてくれー」 「はーい 今やりまーす」 調理場の見習い使用人が天火の窯に石炭をくべる。 「調理の火に石炭を使っているの?!」 その声に振り返る見習い使用人。 目の前でティアーナが微笑んでいる。 「こんにちは 私はティアーナよ あなたのお名前は?」   調理場にいる全員が驚きのあまり声も出ずあんぐりと口を開けている。 ヴァーレ 外区 使用人宿舎 共同の食堂。 何人かの使用人たちが興奮気味に話す西館の見習い使用人を取り囲んでいる。 「ナーダの王女様を見たのか?!」 「いやあもう、おったまげたのなんの! いきなり調理場に現れてさ」 「調理場に?!」 別の食卓にいるオーガの耳にも聞こえてきた。 食事も途中に話の輪に加わる。 「野菜や果物を珍しそうに見て、これは何?あれは?って 調理長なんかおどおどしちゃってさ」 他の食卓からも使用人たちが集まって来る。 「なあなあ、どんなお方なんだ?」 「そりゃあもう、見たこともないくらい可愛らしくて💕 あ! 見たこともないといえば、あの黒髪!」 「黒髪?!」 回りにいる全員が声をそろえて驚く。 「女官はいたか?」とオーガが聞く。 「女官? お付きの女の人がいたな 赤毛の」 「赤毛?! ナーダ人は赤毛もいるのか!」 その場にいる全員がまた驚く。 「それがまたスラっとしたなっかなかの美人でさー😍」 黒髪の王女と赤毛の女官の話題で盛り上がる食堂内で、オーガだけが黙り込む。 赤毛・・・ もしかして女官って・・・
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